⭐️年年歳歳、病相似たり、年年歳歳治療同じからず⭐️
皆さんは「正露丸」をご存じでしょうか。(画像:大幸薬品から)
1830年ドイツの科学者カール・ライヘンバッハしはヨーロッパブナから
クレオソートを抽出、殺菌効果が高いことから胃腸薬として用いされるようになります。
江戸後期(1839年)に長崎のオランダ商館長を通じて日本に持ち込まれました。
日清戦争で不衛生な水を飲んだことで感染症に悩まされた日本軍は、当時「結麗阿曹多」と呼ばれたクレオソートにチフス菌の生育抑制効果があることを発見します。
1904年(明治37年)に書かれた「陸軍衛生史」によると、日露戦争に出征する兵士全員に持たせたと書かれています。
「征露丸」(ロシアを制する丸役)と呼ばれ、日露戦争中、兵士の下痢や腹痛を治しました。
特にこのご時世、この気合の入った名前とロゴを見ると、元気が湧いてくるのは私だけではないのではないでしょうか。
私の母は大の正露丸信者で、私は幼少期体調不良になると正露丸を飲まされました。
最近ではあまり人気はなくなったのかもしませんが、コロナが流行し始めた頃、 「正露丸を飲めば治りますか」という相談が多数寄せられたのを思い出します。
「まくり」という海藻があります。
回虫や線虫のよう虫下しとして古くから使われていた日本特産の海藻です。
温暖な海洋で生育し、昔日本から世界中に輸出されていました。
1953年に大阪大学の竹本常松博士等がカイニン酸という駆虫成分の分離に成功し、スイスの製薬会社が薬として販売するようになると、 この海藻は見向きもされなくなって、海辺に捨てられるようになりました。
2015年ノーベル生理学医学賞を受賞した北里大学の大村智特別名誉教授の研究を基に開発され、世界中の寄生虫感染患者を治してきた「イベルメクチン」が今回のコロナウイルス感染症薬として用いられなかったことと重なって見えます。
ハンセン病も、らい菌による感染症で世界中で恐れられていた病の1つです。
隔離政策が行われ、感染者は強制的に離島などに連れ去られ、野垂れ死にしていました。
そのことを知り胸を痛めたベルギー人司祭のダミアン神父は、単身島に渡ってハンセン病患者さんの世話をします。
しかし、自らも発症し絶望の淵に立たされます。
その頃(1886年)日本人漢方医の後藤昌直はハンセン病患者さんの治療を行うべく「起廃病院」を設立し、ハンセン病患者さんを隔離することなく、後藤式療法という漢方・温浴療法で外来通院にて治療していました。
ダミアン神父も後藤式療法を受け、いったん軽快し、 「私は欧米の医師をまったく信用していない。後藤医師に治療してもらいたいのだ」という言葉を残します。
この治療法は遠くハワイはじめ海外でも実践され多くの患者を治癒に導き称賛されました。
病人を隔離しない治療方針には、後藤医師の病人を差別しない優しさがにじみ出ているように見えるのです。
後に1943年アメリカでプロミンがハンセン病の特効薬として報告され普及し、後藤式療法も過去のものとなります。
年年歳歳、花相似たり、年年歳歳、人同じからず
という漢詩がありますが、 年年歳歳、病相似たり、年年歳歳、治療同じからず、 つまり、これまでの治療が非常識になり、次の時代には新しい治療にとって変わり、それがまたいつの間にかさらに新しい医療に変えられてゆきます。しかし、新しい治療法が必ずしも自分に合うとは限りません。
自分に合って馴染みのある薬や治療法は古くとも大事であると思います。
また、効果もあり、安価で日本人になじみのある治療法は、準治療薬として、もっと積極的かつ自由に活用してゆくべきではないかと思います。
そうすることも、医療費を抑制できる方法の1つの選択肢ではないでしょうか。
西洋医学以外に日本古来の治療法が多数あり、薬草も多数生育している風土をもっと医療の強みにできないかと思う今日この頃です。