英語教育を考える(その⑩)
どうも、先日21歳になってしまったあさまんがです。
ちょっと精神的に苦しくなっていたので、お休みをいただいてました。ある程度落ち着いたので、noteは再開しました。
とはいえ早いもので、このシリーズを締めくくるのがこの記事となります。
さて今回は、「英語教育を考えること」について考えていきます!…ん?
なんだか分かりづらいので、まずはそれを説明することから始めていこうと思います。お付き合いください😃
考えることは、疑うこと
まず第一に、これまで僕がやってきた「英語教育を考える」ということについてなのですが、なぜそんな連載をしたかったかというと、
「大学で教育を学ぶ中で、疑問に思うことが多かった」からです。
もちろん、理論はすんなり頭に入ってきていたのですが。実践の段階になると、一気に不合理さというか、「それおかしくない?」と思うことが多くなったのです。
とはいえ、大学の先生方や特別講師でお話してくださった先生方の話が無価値だ、なんてことは一切ありません。現場に出ないと分からないことはどんな職種でもありますし。
でも、引っかかることは多かったのです。「あれだけ大学で教育学を学んだのに、学校という構造はそれを反映しきれていないな」と。
「机上の空論」と言われてしまえばそれまでです。しかし、それは突き詰めれば「教育学部を出た人間に教員免許を付与すること」が不要ということになるのではないかとも感じています。
だからこそ、学校の構造を疑い、かつ教育学の理論にも疑いを持ちたかったのです。それを言語化して、ひとりごとのようにnoteに蓄積していきました。
学校教育を経て、それを疑うことの悲しさ
人間は、常に安心できるものを求めるものです。
僕が学校教育を受け、その中で教わったものを疑い始めたのは、だいたい高校2年生になったあたりからでした。
ある先生の言うことが、どうしても鵜呑みにできなくなった(しなくなった)し、どんな説法に対しても、逆張りで考えるようになりました。
でも、そこにある種の悲しさを覚えたのです。学校教育を受けている自分が、学校教育を疑うということに。
自分が今まで糧としてきたものを、疑うわけです。
もちろん、自身の経験を深堀っていくわけですから、考察はそれなりにしやすいです。ですがそれ以上に、寂しい。「あの先生は結局大したことを言っていないじゃないか」という結論に行きついた時、とても悲しかったです。
既存のものを考える、疑うということは、そういった哀愁をともなうのかもしれません。それと共に生きてきた場合は、特に。
自分と似たような考えを持つ人はいるか?
これも、僕が「考える」という過程で意識していたことです。
特に、同い年(当時高校生)の人の中で、英語教育を疑う人間はいるか?
答えは「NO寄り」でした。結局、先生の勉強法がその人の勉強法になっている。「別に人によって違うからいいよね」というのが僕の価値観なのですが、そこに本人の納得があるのかな…という気持ちになることも多々あります。
上にも書いた通り、人は安心を求めます。「先生に勧められた勉強法」というお墨付き、または免罪符を握りしめていれば、決して道を見失うことはないのです。
でも、それは自分の所属する社会の構造に依存します。
正しい勉強法、間違った勉強法は、社会の構造が判断するのです。九九を覚えることが「正しい」なら、暗記が正解。九九を証明することが「正しい」なら、暗記は不正解。そんなものじゃないかと思います。
そして、そういった社会構造をつくるのは他でもない私たちです。
教師、生徒、学校。それだけではありません。
「私の頃はこうだった」と指摘をする評論家、「塾に行けば成績が上がるよ」と唱える企業、「大卒なら生涯年収が上がる」と分析する学者。
「あなたが幸せになればいいのよ」という親、「勉強よりも大切なものがある」と歌うアーティスト、「青春を楽しもう」と誘う友達。
高校生のあさまんがには、もう分からなくなっていました。
何を追い、何を捨てるのか。何を受け入れ、何を拒むのか。
悩んでいれば、「そんなことでウジウジ悩んでいるのか」と社会構造が喉元に刃先を突き付けてきます。進まずして成長なし、と耳元でささやいてきます。
そんな苦しみを持っていたから、こうやって今の僕は連載をしてまで言語化をしているんだと思います。
これまでの連載を振り返る
な~んて言っていると、既に文字数が多くなってきますね。笑
でも、この連載で気付けたことが、大学での学びだけでなく、将来やりたいことへ影響を及ぼしている気がします。
軽い気持ちでnoteを始め、ゆるく始めた連載でしたが、思いのほか多くの方に見ていただけることもあり、書いていて楽しかったです。
教員になろうが、一般企業に就職しようが、この観点は捨てずに持っておきたいと思います。
連載に付き合っていただいて、ありがとうございました!
あ、これからもnoteの更新は続けたいので、暇な時間があれば見ていってもらえると僕のモチベーションにもなります。
それではまたお会いしましょう!次回もお楽しみに!