ゲーミフィケーションと人生満足度 (1)
最近よく思っているのが、どれだけ世の中にコンテンツが溢れても人間は本当の意味で幸福感を得られない。言い換えると、マズローの欲求段階でいう自己超越の欲求は満たされない。さらに言い換えると僕を含め人間は、金と時間の使い方が下手とも言える。
因みにマズローの欲求段階って5つじゃないのかよって人もいると思いますが、この6つ目は、マズローが晩年に発表したものだそうです。
どんなものかというと、
「目的の遂行・達成『だけ』を純粋に求める」という領域で、見返りも求めずエゴもなく、自我を忘れてただ目的のみに没頭し、何かの課題や使命、職業や大切な仕事に貢献している状態
です。ちょっとスピってますね笑。
でも感覚は分かります。これって結局、フロー状態、スポーツでいうゾーンなんだと思います。
フロー理論とは
僕もスポーツや対戦ゲームにハマっていた時は数ヶ月間記憶がぶっ飛ぶくらい没頭していたし、ある種ヤク中みたいな状態になっていました笑。
はい、話を戻します。
結局、コンテンツ消費で一般的に満たせるのは、疑似体験としての社会的欲求や承認欲求、自己超越欲求で、当事者として成長を望むものでもない限り本当の意味での自己超越の欲求は満たされないと思っています。Youtubeを見続けると、だんだん気だるさや虚しさを感じてくるやつです。
その一方、イタリアの山奥で、毎日朝の乳搾りから始まり、数マイル先の小屋まで牧草を運ぶ人や、誤審で35年以上囚人生活を送っていた人が自分の生活や取り組みに、この上なく幸せを感じていたりする。
つまり人生とは、自分が世界をどう行った色眼鏡で見るか、ある行動に対して、何を感じ、どう考えるかでいくらでも変わってくる。言い換えると、行動に対して、フロー理論で書かれている捉え方ができれば、自己超越欲求が満たされ幸せになる、と僕は考えています。
そこで本題のゲーミフィケーションですが、長くなってしまったので、次回書こうと思います。