歴史の闇と、『もののけ姫』。(下)
いつもご覧いただき、ありがとうございます。
さて、前回『もののけ姫』(中)に引き続き、『もののけ姫』(下)です。
ということで、先述したアシタカが呼ばれた『鬼だ…』という言葉、「鬼」についてから始めたいと思います。
6. 鬼と鉄
古くは、鬼は「~童子」と呼ばれていることがありました。
例えば、近畿で有名な「酒呑童子」という鬼がいます。
酒呑童子は近畿を代表する鬼の頭領であり、色々遍歴があるようですが、最終的に京都の大江山あたりに住むようになって、副頭領の茨木童子は大阪の茨木に住んでいたとかも言われます。
で、言い伝えによると、この童子って結構男前だったそうです。
超モテモテで、恋文が絶えなかったと言われるぐらいです。
でも、本人は興味なくて、どんどんラブレターを焼いていたら、その呪いで鬼になったとか。
んなアホな。笑
これは後の時代のかこつけでしょう。
もともと、鬼を「童子」と呼んだのは、童の文字が「社会の道理が分からない者」であるから、と考えることもできます。
しかし、昔の人がわざわざそんな事を考えて「鬼」呼んだとは考えにくい。
むしろ、童子というのは彼らの見た目が「子供」と変わらなかった、つまり、髪の毛を成人のように整えていなかった、のでしょう。
これは、朝廷や国家とは違う身なりをした、一つの民族であったという意味と考えられます。
そのため、着目すべきは、「酒呑」とか「茨木」という「あざな」の方です。
アラハバキ神と同じく、鬼と呼ばれる部族は、鉄や鉱山に関連したものが非常に多いんですね。
そのため、先ほどお話しした酒呑童子も、元々は朱丹童子(シュタンドウジ)だったのでしょう。
朱丹とは、当時使われた赤の染料である丹(に)のことですね。
これは、辰砂(しんしゃ)という鉱物で、化学的に言えば硫化水銀です。
別名「賢者の石」などとも呼ばれ、古墳時代の銅鐸や銅鉾にも施されたの金メッキ技術「消鍍金(けしめっき)」(金アマルガム法)などにも使われた、真っ赤な鉱石なんです。
つまり、酒呑童子は金メッキ職人みたいな感じだったのでしょう。
そして、辰砂の色から、「赤鬼」となった、と考えられます。
また、その部下とされる茨木童子も、製鉄のための火を焚くための「イバラキ」から来ているかもしれません。
すると、鉄の原料となる真砂が青いことから、「青鬼」。
そして、製鉄された鉄が黒いことから、「黒鬼」。
ということで、民話に出てくる赤鬼、青鬼、黒鬼が出揃っていったのかもしれません。
すると、鬼と鉄は、切ってもきれない縁で繋がってると言えますね。
また、彼ら童子はもともと越後の出身と言うことからも、アラハバキの系列である可能性もあります。
しかし、彼らは最終的に大和朝廷によって往々として征服されてしまいます。
大和朝廷としては、「彼らをぶっ殺しても製鉄(や特殊)技術が欲しかった」ということかも知れません。
もしくは、「製鉄技術を持つヤツが、敵になったら困るから殺そう」ってことも考えられます。
もしかすると、彼らを成敗する物語が「財宝を取り戻す?」と言う「桃太郎」の原型になったのかもしれませんが、ここでは詳しくは突っ込まないようにしていきます。
7. エミシの民
さて、長くなってきたので、一度ここまでの考察をまとめてみたいと思います。
①『もののけ姫』は、歴史の闇に葬られた数多くの人たちをアニメとして蘇らせている
②アシタカの一族や「たたら族」は「アラハバキ神」と関係しており、朝廷などの権力構造とは異なった系譜にいる人たちである。
③「アラハバキ神」にまつわる者たちは、鬼と総称されることがあり、鉱物や製鉄技術のスペシャリストであった。
ここで、もう一度、主人公のアシタカに戻ってみたいと思います。
アシタカは、映画中でも「エミシの一族」と呼ばれたりします。
漢字では蝦夷(エミシ)と書かれたりしますが、決してアイヌ民族に限っている訳ではありません。
『日本書紀』にも出てくる民族で、(当時でも刺青をしていたらしい)日本古来の民族と呼ばれます。
狩猟を中心として、武術を磨くことを生業にしてたので、それは強かった。
一人で百人ぐらいの戦力になったと言われます。(日本書紀)
まるでアシタカですね。
しかし、エミシは、あまり戦争は好まなかった感じがあります。
もちろん戦争もありましたが、どちらかと言うと圧政に対する反乱戦争がほとんどです。
また東北の気候もあってか農業は決して発達しておらず、度々食料に困っていたようです。
そこで、朝廷側は米や布を交換したりしながら、エミシを取り込んでいきました。
そして、200年かけて、戦争などもありながら、エミシは岩手や秋田あたりに追いやられます。
そのうち朝廷と仲良くしたエミシを「俘囚」(ふしゅう)と呼んだりしました。
この俘囚らは朝廷を繋がりを持ち「奥州藤原氏」などになった、と言われます。
ちなみに、彼らは砂金を交易の手段にしていたそうで、これもアシタカの持ち物に現れていますね。
また、歴史上その存在はたびたび現れています。
承平の乱(930)の頃、地方の富豪層が力を持って来た時代です。
平将門とか、関東や関西の海賊である藤原純友が朝廷の権力に対抗して、独立戦争を行ないました。
その裏には、エミシを含む漂白民の一族の存在もあったと考えられ、決して東北ばかりにいた訳ではなさそうなんですね。
その後、エミシが参加したり戦い合った思われる前九年の役、後三年の役と戦乱が続いたあと、鎌倉時代へと入る最中、エミシは歴史の表舞台からその姿を消します。
なぜでしょう?
もちろん、俘囚として律令政府の元に入って消えていった人たちもい流でしょうし、東北で息をひそめたり、北海道へと渡ったとも考えられます。
そして、もう一つ、推察の域を出ませんが、「ニンジャ」として特殊技能者の祖先になっていたのでは、とも考えられます。
というのも、当時、鎌倉時代に入る前、朝廷とも漂白民との間にあった、もう一つの派閥が、仏教です。
そのうち、おそらく隆盛を極めていた「密教」は、仏教の派閥の一つですが、日本神話とかなり混ざっているんですね。
そして、神話と仏教が合体しつつ、その修行的正確から「修験道」と呼ばれるようになりました。
密教のうち「修験道」は、最近よくある仏教とは違って、自己鍛錬の塊みたいなところがあります。
大阪の付近であれば、比叡山から金剛山まで(118.5km)を平気で1日かけて走り抜けてた、とか言うんだから、異常な体力です。
そうやって山を越えつつ、滝に打たれて修行する荒業を行ったりするのが修験道です。
現代においても、高野山ではいわゆる「阿闍梨」さんが苛烈な修行を行い、護国鎮護を祈られたりしています。
かなり激しい修行ですので、普通の農耕民族の出身者がわざわざ行うとは考えづらいんですね。
それに、忍者の里として知られる甲賀や伊賀は、もともと修験道でした。
ということは、エミシが修験者となり、その結果、忍者のハシリとなった考えるのが妥当なんですね。
つまり、『もののけ姫』のジコ坊なんかは、忍者の原型を描いていると考えられます。
余談ですが、修験道や密教は、剣術などの開祖にもなったようです。
文献はほとんど残されていないようですが、僧が広めた京八流、神官が広めたと言われる関東七流というものがあるそうです。
このうち京八流の一つ義経流は、源義経が鞍馬で修行中、鬼一法眼という天狗に剣を学んだことから始まったと言われています。
ここにも「鬼」という言葉があるように、この頃すでに修験道は忍者のような活動をしていたのでしょう。
一体どんな剣術だったのかは不明ですが、義経が持っていた車太刀を見る限り、なかなか優れた殺人術だったと見受けられます。
そういえば、宮本武蔵やその父なんかも、剣術の一環として手裏剣を学んだりしていたそうです(竹内流)。
こうやって紐解いていくと、『もののけ姫』に出てくる登場人物のほとんどが、歴史の闇にいた人だと改めて実感することができます。
その彼らが、朝廷という何かよくわからない大きな権力によって、戦争させられている。
まさに、「大きな物語とその終焉」を描ききっているかのようです。
そしてまた、シシガミと彼らを取り巻くケモノたちも、また同じく歴史に葬られた存在です。
もう一歩、歴史の奥まで入ってみたいと思います。
8. ハヤトの民
イノシシの長である「オッコトヌシ」について、映画で彼は「チンゼイ(鎮西)から海を渡ってやってきた」と言われます。
鎮西とは、佐賀県唐津市にもその名前があり、大きく九州などことを指すようです。
そしてわざわざ「チンゼイ」という言葉を入れていることから、モロを含む「獣(シシ)」たちが、ハヤト(隼人)の民であるというような暗示をしているように見えます。
日本の民族はもともと様々な渡来人によって成り立っています。
縄文時代ですら中国韓国のみならず、東南アジアやロシア系、果てはオーストラリアまで交易があったらしい。
そして、どこの誰がどこに住んでいるのか、訳のわからない時代がしばらく続いていたと考えられます。
その後、歴史上に現れる初期の国家として、邪馬台国があり、同じ頃に「狗奴国(くなこく)」という国があったそうです。
狗(犬)奴国は、その名前通り犬狼信仰を持っていた縄文人による国家ではないかと考えらます。
というのも、縄文時代は犬を埋葬する習慣あったり、九州(鹿児島)にいた大和朝廷と反抗した部族であるハヤト(隼人)は、もともと「はいと(犬のように吠える人)」という意味も含んでいるからです。
そして、ハヤト(隼人)は『古事記』ではウミサチヒコ(海幸彦)が祖先であるとされています。
ウミサチヒコとは、渡来人であり朝廷直系の神であると考えられる「アマテラス」の系統とは異なる、土着の民であったと考えられます。
そして、ウミサチヒコと兄弟とされているのがヤマサチヒコ(山幸彦)であり、彼らの神話は「浦島太郎」の原型であると言われています。
彼らは兄弟喧嘩の末、喧嘩に敗れた海幸彦が、後に日向の南端に逃れて、その地で家族を成し、原住民の長、魁帥(ひとごのかみ)と呼ばれるようになったそうです。
すると、おそらく『もののけ姫』のイノシシ族が「ウミサチヒコ」であり、イヌ族が「ヤマサチヒコ」であると考えられます。
(また、もしかすると「ヒトゴノカミ」をもじって、タタリ神となった「ナゴノカミ」にしたのかもしれません。)
そして、彼らはもともと同じ種族として住んでいたところ、最終的に別れたことで、隼人と呼ばれるようになった、と考えられます。
また、魏志倭人伝に「日本(倭国)には丹を体(顔)に塗る風習がある」という記述があります。
これは、古墳時代の埴輪の形状が現しているように、口や目など周りに赤を塗ることで、病気を防ぐと信じられていたと言われます。
塗料には先述した辰砂を使っていると考えられ、その産地は「丹(に)を生む」と書いて「丹生(にう)」となりました。
佐賀県嬉野市あたりには、ものすごい量の丹生神社があることからも、古くから産出されていた可能性があります。
また全国各地にも(特に一定の山に集中して)丹生神社があり、和歌山には別格とされる丹生都比売(ニウツヒメ)神社もあります。
そして、丹生都比売(ニウツヒメ)神社は、修験道の原点、空海ともつながるんです。
というのも、唐留学から帰ってきた空海を高野山へ導いたのは、白と黒の犬2匹を連れた狩人「南山の犬飼」と出会い、犬に導かれて高野山へ入って、真言密教の開山となったんですね。
その狩人は、丹生都比売大神(ニウツヒメオオカミ)の子である、高野御子大神(タカミコノオオカミ)の化身だとされているんです。
これがサンのモチーフになった、と言うのは考え過ぎかもしれませんが、どうも繋がってしまう。
2匹の犬を連れているし、名前に「ミコ」ってあるし、最後に「オオカミ(大神)」ってつきますし。笑
もちろん、それだけではなく、埴輪のような面を被っていて、最初に登場するときに毒を吸い出して口の周りが赤いこと、そして化粧も赤であることから、「丹」に関係する巫女として描かれていると考えてしまうんですね。
また、この出会いが神仏習合の最初であったとも言われますので、空海はもともと彼らと繋がっていたのかもしれません。
ちなみに、『もののけ姫』の主要な動物が、オオカミ(犬)とイノシシのなのは、どちらも神の使いだからです。
これは、もともと和気清麻呂が、京の西北(戌亥)にあたる愛宕山に愛宕(大権現)神社を祀って、白雲寺を建立した時に基づきます。
このとき、方角である乾(戌亥)から、イヌとイノシシを神の使いとしたようです。
ちなみに、モロやオッコトヌシなど、獣たちの名前は駿監督の別荘がある長野の地名から取られたそうです。(大諸、小諸、乙事など)
また、シシガミの森に出てくる動物として、ショウジョウ(猩猩)がいます。
映画では、「森の賢者」とか、「人を食う」とか言われ、その名前からも、中国系の渡来民族と、カニバリズムや呪術的要素が混ざったような感じがあります。
というのも、後漢あたりの書物には、食人のレシピなんかがあるそうです、こうやって食ったら美味いとか。
宮廷には奴隷がいっぱいいたから、食べてみようってことかも知れません。
また民俗学的には、食人は決して珍しいものではなく、日本でも能として残っている『安達ヶ原』にも見られたりします。
ショウジョウが言うように、「その人を食って、その力をもらう」と言う行為ですね。
実際、チンパンジーなんかは、同族や同じサル族を食べることがあり、原因としては色々と説がありますが、基本的には配偶相手や資源をめぐる争いだと言われます。
なお、食人で有名なのは、フィジー島で、内戦が耐えなくて食人を繰り返し、食人専用のフォークまであったそうです。
また、能においても『猩猩』と言う演目があって、ここでは酒好きな赤毛の猿というのが出てきます。
赤毛の猿というとこれも支那から伝わった「サルボボ」などの縁起物、また、ユーラシア大陸に住むアカゲザルやオナガザルから来ているとも言えます。
また赤毛猿で酒飲みであることから、酒呑童子のイメージとも繋がりますし、賢者というのも渡来人と重ね合わせ手かもしれません。
このように様々な民族をモチーフとして描いたと考えられる彼ら「シシ」のトップに君臨するのが、シシガミです。
そして、シシガミを辿っていくと、『古事記』の初めのほうまで到達することができます。
ということで、いよいよ最後の考察に入っていきたいと思います。
9. シシガミ
獣の長として描かれるシシガミは、鹿の形状をして人面に近い顔をした不思議な生き物として描かれます。
ちなみに日本神話における鹿といえば、アメノカクノカミ(天迦久神)という神が『古事記』に登場します。
アメノカクは、アメノオハバリ(天之尾羽張)という神(と、その息子であるタケミカヅチ(建御雷神))の使いとされます。
このアメノカクは、アメノオハバリの交渉役であることから、神々が住む険しい山を走る生き物として、鹿とされたようです。
これが、奈良の春日大社の神鹿(シンロク)になって、今も奈良公園のシカとして親しまれているわけです。
また、シシガミは夜になるとダイダラボッチという巨人にも変化します。
アシタカのモチーフとなったと考えられるナガスネヒコも、脛が長いということで、ダイダラボッチの原型となったなどと言われます。
ダイダラボッチは妖怪の一種とされており、比較的関東を中心にして様々な逸話があります。
お話としては、山や丘、湖や池を作ったという話が多く、急な地盤沈下や隆起のことなども表現しているようです。
日本神話などで多く見られる国産みにも近い能力を持つことからも、生物を生かしたり殺したりできる、神の力を持つ対象として描かれているようです。
そして映画では、ダイダラボッチになろうとするところ、シシガミは首を刎ねられてしまいます。
しかし、このように「首を刎ねられる」神様はあまりおらず、あえて言うなれば、カグツチ(迦具土神)です。
カグツチは炎の神様で、母親であるイザナミから生まれ落ちるとき、ホト(子宮)が焼けて死んでしまいます。
それに怒ったイザナミの夫であるイザナギによって、首を飛ばされるのが、カグツチなんですね。
このとき、カグツチの首を飛ばした剣が、アメノオハバリ。
そして、そのカグツチの血から生まれたのが、雷の神、タケミカヅチであることから、タケミカヅチはアメノオハバリの子とも言われます。
先述したように、アメノオハバリやタケミカヅチの使いが、アメノカクですので、以上をまとめてみると、『もののけ姫』における、シシガミとは、昼はアメノカク、夜はカグツチなのではないか、と考えられます。
と言うのも、カグツチは火の神であるとされますが、火とは生と死の象徴でもあります。
火は、料理や鉄や陶器を作ったり、暖を取ることもでき、火を作るための動き(火打ち石など)も非常に活発で生き生きしています。
一方、炎は扱い方を間違えればありとあらゆるものを燃やし尽くし、多くの生命に死を与えます。
また、カグツチは殺されることによって、死体からも8種、飛び散った血からも8種という、圧倒的な数の神を産むことからも、死と再生を司る神とも言えるでしょう。
また、世界各地に存在する農耕神と同じく「死と再生」を表しており、多くは「不老不死」であることも、そして代表的な神(イザナギ)から殺されると言うのも、まさにシシガミのモチーフと重なるんですね。
こうして様々なイメージとモチーフが重なり合い、『もののけ姫』は作られたため、私たちはこの作品から「日本」を感じるのでしょう。
そして、作品を通して表現される『生きろ。』という、熱いメッセージを改めて忘れたくはないものだと感じます。
(終わり)