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秋の生存報告~読書感想文を添えて~

どうも、あさまんがです。前の記事で「また執筆をやり始めます」とのたまっておいてこれです。どうかお許しを…

今回はタイトルがすごいことになっていますが、言い訳を書く記事ではありません。というよりは、記事を書いていない間、どんなことを感じていたかをひたすら述べていきます。

一人暮らし謳歌!

喜怒哀楽の「喜」から。実はあさまんが、夏休みが始まる前に大学近くにアパートの一室を借りることができたのです。

半ば強引に進めましたが、父がしっかりと母を説得してくれて、今では母もある程度理解は示しています(かなり戦略を練りました。いずれこの戦略をうまく記事にして、受験後の高校生とかに読んでもらいたいな)

そして、今は月一のペースで元居た祖母宅に戻ったりはしつつ、基本はアパートで悠々自適に過ごしています。これはよかった。何がいいかというと、思い立った時にすぐ本を読んだりできるのです。これは本当にいい。

また、一人暮らしを始めた学生にありがちですが、親のありがたみを知った。

ここ数年、さんざん母親には負の感情を抱いてしまうことが正直多かったのですが、やはりある程度物理的な距離をとると、ありがたみはしっかりと分かりました。

「母親を恨まずに済んでいる」というのは、僕にとって幸せです。

あと、自炊の楽しさに気付いた。野菜を切っている時の感触、料理が完成に近づいていく高揚感。決して豪華な手料理を作れるわけではないけど、それでも楽しめているので、オッケー!!の精神で自炊してます。

所属するコミュニティのはなし

現在、僕が所属しているコミュニティがいくつかありまして、

①大学の同学部・同専修

②大学のサークル(副会長やってます)

③高校からの仲間であるりょーやが進めている事業

どのコミュニティでもそれぞれ違った楽しさがありますし、大学生活は充実しているといえます。

特に③に関しては、「教育学部の実習で忙しいから…」とインターンをすすんで受けようと思えずにいた僕にとって、教育業界ではないところからの学びを得られるので、①や②とは違ったベクトルの成長ができていると思います。

しかし、この成長が大学生活にも影響を与えています。例としては「誰に何をしてほしいのか明確にする」「自分への連絡に対する反応をなるべく早くする」などです。

社会人の方々からすれば当たり前なのかもしれません。しかし、それをうやむやに、なあなあにしてしまっている自分が居た。

そのことに気付き、実践に移そうという気持ちになれた。それだけでも大学1年生の自分よりは成長できているんじゃないかな、と。

まず、彼に声をかけてもらえた時点で嬉しかったのと同時に、「きっと彼がやるなら面白くなるだろう」と直感的に思いました。笑

色々とあったものの、今まで話したことがないような人と話すことができ、僕の思考のしかたが豊かになったような気がしています。

バカの壁

さて、少し固い話が続いていますね。脱力していきましょう。ここからはくだけた敬語を盛り込んでいきます。

最近、大学の生協で本を買ったのですよ。

大学生のうちに、「題名は聞いたことがあっても読んだことがない本」を読もうと思い、養老孟司氏の著書である『バカの壁』という本を買い、読みました。

一応リンクを貼りましたので気になった方はどうぞ。笑

最初に抱いたのは、「理路整然として読みやすい文章だな」という感想でした。あまり突っかかりがなく、スッと入ってくる感じです。

僕なりに「壁」というものの解釈を話しますと、「壁」というのは今風の言い方でいうと「フィルター」になるのかな、と思いました。

情報化社会だなんだと叫ばれる中でさえ、僕たちが見る情報は「見たかったから見た」ものなわけです。それを引き起こすのが「壁」であり「フィルター」なんじゃないかと思います。

久しぶりに一気読みをした本でした。ところどころで、自分が考えたことがあっても深いところまでたどり着けなかったようなテーマを論じていて、「ここまで深く考察できるようになりたい!」と思わされました。

なるべくネタバレをしないようにしたくて、どこまで言えばいいか分からない…(小声)

ともかく、久しぶりにしっかりと読書をすることができ、考えることも出来ました。忙しさを理由に読書できていなかったので、これからは読書の時間を確保していきたいです。

「主観と客観を分けて考えましょう」

最近よく耳にする言葉ではないでしょうか。

つまるところ、自分の意見に説得力をもたせるためには「客観性」というものが必要で、それは誰が見ても「うん、その通りだ」と思える事柄や具体的な数字が引用されることが多いです。

確かに、「私は○○だと思う」「いや、こうでしょ」とかばかりの文章では、某有名人みたいに「それってあなたの感想ですよね?」という人が出てきます。

これは例えば、学会での発表やビジネスの定例会議など、物事を合理的に考えて進めていくときには大切だと思います。

ですが、あえて主観と客観に対して厳密になりすぎない、ということをしてもいいのではないでしょうか。理由は簡単。言いたいことも言えないような、「POISON~♪」状態になってしまうからです。(古いかな…?)

そもそも「客観性」を生みだす要素だって、現時点では一般的に受け入れられていることだけれど、それに客観的な内容を見出しているその姿勢はすでに「主観的」なわけです。

「この数字は真である」と認識した時点で、それは主観では…?

そんなことを考える事が増えてきました。とはいえ、これに対する反論はたくさんあるでしょうし、これを押し通す気もありません。

強いていえば、場面に応じてしかるべき態度をとっていく、くらいの気持ちでいればそれで大丈夫だと思います。

例えば、「主観と客観を分けて話してくれた方が話が理解できる」という人もいるはずなので、そういう時は両者を切り離して論理を組む。ということです。(ちょっとややこしいかも)

あとがき

久しぶりの執筆と言うこともあって、かなりゴチャゴチャとした文章です。

あさまんがの独り言が編纂されたものだと考えてもらえればうれしいです!笑

暇な時間を作って、そこで記事を書いていきたいのですが、まだまだなれませんね…色んなことを試して、記事の更新頻度を高められればいいな!

ここまで読んでいただきありがとうございました!またお会いしましょう!

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あさまんが
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