言いたいことも言えないこんな世の中じゃ・毒
というように、某漫画原作実写ドラマの主人公役を演じられた俳優さんが歌っておられましたね。
僕はこの曲がとても好きです。まっすぐな歌詞は、何か難しいことを考えずに「感じる」ことができますからね。リンク、貼っておきます。
さて、そのドラマというのは、1998年に放送されていました。(その後、現代版アレンジとして、演者を変えて2012年にも放送されています)
その当時から中高生の苦悩や葛藤を捉えた歌、という認識をされていたんじゃないでしょうか。少なくとも僕はそう思います。
でも、その歌詞は現代を生きる僕にもしっかりと刺さります。
すなわち、やっぱり今もまだ「言いたいことも言えない世の中」…ってコト!?
どうしても遠慮しがち
今に始まったことではありませんが、特に日本では「出る杭は打たれる」「空気を読む」という言葉があるように、奥ゆかしさが美徳とされることはちょこちょこあります。
それに抵抗するように、TwitterをはじめとしたSNSやテレビ・電車などの広告が「言いたいこと、言っちゃえよ」ということが喧伝されているような気がします。
人間ですから、やるなと言われたことはやりたくなります。
ましてや、抑えていたものが「社会的な動き」という大義名分のもとに解放できるのであれば、色んな人が今までの鬱憤を晴らすように叫び始めるのは自然な事ですよね。
ただ、そんなことは分かっていてもそう簡単にはいかないものです。
例えば友達から相談を受けているときに「いや、そこはそうしない方がいいでしょ…」と思っても、その場で言わずに黙っていた経験、ありませんか?
あるいは、会議や3人以上での話し合いで、「このタイミングで自分の考えを言うと、話が進まなくなるな」と思って聞き役に徹した経験、ないですか?
色々な思いが頭をよぎり、黙ってしまう…そんなことが多いのではないでしょうか。
個人的には、特に「場のスムーズに回す」ことに重きを置く人が陥る可能性が高いと思います。俗に言う「コミュニケーション力の高い人」ですかね。
じゃあ勇気を出して言ってみたらどうなるん
では仮に、勇気を出して「自分はこう考えてるんだ~!」と言ってみたとしましょう。
たとえ話の流れを切ってしまうとしても、目の前の相手に自分の意見を伝えてみます。その時、受け手である話し相手はどう受け取るか。当たり前ではありますが、
①しっかりと受け止めてもらえる
②なんか嫌そうな顔をされる
③そもそもちゃんと聞いてもらえない
①の反応なら、「勇気を出したかいがあったな」と思えるはずです。②は、いくら嫌な顔をされているとはいえ、勇気を出している時点でそれなりに「嫌だと思われるだろうな」という覚悟があるはず。
問題は③です。インターネットのどこかで「好きの反対は嫌いではなく無関心」という言葉を聞いたことがあります。
「嫌い」という感情は少なからずその対象に関心が向いているから生じるものです。本当にどうでもよいなら、何の感情もわかないはず。(というか無視しますよね)
つまり、自分の意見をちゃんと聞いてもらえないとなると、「私の意見はどうでもいいってこと…?」と感じてしまいます。
そういった経験をすると、あまり言いたいことは言えなくなると思います。
やっぱ話してるからには聞いてほしいじゃん…
言いたいことを言うために
そこで、考えられる手段は2つ。
自己満足でいいからとりあえず「言う」か、相手にも言いたいことを言わせて、自分もそうするか。
前者は、コミュニケーションとしてはかなり一方通行になると思います。それに、自分の意見に自身がないと難しいかもしれません。
となると、多くの人にとっては後者の方が現実的なやり方です。相手と「言いたいことを言える関係性」を構築しておくのです。
もちろん、一朝一夕でこの関係性を作り上げることはできません。長い目で見たときに、信頼されるに値する振る舞いをしなければなりませんからね。
そのために必要なのは、冒頭に紹介した歌にもあるとおり、
という姿勢です。まずは自分の中に確固たる「言いたいこと」を持ちたいものです。
追伸
最近、創作に対する意欲が下がっていたのですが、それは課題やバイトでいっぱいいっぱいになっていたからだと思っています(思いたいです)。
春休みに入ったので、ぼちぼちと交信をしていければいいな~と。
マイページ更新にはなると思いますが、これからも思いのたけを徒然なるままに綴っていきますので、よろしくお願いします。