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目と耳と頭で楽しむ

 最近、すごく早起きになって、昨日は4時前に起きて、小説と詩をちょっと直して、息子のお弁当作って、娘と息子を送り出して、2階の部屋の片づけ、掃除などをして、noteを書いた。
 井上ひさしと丸谷才一、それぞれの『文章読本』を読んで、井上ひさしのほうは昭和59年、丸谷才一のほうは昭和52年に出版されているので、年代が近いといえば近い、7年の開きがあるけれど、書かれている内容が重なっている部分がいくつかあった。
 どちらの文章読本も、日本語と英語英文を比較している箇所がある。
 井上ひさしのほうでは、ローマ字国字論について書かれている。日本語の表記に使用する文字をローマ字にすべきだという主張および議論のことだ。
 井上ひさし『文章読本』のp118から引用

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 (前略)……母音(a,i,u,e,o)が大活躍する言語なのだ。そして大切なことは、a,i,u,e,oが、まるで申し合わせでもしたように「中肉中背」である。(b,d,f,h,k,l,t)の如く、上部へ突き出していない。また(g,j,p,q,y)の如く下部へ垂れ下がってもいない。特徴がないのだ。日本語をローマ字にすると、この特徴のない、中肉中背の活字がぞろぞろ並ぶから、語を形態〈ゲシュタルト〉として知覚することが難しくなる。

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※〈〉内は、本文では「形態」のルビにふられていました。
 
 丸谷才一のほうの『文章読本』には、第十一章「目と耳と頭に訴へる」の中で「現代日本の文章は、漢字と片仮名と平仮名、この三種類の文字をとりまぜて書き記すのを通例とする。これだけでも大変なのに、場合によってはローマ字まではいるのだから、厄介なことこの上ない。」と書かれている。

 大変だけど、逆に言えば、日本語は、目でも耳でも頭でも楽しめる言語だ。
 楽しい、は、たのしい、でもいいし、タノシイ、でもいいし、tanoshii、でもいい。
 小説の中でも詩の中でも他のさまざまな文章の中で、漢字か平仮名か片仮名かローマ字を選ぶことができる。漢字ばかりの文章なら、ページの色合いに黒が増えるだろうし、片仮名ばかりにすれば白っぽくなる。同じ文章を読むにしても、文章が表す意味そのものの受け取る感覚がだいぶ変わるし、作者はなんでこの表記を選んだのか? ということも考えるから、意味以上の意味を表現できる。

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