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時代劇で使われるような「かご」に乗って嫁入りした曾祖母
昭和53年3月に亡くなった祖母は、京都府の田舎の某所某家の長女として明治28年12月に生まれた。
祖母の母(=私の曾祖母)は庄屋の娘で、「籠(かご)」に乗って嫁に来たと祖母は言う。
その言葉通り、曾祖母が乗ってきた「籠(かご)」が倉の中にあった。
TV時代劇で出てくる、2人がかりで背負って運ぶ、あの「かご」である。
彼女の嫁入りのために作り、嫁入りの時しか使わなかった「かご」が倉の隅にずっと置いてあった。
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曾祖母の両親は、一人娘(息子は複数いても娘は1人だった)を愛し、「舅姑(しゅうと、しゅうとめ)がいると苦労をする」と心配し、両親が死亡していた曾祖父を選んで結婚させたと、祖母から聞いている。
明治の前半のことなので、近所への聞き合わせ(←今は絶対にしてはいけない行為)など入念すぎる下調べをしての婚姻だったのだろうが、舅姑に仕えなくてよいという点は、庄屋の娘として育ってきた曾祖母にとっては居心地のよい環境だったろう。
選ばれた曾祖母の配偶者(曾祖父)は、典型的な明治男(生まれたのは江戸時代だけれど)であった。
当時は男性(長男)が家長として全ての実権を握っていた。
曾祖父の両親が健在だったなら、たとえ家督を長男(曾祖父)に譲り隠居したとしも「家での陰の権威者」となり、曾祖父の行動の歯止めになっただろうし、曾祖父も親の手前 単独行動はできなかっただろう。
ある日、知人から投機話を聞いた曾祖父は、妻や家族に相談もせず、知人と一緒に大豆投機に大金をつかい、一儲けしようとした。
しかし、素人の悲しさ、大損をしただけで、多額借金を負い、親から相続した山のほとんどと田畑の一部を無くしてしまった。
曾祖母の嘆きはいかばかりだったろう。
曾祖母の長女である祖母が何度も私たち孫に話してくれたので、それはそれは大きな出来事だったに違いない。
大金と山の多くを失ったといっても、田畑はほとんど失わず、一家離散という不幸は免れ、そこそこの生活は出来ていたようだ。
祖母がいうには、若い頃、家には、「おとこし」「おんなし」がいて、農作業などをしてくれていたという。
「おとこし」とは?
「おんなし」とは?
低賃金で労働を依頼していた男女のことか私には分からなかったが、あまり興味のなかった私は「ふ~ん」という返事(←生返事ともいう)だけしていた。私が物心ついた頃は、すでに実家は普通の家庭というか、貧乏になっていたし、山も田畑も少なくなっていたし(←祖母は「便利で、水辺の近くの一番よい場所を持っていたので、道路や河川の工事の際、ほとんど取られてしまった」と言っていた)、祖母も敷地の草引きや田畑の農作業をしていたので、昔、家に使用人がいた生活なんて想像も出来なかった。
祖母亡き今、もっとまじめに聞いておけばよかったと、若干の後悔が残る。
曾祖母も、祖母も、両親も他界した現在。
住む人のいなくなった実家。
その実家の蔵に入るたび目に入る曾祖母の嫁入りの「かご」。
格子戸の隙間から差し込む光を受け、
遙か昔の、曾祖母の人生を伝えるかのごとく、
時には燦めき、
時には翳り、
蔵の隅の暗くて澱んだ空気の中、
りんと、孤高に、しずかに、ひっそりと、しずかに、
朽ち果てるときを待っている。
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