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英語教育を考える(その⑨)

どうも、あさまんがです。なんだかんだで忙しくて記事が書けていませんでした。最近は一気に蒸し暑くなって、汗っかきの僕としては厄介な季節がやってきました。

そんな中で週に何回かは対面授業のために通学しているのですが、個人的にはなぜか、対面の方が先生に質問しやすいです。よく英語に関する質問をしたりするのですが、オンラインだとどうしても発音が聞き取りづらかったりもしますし…

そうして質問を先生方に投げかけるうちに、今回のテーマにも繋がる疑問が浮かんできました。それは「学校で英語を教える際の、教員の発音」です。

「ん?英語の先生なんだから発音は綺麗なはずでしょ?」と思う方も多いかもしれません。

ただ、その「綺麗な発音」というものの定義が揺らいでいる気もするのです。今回はその揺らぐ定義についてお話ししようと思います!

thは「舌を軽く噛む」

懐かしいな、と思った方はいらっしゃいますか?

例えば英語で「ありがとう」と伝えたいときに言う"Thank you"の"th"の部分は日本語にはみられない舌の使い方をします。それが見出しにもある「舌を軽く噛む」というものです。

おそらく、近年の学校での発音指導は僕たちが受けてきたものよりも重要性は高まっていると思います。いまや英語を使って何かしらのやりとりをすることは珍しいことではありませんから、将来使えるものを授けるというのは合理的ですよね。

すなわち、「伝わる英語」「伝えるための英語」を教える方向にシフトしているとも言えます。文部科学省が指導要領の改訂に踏み切ったのも、こうした動きを加速させています。

コミュニケーションツールとしての英語の立ち位置というものを考慮したうえで、教師がどう発音に向き合えばいいのか考えていきましょう。

生徒側のニーズ

発音は、言語においてとても重要な要素のひとつです。

メチャクチャな発音では意味が通じませんし、最悪の場合には言語としても認識してもらえません。ですから、コミュニケーションで発音を重要視するということには僕個人は賛成です。

ここで、教員の「質」についての疑問が生じます。教える側に立つ彼らの発音は、どのようにあるべきか?というものです。

例えば、学生時代に留学していた経験のある教員は、より現地のものに近い発音をすることが期待されます。ですがその一方で、一切そのような経験がなく、比較して発音が「日本語寄り」に感じられる教員もいることでしょう。

これを、生徒側はどう感じるのでしょうか。

「あの先生の発音の方がそれっぽいから、好き」とか、

「あの先生はカタカナ英語だから、英語が苦手な自分には助かる」とか、

生徒の言語習得レベルによってさまざまな評価がされるのではないでしょうか。

ネイティブのような「英語本来の発音を身に付けたい」と考えている生徒もいれば、「入試で英語が必要だから、とりあえず点を取れるくらいの理解は身に付けたい」と考える生徒もいます。

上の両者に対して同じ指導をしていては、モチベーションの維持に問題が生じかねません。

リスニングとスピーキングの関係

これは僕自身が実感していることなのですが、発音を知らない単語はそもそも聞き取ることがとても難しいです。

これがコミュニケーションでどのような事例を引き起こすか考えてみます。

こちらが「このレベルの語彙なら大丈夫だろう」と思って発した言葉が、「スペリングも意味もし知ってるはずなのに、何て言ったか分からない」単語として相手に伝わってしまうのです。

ですから、ある種の皮肉というか、矛盾が生まれてしまいます。

「英語でコミュニケーションをとる時は、発音を気にしすぎなくてよい」のに、

「英語でコミュニケーションをとる時は、発音を意識した方がよい」状態に陥ってしまうのです。

こんな事を書いていると、「もはやそれも気にしなくていいでしょ!」と言われてしまいそうですが、やはり「話す」のであれば無視はできないと思います。

文章でのやり取りなら、今の英語教育は割とアリなのでは

派生してかなりのアンチテーゼをかましていますが、前々から感じていたことです。

今の英語教育が、なぜ改革の矛先を向けられているのか。それは、「英語の読み書きはできても、話せない」人材が増えたことを問題視する風潮が生まれたからです。

ただ、これは裏を返せば、「話すことは難しくても、英語の読み書きの能力は伸ばせる」ということです。

例えば、海外の方と仕事をする時に、メールなどの文章だけでしかやりとりをしないのであれば、気にすることは文法とスペルミス、失礼な表現になっていないかなどです。極論、発音を気にすることはありません。

僕が何を危惧しているかというと、スピーキングを重視するあまりに(これ自体は良いのですが)、「じゃあ読み書きはそこまでやらないでいいよね」という風潮が生まれてしまうことです。

これでは結局、「英語を話せても読み書きのレベルが追い付かない」という状況を招くことになってしまいます。まさに本末転倒、避けたいものです。

まとめ

今回お話したことを箇条書きでまとめます。

①英語を使ったコミュニケーション重視の動きは確かに存在する

②生徒のニーズは異なり、モチベーションにも関わる

③リスニングとスピーキングは対応している(説)

④今の教育は「話すこと」を重視しなければ割とアリでは?

この4つです。個人的にはかなりボリューミーです笑

かなり長い間記事をほったらかしにしていました。最近様々な事で忙しく、スケジュール管理がうまくできずにいましたが、なんとなくペースを掴めたのでなんとか書き上げることができました。

これからも無理はし過ぎず、かといってだらけすぎないことを大切にしていきたいと思います。

今回も読んでいただきありがとうございました!次回がこの連載ラストの文章になると思います。お楽しみに!

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あさまんが
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