「若さ」は価値を持つのか
どうも、あさまんがです!
最近寒くなってきました。体調管理は勿論、肌や喉の乾燥にも気を付けていきたいですね。
さて、今回は「若さ」がもたらす価値についての思考を皆さんにお見せします。ここ数年、若者の活躍は分野を問わず取り沙汰されていますね。(スポーツや学問、ビジネスなど…)
「高校生社長」なんて言葉もありますしね。それだけ行動力を持った方も多いんだと思います。
少し固い文章になってしまうかもしれませんが、リラックスしてお読みください。笑
若い「のに」すごいのか?若い「から」すごいのか?
例えば、ある19歳の大学生が新規に事業を立ち上げて成功し、瞬く間に有名人になったとします。
この時、周りの人の反応としては
「まだ大学生なのに(若いのに)、すごい人だ」
のような感じではないでしょうか。確かに、勉強で忙しいはずの大学生が新規事業を成功させるというのはすごいことです。
若い「のに」、自分で色々とできたことへの賛美を送るわけです。
ですが、仮に成功したのが大学生ではなく40歳の人だったら反応はそのまま変わらないでしょうか?程度はともかく、人によって評価が分かれるかもしれません。
ある人は「経験を生かすのが上手だな」と感じるかもしれません。
またある人は「40歳にもなって定職にも就かずに何をしているんだ」と非難するかもしれません。
後者は、先ほど例として挙げた大学生に対しては、若い「から」失敗を恐れずに挑戦したことへの賛美を送るといえます。
やっていることも、成功したという事実も同じなのに、年齢によって評価が変化するのは興味深いです。
若者がベテランと肩を並べたときに
ここから言いたいことは、なんとなく予想がつく人も多いかもしれません。
「若造が生意気だな」と思われることも往々にして起こる、ということです。これは昔から言われていることではありますけどね。
やっぱり、自分より若い(=幼い、年齢が低い)人が社会で活躍していることを面白く思わない人もいます。別にそれは不自然なことではないです。
ですが、若者が失敗したとき、いわゆる「ざまぁみろ」精神で徹底的に叩かれてしまうと、これは大きな問題につながります。まるで剪定をするかの如く、文字通り根絶やしにしていきます。
Twitterなどで誹謗中傷を書き込む人の中には、ある程度の社会的地位を手にしている人もいるという記事を見かけたことがあるのですが、そういった人たちはもしかするとこの「ざまぁみろ」精神が心のどこかにあるのかもしれません。
誹謗中傷を書き込んでしまう人たち。まぁまぁ。「大人」になりましょうよ。
自分が「若者」でなくなる日
僕は今、20歳です。成人したてで、世間的には若者と呼ばれます。
しかし、どんなに嫌でも年を取り、いつかは若者ではなくなります。
その時に、「若さ」の持つ価値、失敗への免罪符を失うのか、はたまた別の何かに昇華させることになるのか。それは誰にも分かりません。
よく「若いうちにたくさん失敗しろ」と言われます。若いうちに経験を積むことが大切ということでしょう。ですが、その若さにとらわれていると、むしろ考え方が凝り固まって、「若者」ではなくなってしまうかもしれません。
僕は、自分が若者だという自覚こそあれ、特に若いから何かをしよう、という強迫観念はありません。ただ、やりたいことがあればやります。
あ、文章が堅苦しくなってきたので言っておきますけど、学割とかはガンガン使います。笑
学生は大盛り無料とかになるご飯屋さん、大好きです。笑
いつかはそのサービスも使えなくなるのか…たくさん大盛り頼んじゃお!
あとがき
自分で記事を書いていてムズムズしてしまったので少しおちゃらけましたが、若さの価値について、考えたことを書きつらねました。
思い立ってから1時間くらいでサラサラ~っと書き上げちゃったので、文章が不自然なところもあるかもですが、「若気の至り」ということでご容赦ください。笑
今はコロナ禍の影響で地元に帰れていませんが、食堂やラーメン屋さんで大盛り無料のサービスが受けられるうちは、「若者」として振る舞っていくつもりです。
今「若者」の皆さんも、かつて「若者」だった皆さんも、「若さ」の価値について考えてみると、これからの生き方に繋がる発見があるかもしれませんよ!
あと、最近スキを頂く回数やフォロワーさんの数がかなり増えました。僕と出逢ってくださって、思考を覗いてくださってありがとうございます。
では、次回もお楽しみに!