【小説】後悔は思い込みから生まれた
―――正論だ。後悔しているのはわたしの方だ。
言っていれば良かった、こうしていれば良かった。
本当はそれを無くすために行動していたはずなのに、やがてそれが変質していた。知らないうちに、「死ぬときに後悔しないため」に変わっていた。
そして、それも変貌した。彼の夢を見てから、「オベロン・ヴォーティガーンが後悔しないため」に変わっていた。勝手な願望を抱かれることが我慢できなかった。
押し付けがましいにも程がある。最低だ、自分は手前味噌な願望を持たれることを嫌悪したのに、自分はオベロン・ヴォーティガーンに対して自分勝手な善意を押し付けたのだ。自分は、「こうなって欲しかった」と思われたくなかったくせに。
「まあ、俺にだって少しの後悔はある」
だけど、とオベロンは続けた。
彼に「こうしてほしかった」、「こうならないで欲しかった」を押し付けたわたしは、ひしゃげてしまいそうな、ギリギリと軋みながら変形してしまいそうな、自分の胸を押さえる。
彼の言葉がどんなものであれ、聞きたくないと耳を塞いでしまいたかった。
「君が見ていたものが、本当に俺の夢だと確証を持って言える?」
自分の甘い考えと自分勝手な行動に気を取られていたわたしは、彼の言葉を飲み込めない。
――そんなはずはない。誰も知らず、わたし以外覚えてすらいなかった。オベロンだって知らんぷりをしていたくせに。
冷えきらない脳みそではそう抵抗してみるが、どうにもこころには納まらなかった。「未来に後悔しているオベロンの夢だ」と納得していた理由は、どうやっても思い出せなかった。
「いやぁ、嬉しいな。こんなコロっと騙されてくれるんだもんな、人類最後のマスター様は!」
「全部嘘、ってこと?」
オベロンは最高の笑みを浮かべて、両手を広げてヒラヒラと振った。完全にわたしをバカにしていた。
要するに、わたしが「彼の夢だ」と思い込んでいたものは全部嘘で、「わたしの後悔の夢」だったということらしい。
振り返れば、すべて思い込みから始まっていた。
閉じ込められたときには、「夢でなくてはならない」と。
白い霧の中では、「彼の世界なんだろう」と。
縁側を歩いているときには、「彼の復讐劇」だと。
わたしが「夢でなければ辻褄が合わない」と、自分の思考を自縛していただけだったのだ。納得していた理由など、全部自分が生み出した主観的な解釈に基づいた、証拠とも呼べないような脆い思い込みだったのだ。
「……じゃあ何だったの、なんで…。」
わたしがそう思うように仕組んでいたことはまだいい。わたしがそれにすっかり騙されて、そのことに頭を悩ませていたのは百歩譲って許せる。これが彼のせいではなく、自分が勝手に思い込みの坂を転がり始めてしまったのだとすれば、彼を責める理由なんて有りはしないだろう。許せるかどうかは別問題として。
そもそも、知りたいのは理由だ。そんな回りくどいことをしてまで、わたしが此処に来るように誘導した理由だ。
「…わたしを誂うのは楽しかった?」
でもやっぱり、素直に「どうして?」、と尋ねるのは癪だった。
オベロンは、種明かしが済んだことで演技する気が失せたのか、それともこれも嘘なのかは知らないが、笑みをすっかり顔から消し去る。
「君があんまりにもウンウン頭を悩ませていたから面白くてね。でも偶然上手く行ったことも多々ある。あぁ、ここでは詳述しないけど、例えば」
君が夢と現実の区別がつかなくなって来ていたこととか、とオベロンは言った。
——おかげで夢だと思い込んで、確認の手間すら省いてくれたわけだけど。
オベロンは相変わらず悪びれる様子もなかった。その一手間を惜しんだせいで、わたしはまんまと騙されたというわけだ。
「でも君が見ていたものは…」
オベロンは口を噤む。
「なに?」
つっけんどんなわたしの言葉とは正反対に、オベロンは少し悩む様子を見せる。彼の表面から読み取れることを当てにしすぎてはいけないと思い知らされたのに、それ以外に彼のことを理解する術は無かった。
「いや?まさにそれさ。君がオベロン・ヴォーティガーンを余程信用しているようだったから、忠告も兼ねてね。」
―――「あぁ、でも君が信用していた『オベロン・ヴォーティガーン』も悪くはなかった。うん、演じるには十分中身の詰まった役柄だったとも!」
…そんな、ことの、ために?
わたしは愕然とした。わたしが払った労力も、気力も、涙一滴ですら、彼は顧みるつもりは無いらしい。あの会話ひとつも、あの口づけひとつも、言葉ひとつも。彼にとっては何の意味もない、ただのセリフだったのだ。
目を見開いたまま立ち尽くす。たちまち瞳が渇いて、全身から力が抜けていく。
結局わたしは、オベロン・ヴォーティガーンのことなど一つもわかっていなかったのだろう。
「信用ってのは裏切るもんだろ?」
ヴォーティガーンはあけすけと言ってのける。
自分の脳が空っぽになっていくのを感じた。景色が白飛びして、ぐらぐらと脈打つように揺れた。
わたしの信用を裏切るためだけに、彼は演じてみせたのだ。わたしが望む、そう、『藤丸立香の結末を受け入れられなかったオベロン・ヴォーティガーン』を。――『わたしをいつまでも忘れられないオベロン・ヴォーティガーン』を。
わたしはゆっくりと項垂れて、彼の顔から視線を逸らす。皮肉に吊り上がった口元を見ていられるほど、強くは無かった。彼の本心を伺い知ろうと目を凝らして見つめられるほど強くは無かったのだ。
ヴォーティガーンは立ち上がって翅を拾い上げた。
「気は済んだかい?」
済むわけなかった。
「はいそうですか、知りませんでした。」…なんて一言で済ませられるほど、わたしの執着心は甘くなかったらしい。
嫌なことから逃げ出せない。「なんでそんなこと言えるの」と、責めることもできない。ヴォーティガーンはそういう性質なのだ、わたしはそれを受け入れるしかない。その現実に、ただただ打ちひしがれて、立っているのがやっとだった。
秋の森から気配がしなくなった。どこかで妖精たちが楽し気に過ごしていそうだ、という想像すら及ばない程、しん、と静まり返っていた。冬のようだった。
そうしてしばらく立ちすくんでいると、自分でも不思議なことに、ピシャリと締め切られていた思考がおもむろに再開し始める。下を向いたまま、心臓はまだ痛いのに頭だけはどんどん思考の先へ進んでいく。
やっぱり何かがおかしい。だって、わざわざ演じる理由など無かったはずだ。演じるよりずっと楽な手段が彼には用意されていた。徹底的に無視するか、最初から召喚に応じないか。
そうしなかったのはどうしてだろう。そんな面倒な方法を取らなくても、いや、そもそもわたしの妄想に付き合う必要など無かった。
——そう思うことすら、わたしにとって都合が良い論理なのだろうか。
ぎゅっと握りしめていた手のひらから徐々に力を抜くと、再開した血流でじんじんと膨れ上がって、痛くてたまらない。もう感じないはずの痛みが、これがわたしの記憶に基づいた夢であることを主張していた。
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