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週1投稿始めました

「週1でnoteに投稿しよう。」と決めた。

今日は、その第一週。
「投稿しよう。」と決めた経緯を書いてみる。

中学3年生の時、
私は母に、『本当の英語力は5文型で劇的に伸びる』という本を勧められた。
英語は、それまでも中学の科目の中でいちばん得意だったけれど、5文型については全く理解していなかった。(学校の授業では1時間位しか教えられなかったように思う。)
その本の前書きには「英語には『5文型』というルールがあって、それを理解すると英語が得意な世界に行ける。」と書いてあった。

本文を読み始めると、ほとんど一気に読み終えてしまった。

『5文型』について理解した私のなかで、英語という科目はとてもイージーなものになった。

地元の中学を卒業し、いわゆる進学校と呼ばれる高校に進んだ。
クラス担任でもあった英語の担当教師は、(こういう言い方はあれかもしれないけれど)「当たり」で、彼の授業のおかげもあって、私の中の「英語が得意」という意識は高まる一方だった。

高校に進学してから、これまた母が、通信教育で「小論文」の講座を勧めてきた。この通信教育を開講していたのは『5文型』の本を書いた芦永奈雄という人だった。
小論文の勉強の必要性はよく分からなかったけど、「やって悪いことは無かろう。」と、受講することにした。

与えられたテーマに対して週に1本、小論文を書いて、郵便で提出することになっていたけれど、特に熱意の無い私は、平気で2週も3週もすっ飛ばした。ひどいときには数か月、書かなかった。
それでも、たまに提出すると、添削担当の先生は提出の遅れを咎めることもなく、コメントしてくれて、評価が返ってくるから、だらだらと続けていた。


私には、幼い頃からの夢があった。

高校3年生になった私は、その夢を叶えるために、ある理系学部がある大学への進学を希望していた。
しかし、理系大学受験に必須とも言える数学、物理、化学には英語とは打って変わって苦手意識しかなく、「どうしたものか、浪人するか・・・。」などと考えていた。

夏休みも終わってしまった9月のある日、
またもや、母が、見つけてきた。

「英語、小論文、面接」で受験できる志望学部・・・!
いわゆる自己推薦型の試験。
「これしかない。」一か八かで受験することに決めた。

まずは、出願するときに「自己推薦文」を提出しなければならない。だらだら続けていた小論文のコースをここにきてやっと真面目に取り組み始めた。どうしても、受験までに修了させたかった。(本来1年位で終わるコース。)
これまでの提出遅れを棚に上げて、添削の先生に自己推薦文の添削をお願いしたら、快諾してくれた。
受験に必要な評定平均が足りるか心配だったけれど、基準の点数をぎりぎり満たしていた。(担任の先生がおまけしてくれたんだと思っている。)

受験の約1か月前。
満を持して、自己推薦文、担任教師からの推薦文を願書と共に受験大学へ提出。
受験当日までの残りの日々を、英語の小論文読解、和訳、小論文対策に費やしていた。

受験10日前、その日のことはよく覚えている。
私は、当時付き合っていた彼氏にフラれた。
「試験10日前に振るなんて、どういう神経してるんだ?!」と、思ったけど
それと同時に出てきた清々しさを感じないわけにはいられなかった。

受験する大学を決めたとき、唯一の気がかりが彼のことだった。
私が志望していた大学は北海道にあったからだ。
私は彼のことがとても好きだったけれど、彼は当然、本州にある大学を志望していたから、高校卒業後のことを考えると、いつも気持ちがもやもやしていた。

ところがどっこい、受験10日前の失恋。
大好きな人にフラれた18才の私に、飛ばない理由など、もはや何も無かった。

受験日前日、羽田空港を離陸する飛行機の中で
「フってくれてありがとう・・・!」とネテロばりの感謝の気持ちを彼に抱きながら私は、小さくなる東京の街並みを眼下に見下ろしていた。

飛行機は、北の大地に向かって本州の上空を北上していった。


to be continued…

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