自分を無理に好きにならんでよろしい
どうも、あさまんがです。
最近、世の中って僕たちに厳しすぎやしませんかね?
何かやれば文句を言われるし、言葉尻を捕らえて炎上させられる人もいる。
それに対して、「自己肯定感」という言葉もかなりよく耳にしますね。
自分を好きになってあげましょうとか、あなたは素晴らしい人間ですよとか。やっぱり周りの人からそう言ってもらえると心は温かくなるし、少なくとも喧嘩腰にはならないですよね。
ですが、僕は同時にこう考えてもいます。
「自分が嫌いだからって、それがダメでもない」
いやいや、自分のことは好きでいた方がいいでしょ!と思った方もいるかもしれません。勿論、その考え方も大いに素晴らしいと思います。
でも、どんなに頑張っても自分を好きになれない人だっています。
かくいう僕も、その一人です。
具体的に何歳のころから自分を好きになれていないのか、そういったことは分かりません。でも確実に、自分なりの成功やモチベーションが上がるような出来事を通しても、「自分って最高~~~!!!!!」と思うことはあまりないのです。
例えば、レポートや課題などの「やらなきゃいけないこと」を無事に終えたとき、自己肯定感が高いと「ちゃんと計画も立てたしな。そのおかげで今回はうまく終えることができた。」みたいなことを考えるかもしれません。
僕の場合だと、このケースは…
「終わった~~~~~!!!!!!疲れた!!!!!!!!!」
と、「大きなイベントを乗り切った自分」ではなく「自分が乗り切ったイベントの大きさ」に意識がいくのです。やることリストがミッチミチに詰まった状態で生きるの、疲れませんか?その生活から解放されることで「全集中・水(清酒)の呼吸」を繰り出してしまいます。
んで、ここまでは別にそこまで問題ではないわけです。「頑張ったしお酒でも飲むか~」なんてよく見る光景ですよね。
この後からが本領発揮です。
「こんなに堕落した生活をしていていいんだろうか…」と考え始めます。
いきなり話が飛躍しましたね。わかりやすい図をご用意しました。
つまり、安堵したことによるダラダラが続き、自分が何もしないことに関してかなり不安になるのです。このままじゃ腐っていくんじゃないか?スマホ見て、YouTube見て、飯食って、酒飲んで寝て…
そして、挙句の果てにはこんなことを考え始めます。
「近々やらなきゃいけないことがあるのに、何もやれてない!」
ああ…自分…何をやってるんだろう…強いて言えば「無の生産」だわ…
というか、自己肯定感が高い人ってそういう時は何をしているんでしょうか?それともまず「そんなことない」のかな?
まず「自己肯定感が高い」って、なんなんでしょうか。自分のことを好きでいられること?あるいは、単に自分の行動に対して否定的な感情を抱かないでいられることなのかもしれません。
また、特に自己肯定感が発揮されるのは何かしらの失敗をしたときだと考えています。それも些細な日常でのミス。
想像してみましょう。家の電気をつけっぱなしで数日間家を空けてしまった。(僕の実体験です)
もう最悪ですよ。帰ってきたら部屋が明るいんですよ。なんなのって感じですよ…電気代がかさばることも確定だし、何より「電気を消すという基本的な動作を忘れていた自分」に対する嫌悪感がこみ上げてきます。
では、自己肯定感が高い人がこれとまったく同じシチュエーションに直面したときはどうなるんでしょうか。
「まあ、いいか!次から気を付けよう!」と考えるのでしょうか。
対して僕は、しばらく「なるべく電気をつけない生活」を心がけました。それだけでなく、結構この出来事を引きずって落ち込みました。
でも、これが悪いこととは一概に言えないような気もします。
以前にも書いたこちらの記事で、気にしすぎることのメリットについて話しました。それの二番煎じみたいなことを書きます。
なんでもかんでも楽観的に捉えるより、多少ネガティブでも「なぜ失敗したのか」「何を改善しないといけないのか」に目を向けることは必要だと考えています。
なぜなら、そうでもしないと自分のことを嫌いになってしまうからです。
冒頭で、僕は「どんなに頑張っても自分を好きになれない」と書きました。
ですがこれは、「自分が嫌い」というレベルまでは達していません。なんとか持ちこたえているような感覚です。
自分のミスを許すことはできないし、堕落した生活を続けてしまう自分に対して優しい気持ちを抱くことは難しい。そんな感じです。
それらを勘案すると、「自分が好き」というのは「ダメな自分を許すことができる状態」であるような気がします。多少の目標が達成できずとも、あるがままに受け入れられる状態です。
あと、これは大学で心理学の講義を担当されている先生がおっしゃっていたんですが、真面目な人ほど「まあ、いいか」と考えることが難しいみたいです。多分、100%の成果を求めて突き進もうとするからでしょうね。
結果として精神を病むというケースもあるようですが、裏を返せば「突き進んでいく力」は自己肯定感にかかわらず誰の中にも存在しているということだと思います。
さて、今回は自己肯定感について考えてみました。
普段はあまり意識することのない「心」についての内容だったので、だいぶ哲学っぽい記事になったと思います。もう少しポップな書き方をしても面白かったかもしれません。
そろそろ5月病の時期です。新しい環境に疲れて、体調を崩すこともあるかと思います。
そんなとき、無理にダメな自分を許容しようとしないでも大丈夫です。
「突き進んでいく力」は自己肯定感にかかわらず誰の中にも存在していますからね。