誰も教えない、『魔女の宅急便』のこと。
さて、それでは前回の『となりのトトロ』に引き続きます。
映画『魔女の宅急便』(1988年)についてです。
しかし、題字に「魔女」とあるので、まずは少しダークなお話しから始めたいと思います。
1. 魔女と魔女狩り
高校の教科書にて歴史で習う魔女と言えば、魔女狩りですね。
魔女狩りは、キリスト教の勢力が絶頂になったタイミングで起こった、最低の事件の一つです。
基本的には、異教徒撲滅です。
そのため、やってる事は最近のテロと変わりありません。
ただ、タチの悪いことに、社会的に認められたテロであったのが、問題なんですね。
テロに報酬や見返りなんかつけてしまえば、目先の利益しか考えてないヤツらはノリノリで行うわけです。
しかも、摘発した魔女は火あぶりとか色んな拷問を受けるので、今度はそれを見たさに、どんどん過激になって行ったわけです。
最終的に魔女狩りの被害者は男女含め、15世紀から18世紀までに全ヨーロッパで推定4万人から6万人。
後世に集団ヒステリーと診断されるほどの騒ぎとなり、小国であれば壊滅するレベルの被害になりました。
被害者は実質的に全員冤罪という、酷い時代ですね。
もちろん、残念ながら現代でも「魔女狩り」のような行為はあります。
ジンクスや迷信、民族レベルで刷り込まれた偏見、これはなかなか無くならないものです。
また、今でも「魔法使い」といえば、ハリー・ポッターなどの映画で出てくるような存在として思われがちです。
しかし、魔女ってもともと民間療法に精通した人のことを言ったりしました。
例えば、ハーブやクリスタル、占い(タロット)に加えて、漢方などの薬や、自然治癒に特化した医療などです。
例えば、『魔女の宅急便』で、キキのお母さんは、色んな実験器具を持ってますね。
また、部屋の中は花や草でいっぱいです。
これは、彼女が薬(やアロマ)を作っているからなんですね。
薬の知識は、昔から秘伝とも言われるほど、特殊だったり禁止された原料を使ったりします。
今で言えば、養命酒とかもそうですし、朝鮮人参や熊のキモ、幻覚系のアレコレとかですね。
そんな薬を作って販売するのが、魔女だった訳です。
しかし、そもそも薬草を取るためには、栽培や山歩きにも長けていなければいけない。
また、医療として、アロマセラピー的なこととか、ヨガ的なものやマッサージ的なものにも詳しくないといけない。
加えて、精力剤なんかにも使われるヘビやイモリ、コウモリなどを捕獲する知識もいる。
もちろん、キノコなどの幻覚剤や毒物の知識も必要です。(また「イタコ」のように降霊術もできたとかなんとか。)
つまりは、自然で生きる術を蓄えた達人だった訳ですね。
ちなみに、実在するイギリスの魔術学校(ウィザードリー科)の教科書にも、上記の内容や瞑想とか色々書いていたのを見たことがあります。
また、イギリスで多く魔女がいたとされるから、もともとケルト系の文化を受け継ぐ人たちだったとも考えられます。
ちなみに、ケルトの文明における、司祭(ドルイド)は王よりも権力が高かったらしく、実際に医療も行っていたそうです。
そんな人たちの流れを汲む人たちであれば、きっと奇跡のように病気を治してしまったりすることでしょう。
でも、これはキリスト教至上主義な人たちからすると、とっても邪魔です。
だって、奇跡はキリストや神の側だけが起こせばいいからです。
すると民間療法すら、排除の対象になってしまう。
そこで、魔女に異様なイメージをつけて、断罪しようとしたのでしょう。
これが悪化して、魔女狩りになったようです。
このうち、最も残酷な偏見は、黒ミサとか悪魔崇拝という現象ですね。
ただし、こういうグロテスクな儀式が実際に発達するのは、むしろ魔女狩りの後だったようです。
貴族たちが、魔女狩りの時に捏造された黒ミサの情報から、勝手に想像して、それこそ非人道的な儀式を行ったんですね。
割と過激な内容なので、内容はふせたいと思います。
今でも秘密裏に行われているので、検索できますが閲覧はお勧めしません。
では、話を戻しましょう。
2. 魔女とホウキ
そのため、『魔女の宅急便』みたいに、魔女はホウキで飛んだりはできません。
魔女が飛べる?のはサタンが使える魔術が原型だとか、幻覚剤の作用だと言われたりもしますが、これも不適切です。
じゃあ、なんでホウキなのか。
「長い棒ともじゃもじゃした部分のあるアイテムを、股に挟む」と書けばお分かりかと思います。
察してください。
かつて、古代ローマでも、結婚式の際に、新婦がホウキを飛び越える儀式があったそうです。
また、ジプシーや19世紀の奴隷として連れてこられた黒人たちなども、同じような儀式をしていたそうです。
これは、処女ではなくなった、または女性として社会に参入した、という意味なんですね。
まず、処女については、民族や時代によって「聖なるもの」「神様のもの」と考える一方、「穢れたもの」「使い物にならない」という真逆の考えがあります。
もちろん、これは女性の権利や地位が非常に低い時代や場所の話です。
他にも、少女が子供を産める時期になったら、王様や酋長や族長が処女を奪う(初夜権)ことによって、結婚とかができるようになる、という珍妙な風習があったりもします。
そのため、魔女のように、アレをモチーフにしたものを所持することによって、性的に自由である(男性に縛られない)とか、女性として自立しているという意味を加えているわけです。
魔女の宅急便でもホウキに乗って独り立ちする、という設定がありますものね。
簡単にいうと、男の世話にはならないよ!って意味です。
ちなみに、キキが旅立って、最初に出会う魔女の女の子は、占いをやっていて、「大変だったわ」と言いながら歓楽街へと降りて行きますね。
これもなかなか示唆的で、冷静に考えればキワドイ描写ですが、割と見落とされるところですね。
そういえば、処女のつがいとして描かれるユニコーンなんかも同じネタ繋がりです。
ユニコーンは、一角獣ですからね。
「もともとは獰猛で手がつけられないが、処女に抱かれることで大人しくなる」そうです。
まるで、男性の単純さを表現したような動物ですね。
さて、そろそろ本題に入りましょう。
3. 思春期と成人
書き忘れてましたが、『魔女の宅急便』には、原作があります。
案外知られてませんが角野栄子さんの著作で、素敵で可愛らしい物語になっていて、映画とはまた一味違います。
絵本でもあるようなので、お興味があれば、どうぞご一読ください。
映画でも原作でも、魔女は13歳になったら一人立ちしないといけないそうです。
13歳という年齢の縛りはおそらく思春期をイメージしたと思われるので、成人への通過儀礼の一つとして描いたようです。
また、映画でも黒猫の「ジジの声」を使って、キキの思春期と成長を表していたようで、宮崎監督自身もこのように語ってます。
「ジジの声は、キキが自分で作り出した幻想で、恋に落ちる事で、キキが現実と向き合って成長したから」だそうです。
原作では最後まで喋ってますので、ここは監督のメッセージ性が見えるところですね。
ちなみに、法律で「成人」が定められている国はいっぱいありますが、日本のように「成人式」があるのは限られた国です。
式ではありませんが、バヌアツのバンジージャンプとか、マサイ族のライオン狩りとか、なかなか過激なものもあります。
なお、日本において今のように決まった時期に、多くの人が集まって成人式行われるようになったのは、戦後です。
かつての「成人式」は、個々人の家や集落単位で行われており、「元服」と言われました。
また、年齢も12歳から20歳までマチマチで、指定もありませんでした。
この元服は、もともと平安時代の貴族(公家)における風習だったようです。
「元」は首を意味し、「服」は着物であることから、鳥烏帽子を被るようになる、という意味から来ました。
この時に、男子は幼名を辞めて、髪型も大人用に変えるんですね。
女子の場合だと、引眉(眉を剃る)やお歯黒をしたり、裳着(もぎ)などを行って、装いを変えたようです。
また、民間では、褌親(ふんどしおや)が初めて褌をつける褌祝いを行ったりしたそうです。
そして、この「成人」風習が、江戸時代まで続いたわけです。
ちなみに、かつて平安貴族では帽子は「下着」と同じ役割だったそうな。
そのため、帽子が脱げると超恥ずかしいため、喧嘩で帽子を脱がし合うみたいな事もあったそうです。
やはり、成人の「式」は、「性に関して大人になった」という意味合いが強いわけですね。
だからこそ、大人となると「身嗜み」が大事なんでしょう。
4. ニシンとカボチャの包み焼きパイと、謎。
ということで、魔女の宅急便に残った謎を解いていきましょう。
キキが働いていたパン屋の名前は、グーチョキパン屋だった、とかはいいとして。
まずは、最も注目すべき発言「あたし、このパイ嫌いなのよね」でしょう。
この一言で、あの女の子が苦手になった人もいるはずです。
アニメではニシンのパイは可愛く描かれていますが、ところがどっこい。
原型はかなりグロテスクです。
別名、スターゲイジー・パイと呼ばれ、かつてイングランドで冬の嵐の中に漁に出た英雄を讃えるために作られたパイです。
魔女宅の舞台はスウェーデンを参考にしているそうですが、あれはイギリスの名物ですね。
検索すれば出てきますが、まず魚の頭が、円形のパイの上に星型に並べられ突き出してます。
小さな女の子なら、トラウマになること請け合いの、エキセントリックなパイです。
ちなみにスターゲイザーとは、「星を見つめる者」という意味です。
って、魚に見つめさせてどうするよ。
内容としては、魚メインで、卵とかベーコンとかジャガイモとか玉ねぎとかをパイで包むみたいです。
パイに卵って、日本人ならあまり考えられない内容ですが、イギリス料理では普通です。
そこに、ジャガイモまで入ってくる訳です。
まず、組み合わせとしてなかなか重たいです。
炭水化物イン炭水化物に、ゆで卵が襲いかかるわけです。
その上、調味料の乏しいイングランドです。
味のバリエーションの無さで、きっと食ってる途中からしんどくなることでしょう。
もし世界一?まずいジャム、マーマイトまで一緒に出てきたらそれこそトラウマものです。
私このパイ嫌いなのよね。
わかります。
かつては7種類の魚とありったけの食材を詰め込んだ、ちょっと意味わからないパイだったようですから。
おばあちゃんが、気を利かせてジャガイモをカボチャに変えたところも、きっと優しさでしょう。
ちなみに、このパイは12月23日に食べるんだそうで、映画の設定とはちょっと違いますね。
次に、キキが恋のうちに出会う、アニメの中盤から出てくる画家の女の子、ウルスラ。
ちなみに原作には「絵描きさん」として出てくるだけで、名前も映画では出てきません。
謎の人物です。
でも、彼女が書いている絵には、ちゃんとモチーフがあります。
一部加筆されていますが、もはや、そのままと言っていいほどの絵があるんです。
あの絵の原型は、青森県立美術館にあります。
なんと八戸市立湊中学校の養護学級の生徒13名が、先生の指導のもとに制作した大作です(1976,1977年)
私もネットでしか見てませんが、それでも唸るほどの作品です。
一回でもいいから現物を見たいなと思ってます。
5. 歌と「メッセージ」
そして、最後に主題歌「やさしさに包まれたなら」です。
荒井(松任谷)由実の時代の傑作、懐メロランキングにも入る名曲ですね。
小さな頃は神さまがいて 不思議に夢をかなえてくれた
やさしい気持ちで目覚めた朝は おとなになっても 奇跡はおこるよ
カーテンを開いて 静かな木洩れ陽の やさしさに包まれたなら
きっと 目にうつる全てのことは メッセージ
確か正木晃さんの著作だったと思うんですが、このフレーズは、真言宗の開祖、空海の『声字実相義』に出てくる言葉から来ていると言われます。
かこつけかもしれませんが、なかなか面白い洞察です。
その言葉は以下の通りですね。
五大皆有響(五大に皆響きあり)
十界具言語(十界に言語を具す)
六塵悉文字(六塵悉く文字なり)
法身是実相(法身は是れ実相なり)
このままだと、意味不明ですね。
なので意訳すると、こうなります。
世界を作っている根源の要素から 音が溢れている
天国も地獄もあの世もこの世も 全ての世界には言葉に満ち溢れている
ありとあらゆる感覚だって まるで文字のように伝えてくれる
私が私であるってことは 神様がいてくれるってメッセージなんだ
実際、この5行は量子論なんかの現代物理学にすら通用しそうな話だなぁと感じたりもします。
『声字実相義』が凄すぎるので、こういう話も出てくるんでしょう。
そして、このような言葉で語られているように、私たちは本当に様々なメッセージを見落としてしまいがちです。
でも、この世界という優しさに包まれたなら、生きているということ、そして目に映る全ての事がメッセージとして受け取ることができるはずです。
今日も、正直に、素直に、謙虚に生きたいものです。
(おわり)