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ラオス人から教わった、前に進む秘訣

「事業を運営していて苦しい時のモチベーションって、なんですか?」
と最近聞かれたときに、真っ先に「人、ですかね」と答えた。
言い換えるとそれは自分が頑張れる理由、だろうか。

「人」というのは、ラオスでものづくりをする仲間たちと、それを受け取ってくださるお客さまたち、siimeeに関わってくださって一緒にその循環をつくってくださっているすべての人たち。

中でも起業のきっかけになったラオスの人たちの存在は、「この人たちを助けたい」というよりむしろ「この人たちについていきたい」と思わせてくれている存在なのである。


ラオス人は適当とか、ゆるい。
そんなイメージでよく語られる。

確かに日本人のように時間にカツカツはしていないけど、守る時は守るし、守る必要がない時は守らない。それだけ。

以前もテレビでラオスに行く特集が放送されていたようだけど、そういう媒体で見るラオスは「未開人」みたいなイメージかもしれない。
まだまだ支援される対象、というイメージもあるだろう。
東南アジアへの一般的なイメージである、ゆるさ、言い換えれば許容の広さのようなものは確かにある。
それらを揶揄する「ラオスタイム」「ラオスクオリティ」という言葉も存在している。

でも私がラオスで出会ったのは、尊敬できる、想いを持った人たち。
この人たちのようになりたい、と思う人たちだった。

織物の生産者グループリーダーのとある女性は、この伝統を後の世代に受け継ぎながら、外へと発信していきたいと思い、ものづくりも対外的な発信もつねに挑戦をし続けている。

首都で育ち、外国文化にも触れながら育った友人は、未来をちゃんと見据えていて、ラオスの伝統が続くような土壌をつくりながら、心地よい暮らしの中でそれを世界中に届けたいという目標を持っている。

また別の友人は、ラオスの素材を、よりモダンで都会的なファッションという形に昇華させ、新しい世界をつくっていきたいと奮闘している。

書ききれないけれど、そんな尊敬すべき人たちに、ラオスでたくさん出会ってきた。

一体彼らのモチベーションや、どんどん前へ進んでいくその力はどこから湧いてくるのだろうかと思う。

私は物質的にも環境的にも選択肢に溢れた日本で育った。
何をしようにも、日本にある学習リソースは素晴らしい。何かをしようにも、そのための環境や道具はたいてい手に入る。

やろうと思えばなんでもできるはずなのに、死に物狂いで何かをしたことがあっただろうか。

ラオスで前を向いて頑張り続けているラオス人の友人たち。
そのエネルギーも、知性も、行動力も、いつも度肝を抜かれる。
私はそんな彼・彼女たちを心から尊敬し、あこがれている。
私もこんなふうになりたい。私のロールモデルなのだ。

ラオスは、学ぶ土壌が少ない。
ラオス語の書籍はかなり少ないし、世界標準の専門学校なども正直ない。
タイ語がラオス語と限りなく近いのでタイ語のリソースを利用できるのは幸いなのだが、それでもやはり限りがある。

そのような状況下で、自分で考え、行動し続け、前に進む。
その姿勢は、いつも私の心を突き動かしてくれる。
「足りないからできない」なんていうことはないのだ。
考え、動き、人を巻き込んでいけば、自分の想いは形になる。
やはりその力の源は、それぞれが持つ強い想いと動機のほかない。
それを教えてくれたのはラオスの友人たちだった。

事業というのは難しくて、ものをつくって売っていくということは本当に日々の行動の積み重ねでしか成り立たない。
生活の不安も、今後事業が描いた通りに進んでいくかという不安とも常に隣り合わせではあるけれど、「足りない」ものは何もないのだ。

自分が思い続けるかどうか、動くか動かないか、それをずっと続けるかどうか。環境のせいにしない。今あるものを最大限にいかす。
シンプルにそれだけなのだと、それだけを信じて前に進めばよい。
それが私が教わった、前に進む秘訣である。

だからラオスの仲間たちを私は今も追いかけている。
この人たちに追いつきたい、一緒に肩を並べられるようになりたいと思っている。
そうなれた時、また次の頑張る理由を彼らとともに、見つけていきたい。




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