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森永製菓トレーニングラボを退職しました。-2-

佐賀から出る時にサプライズで地元の友達から送別会をしてもらった。あの時泣きまくったのを覚えてる。

はじまりの続き-エピソード2-


ダブルワークで働いていた結婚式場は送別会とフィットネスジムからは送別試合をしてもらった。

フィットネスジムでは室内競技のラケットボールのインストラクターをやっていて先輩インストラクターから気持ちの入った試合をしてもらった。

一旗あげるまでは、どんなことあろうと地元には帰れないな。

そんな気持ちにさせてくれる人達に出会えた。

実際に3年は帰らなかった。

帰った時は結婚の話をする時だった。

とは言ってもこの時トレーニングラボに入ることもまったく決まってなかった。

当時のトレーニングラボヘッドコーチから大学の恩師に門は開いていると言う連絡がありそれを大学の恩師が伝えてくれただけで、入れる可能性が高かったわけではない。

ただ地元で働いていた時はいずれ東京に行く気持ちがあったからその話を聞いた時に即決した。

すぐ試験受けに行きます。と。

就職先が決まってないなか東京のアパート契約はなかなか難しかった。

なかなかいいところがなく東京ではなく千葉の松戸にアパートが決まった。

その時も賃貸担当者には必ず就職が決まるとはったりをかまして契約してもらった。

今考えると、けっこうむちゃくちゃだったなと思う。

試験は面接と筆記と実技だった。

地元にいる時から実技試験をイメージしてトレーニングをしていたからデモンストレーションには自信があった。

結果2月に試験を受けて3月からインターンを1ヶ月、4月からアルバイト契約が決まった。

やっと東京で勝負が出来ると思った。

ちなみに2月に東京へ出てくる時に貯金は50万、アパート契約金、必要最低限の家電を買って残り20万円。

2月、3月、4月はインターンとアルバイト初月は給料入らないので三ヶ月を残り20万円でやりくりしないといけなかった。

アパート代、携帯代、交通費、奨学金、健康保険などを支払っていくと、生活費毎月1万円程度でやりくりしないと破綻してしまう計算になる。

毎日100円のコッペパンを食べてカロリーを取ってたのを覚えてる。

気持ちさえあればなんとかなるなと、その時もそんなこと考えながら生活していた。

最初にアシスタントに入ったのが学生スポーツだった。

大学アメリカンフットボール部でトレーニングガンガンやっているところにつかせてもらった。

正直やばいと思った。

当時身長170cm体重58kgなので大学アメリカンフットボールに入れば華奢な人だ。

トレーニングコーチと言い難い。

すぐに目標を決めて大学アメリカンフットボールでトレーニングコーチと胸張れるよう体重10kgを1年以内に行うと決めてスタッフ全員に宣言した。

それが良かった。

宣言することで本気度と逃げ道を塞いでやるしかない状況を作ったことで、先輩達から応援してもらった。

特にお金がないなか宣言しているからどの先輩も毎回食事に連れて行ってもらい大量のカロリーをとらせてくれた。

とてもありがたかった。

半年で目標は達成した。

この経験のおかげで応援してもらえる環境とそれを実行する熱量があればけっこうな壁でも乗り越えれるとわかった。

良い成功体験だった。

アルバイトから1年後、社員に昇格した。年末の忘年会の時の終わりにサプライズ発表だった。再び泣いた。そしてまた成長した。、、、、

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永代優仁 / ナガヨ マサヒト
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