彼は歩く本棚だが、1人きりでは走らない。
どうも、あさまんがです。秋がベニヤ板くらい薄くなって、あわてんぼうのサンタクロースよりも冬が早く来てしまったような、そんな気温が続いている気がしてなりません。
ただ、そんな寒さも嫌いではない(むしろ好き)なので、冬にする換気が実は楽しかったりもします。空気は冷たい方が、新鮮な感じがするからです。
大学に向かっていても冷たい風を受けるのはまんざらではないし、到着してから友人と「う~、さむっ。」と言い合うのはどこか風情があります。
そこから話し始めて、気温とは対照的にどんどん熱くなって語り合いに発展するのが楽しみな今日このごろです。友人との語り合い。人間に与えられた特権じゃないかな。
さて、今回は僕が「語り合い」に対してそんなことを思えるようになったきっかけをくれた、ある人物について書こうと思います。
彼は僕の「ありがとう」に感謝した
彼との出会いは高校1年生のころ。当時の僕は高校に入学したばかりということもあって、最初のうちはあまりクラスの人と話せませんでした。
ですが、担任の先生が「匿名でクラスの誰かを褒める手紙を書く」という企画を定期的にやっていて、徐々にクラスの人とも仲良くなっていきました。その先生には本当に感謝しています。
少し月日は流れ、はじめての中間テスト後のこと。いつものように、上の匿名褒めイベントで自分を褒める内容の手紙を受け取りました。すると、そこに書かれていたのは紛れもないりょーやの字でした。
彼の書く字は独特で、一目ですぐに分かります。そしてその字で書いてあった内容に僕は驚きました。記憶している範囲でですが、
「数学を教えたとき『貴重な時間をありがとう』と言ってくれて君は素敵な人だと思った」
という旨が書いてあったのです。確かに、数学があり得ないほど苦手だった僕は、テスト前の放課後、彼に「数学を教えてくれ」と頼んで教えてもらっていました。
流石に自分が一筋縄では理解できないことが分かっていたので、一通り教わったあと、彼に「貴重な時間を使って教えてくれてありがとう」と伝えました。
そのことを、彼は覚えていたのです。僕が何気なく言った言葉が、彼の気持ちを癒すことができたのだと嬉しくなりました。
そんな風にして、高1のころからりょーやと話す時間は増えていきました。
ド素人の高校生5人、野菜を育て始める
高1の冬、彼は僕を含めた同じクラスの4人を巻き込んで「水耕栽培」を始めました。
その時彼が言っていたのは「日本の空き家問題を、水耕栽培を用いて戦略的に解決できるぞ」的なことでした(りょーや、間違ってたらごめん)
しかし、野菜を本格的に栽培したことのない僕たちは、様々な失敗をしました。特に自分らでも笑っちゃったのは、生物室で水耕栽培をするも、夏休みの教室の暑さで作物が全滅したときです。
ぐったりとしおれた小松菜(水菜だったかな)を見たときは、なんだか鴨長明が無常観を説きたくなる気持ちが分かるような気がしました。
また、僕は高校でサッカー部のゴールキーパーをしていたのですが、練習でドロドロになり、休憩時間にはぐったりしていることが多かったです(何度も横っ飛びをすると疲れる)
すると、グラウンド近くの生物室から、ポン酢と収穫した水菜を持ったりょーやたちが近づいてきて、僕に食べさせてくれました。
その時僕は思いました。「やべー奴らだ・・・」
自分含め、どこかでぶっ飛んだ考え方をしてしまう人しかいなかったので、不思議には感じませんでした笑
でも、そんな彼らと一緒に高校近くの公園で語り合ったり、金欠すぎて120円のかけうどんを割り勘して天かすをかけまくって食べまくったり…
きっと、僕はずっとこの笑い話を色んな人にしていくんだと思います。それくらい、僕にとって大切で楽しい思い出なのです。
生物同好会に昇格してもスタンス変わらず
2年生になってからは、水耕栽培をするための費用の捻出が厳しく(上に書いた通り金欠の中活動していましたから笑)
そして、(のちに顧問になる)先生の勧めで正式な同好会になりました。部費が使えるようになったのです。
しかし、りょーやはまったくスタンスを崩さず、突き進んでいきます。
それが顕著に出たのは文化祭の時。僕らは活動場所である生物室を、「研究内容を掲示した休憩室にしよう」という案を出し、準備していました。そこで出した生物同好会渾身のアイデアが、
ドクターフィッシュを展示しよう!
嘘でしょ、って感じですがほんとです。僕たちは野菜を水耕栽培していたのに、いきなり魚を展示しました。しかも水槽に入れるオブジェを100均に探しに行き、寿司のオブジェを買いました。
しかし問題はドクターフィッシュ。値段が他の魚に比べると少し高く、部費をほとんど使わないとそれなりの数は揃わないのです。
結論から言いますと、りょーやはかなりの部費を使ってちゃんと多めにドクターフィッシュを買い、顧問の先生をちゃんと怒らせました。一連の流れを聞いた時、本当に笑いました。その後も水を入れ替えるために水槽を持ち上げると、ガタついて床にこぼしたり…。生物同好会には憎めない点が多すぎます。
余談ですが、当時の活動はとても緩く、メンバー全員の共通の友達もたくさんいました。なんなら同好会のメンバーよりその友達の方が多かったし、生物室に来る頻度も高かったです笑
語り合うか、お菓子を食べるか、黒板に落書きや大喜利を始めるか。もちろん研究もしていましたが、くだらない話をたくさんできる、楽しい空間でした。
卒業後、それぞれの道へ
そうこうしているうちに卒業。りょーやは大学進学で富山へ行き、僕も県外にある祖父母の家で浪人生活をスタートさせました。
そして、卒業後最初の夏にりょーやがたまたま東京に来る用事があったので、日暮里で会うことになりました。
日暮里で朝マックをしつつ、たくさんの話をしました。お互いの現状やこれからの悩みなど…朝マックの時間が終わるくらいまでは話していたと思います。
そのとき、彼は彼自身で事業を始める意志があることを語っていました。そもそも、高校に在学していたころからそれは知っていたので、別に驚くことはありませんでした。
しかし、高校の頃よりも明らかに解像度が上がっている。より具体的に、より現実的に「夢」を「目標」にしていたのです。
その後、お互いの場所へ戻ってからも定期的に連絡は取りました。
彼はびっくりするくらい読書家で、中学生のころから累計すると平均的な人の一生分くらいは本を読んでいると思えるくらいです。
しかも、人脈を広げるのも抜群にうまく、話を聞くのがとても面白かった。夢を語っているのだけど、それがじきに現実になりそうな感じが本当に強くあった。浪人していた僕にとって、希望をもたらしてくれるような存在でした。
そして、僕は入試に合格し、大学に進学することができました。新しい環境に戸惑いながらも、楽しんでいました。
一方りょーやは、大学を休学してライターとしてのキャリアをスタートさせていました。
そして今年の6月、彼は僕に「パーソナルライティングを進めていくメンバーとして力を貸してほしい」と言ってくれました。高校の頃から彼を知る僕は、「りょーやがやることなら面白いに決まっている!」とすぐに首を縦に振りました。
パーソナルライティングを簡単に説明すると、対話と執筆を通して、普段考えていることを言葉にして発信するお手伝いです。詳しい仕組みは下の画像を参照してください。
そして今に至るまで、パーソナルライティング事業に参加しながら色んな経験を積ませてもらっています。彼の目標を現実にしていく手伝いができるなんて楽しいことこの上ないです。
「夢」が実現可能であるという証明を、僕は目の当たりにしている
そして、今月からりょーやはクラウドファンディングを始めました。
パーソナルライティングを通して、社会をもっと良い方向に進めていきたい。りょーやのそんな思いが込められたクラウドファンディングです。
僕は彼のこれまでの経験、そしてそこから抱いた夢、夢を追いかけていくうえでの葛藤や苦労など、すべてを近くで見てきました。だから、全力で応援しています。そして、彼に関わる人にも僕のように希望を抱いてほしいと思っています。
高校生の頃のりょーやが僕を巻き込んだことで、僕の人生には様々な面白い出来事が起きました。今度は僕が、この記事を読んでいるあなたを巻き込む番だと思っています。
ここまで記事を読んでいただいた方に、彼を見守り、応援してほしいのです。ただそれは、「クラウドファンディングで支援をする」だけではありません。
拡散をしてくれるだけでも、心のどこかで祈ってくれるだけでも、それはりょーやにとって心強い「応援」になります。
僕の仲間であるりょーやは、僕の人生を面白くしてくれています。そんな彼はこれからもっと面白いことをしていくと信じています。それを近くで見られることの幸せを、これからも享受していこうと思います。
ここまで読んでくださり本当にありがとうございました!次回もお楽しみに!