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あの時出会った、仕立て屋さんみたいになりたくて

いま、私は毎日服をつくっている。

デザインを考えて、それをパターン(型紙)にして、布を裁断して縫って形にする。

その過程は、それぞれ工程により頭も身体も違うところを使うけれど、一貫しているひとつの道筋でもある。

そのすべてを自分でもできるようになりたくて、この道を選んだ。


ラオスで暮らしていた時のこと。

街を歩いていると、ところどころにミシンが見える。そこでは仕立て屋のお姉さんが、ミシンを踏みながら、様々な服をつくっている。

主に作っているのは、ラオスの伝統衣装でもあり、日常でも着る「シン」という巻きスカートか、正装として仕事や冠婚葬祭で着る「スア」という身体にぴったり沿わせたブラウスのような服のどちらかが多い。

ラオスでは昼は基本的にお店も家もオープンになっているので、仕立て屋さんが作業している様子が道を歩いていてもよく見える。

服がつくられていく様子が日常的に見えることは、日本ではなかったので、なんだかとてもワクワクした。その様子を、もっと近くで見てみたいなぁなんて思っていた。


当時私は青年海外協力隊員として、現地にある織物などの布を使って製品を開発し、生産者さんの現金収入を増やすきっかけをつくるという活動に奮闘していた。

しかし私自身もものづくりの経験はほとんどなかったので、家の近くにあった仕立て屋さんを訪ねてみることにした。

すると仕立て屋のお姉さんも、服が専門なので小物は作ったことはないけど、ミシンを使っていいよと、私のためにひとつミシンを空けてくれた。

いろいろ試行錯誤をしながらポーチやコースターをつくってみた。
久しぶりに手を動かしてみたらとっても楽しくて、ご飯を食べる時間も忘れるくらい没頭していた。

「そろそろ休みなよ〜」
「ご飯食べよう!!」

と、仕立て屋のお姉さんが声かけをしてくれて、ようやく休息をとったくらいだ。

ポーチやコースターが完成したらとても嬉しくて、もっといろんな布で作ってみたいな、とか、いろんな布の組み合わせでやってみたいな、とアイディアが広がった。

その後、ラオスの伝統衣装であるシンをお姉さんに教えてもらって仕立ててみた。
シンはウエストとヒップがその人にぴったり合うようにつくられていて、そのためにダーツ分量(布をつまんで縫い、立体感を出すもの)を計算したり、こんなに計算されている服だったの!?と驚いた。

完成した巻きスカートのシン


自分で着る服を自分で縫う。
それは人間にとって原始的な営みかもしれないけれど、その体験によって衝撃的なくらい気持ちが高揚し、もっとやってみたいと思わせてくれた。
もっといろいろな布で何かをつくってみたい。
もっといろいろな新しい形のものをつくってみたい。
自分に新しい夢をもたらしてくれた。

その仕立て屋さんのところには、いつもお客さんが絶えなくて、次々と人がやってきては、オーダーをしている。
そのお姉さんは巻きスカートのシンはもちろん、ブラウスであるスアを得意としていて、お客さんのサイズ感に合わせることに加えて、独創性のある様々な形のものをつくっていた。
そして取りに来たお客さんが袖を通した時のわくわくするような笑顔。
服をつくることは、誰かに新しい彩りを提供することなんだ、と横で見て実感した。

協力隊の2年の任期が終わった後のことについて考え始めていた私は、真っ先に「私も服をつくり、お客さんにワクワクした気持ちを感じてもらいたい」という目標が思い浮かんだ。

同時に、ラオスの布の可能性についても感じていることがあった。

ラオスで全て手作業で作られる手織り、天然染色のコットン布は、とても柔らかくて気持ちがよく、包まれると安心できるような魅力があると感じていた。その色は優しい色だけど、強さを感じる色だとも感じた。

これは必ず、日本の人たちも喜んでくれるはずだ、という確信のようなものがあった。

服にこだわった理由については、身にまとってこそその布の良さが一番伝わる、と思ったからだ。そして服という媒体は、着る人の一日をつくり、それが積み重なって人生をつくっていく一つの要素になれると思ったから。


そうしてブランドをつくることを決心したのだが、その方法として「自分もなるべく現場の近いところに立ち、ものづくりのプレイヤーでいたい」と思った。

私は学歴としては大学の人文系学部卒で、貿易関係の会社員という経歴しかなかったが、今からでも、自分も手を動かしてものづくりをする側になろう、と思った。
これから服を作り、届けていく立場になるにあたって、服づくりひとつひとつの工程について「理解があるかどうか?」を大事にしたいと思ったからだ。

ラオスの素材を使い、ラオスの人たちとものづくりをするなら、自分自身が現場に一番近いところにいたい。ラオスの人たちと一緒になってものづくりをしたい。それが一番、思いを形にできる方法であり、ラオスの現場と日本のお客さまのつなぎ役を、説得力を持ってできる方法だと感じた。

そうしてラオスから帰国してすぐに、文化服装学院の門を叩いた。
私にとって全く新しい挑戦だったが、思いを形にして、誰かに届けたいということは、ずっとやりたかったことなんだなとも気づいた。

ラオスで出会った、あの仕立て屋のお姉さんみたいになりたい。
そして、たくさんの人に服を通じて、未知の世界と出会わせてくれるようなワクワクした気持ちを伝えたいと決意し、3年間の専門学校での修行生活が始まった。


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