六甲山を旅してみる
毎年11月に2回開催されるKOBE六甲全山縦走大会が初開催の1975年から初めて中止になった。「KOBE六甲全山縦走・半縦走大会は、全国からの約4,000人の参加者や、約300人のボランティアやスタッフが参集する大会で、大会の性質上、密集状態を避けられない。新型コロナウイルス感染の終息が見通せず、今後も持続的な対策が必要である状況下において、感染拡大リスクの点からも安全・安心な大会を開催することが困難であるため。」というのが公式な中止の理由。ただ以前から運営スタッフの負荷、高齢化など様々な問題を抱えていたのも事実で、今回の中止は今後の六甲全山縦走(以下全縦)を考えるいい機会かもしれない。
といいながら、全縦に参加したことはない(ボランティアはあるけど)。そもそも4000人で歩くことに全く興味がわかない。昔から「並ぶ」ということにとてつもない抵抗感があるので、須磨をスタートしてから延々続く行列に加わるというのもありえない。
もともと、全縦の発想は昭和40年代後期の市民レクリエーション需要の拡大という時代背景があった。貴重なレクリエーション空間として六甲山の活用が模索され、また高齢化社会に備え、自ら健康管理できる自立した人間をつくっていくという意図もあったらしい。当時神戸市の市民局長だった長島隆氏の思いを引用すると
「昨今、世上一般に他者に甘える風潮が見受けられる。市民が自分の責任で物事を成し遂げる気風を育てるためには、一度甘えの許されない事態に取り組んでみるというのはどうだろうか。(中略)このコースは途中にいくらでもケーブル、ロープウェー、バス、タクシーなどを利用して下山できる逃げ道があり、その誘惑に勝つにはよほど固い決心が必要である。健康な身体作りのほか、自分の心を鍛え、社会的なルールを守ることにも大いに役立つと考えた」(『六甲全山縦走〜25年のあゆみ〜』から抜粋)
軍隊かよ。これではレクリエーションというより高度経済成長期のモーレツサラリーマンの研修ではないか。今でも全縦に感じる違和感はここにあるのではと思う。時代とはいえ行政が「市民が自分の責任で物事を成し遂げる気風を育てるためには、一度甘えの許されない事態に取り組んでみるというのはどうだろうか」と言うこと事態が狂ってるし、そんなものに参加したいとは思わない。ハードな縦走イベントいえば、有志が勝手に始めた草レースの雄、六甲縦走キャノンボールがある。こちらはもっと自由でエッジが立ってって、なにより祭のニュアンスがあって楽しい。キャノンボールと比べると一億総火の玉的な全縦はなんとも中途半端で前時代的なのだ。
去年から全縦と同じ日に、1日で須磨〜宝塚をひたすら行進するのではなく、途中1泊して2日間でのんびり歩く「六甲全山お泊まり縦走」というのを始めた。スポーツというより旅に近い。今年は宝塚スタートで摩耶山の自然の家で宿泊(テント泊も可)、翌日塩屋(オリジナル全縦のスタート地点)を目指す。参加者は11名。今回は残念ながら1日目は雨と霧だったけど「それも悪くないよな」と思えるほどのテンションで歩く。宿泊地では摩耶山野宿部、カレー部と合流。カレーや丸鶏の丸焼きが振舞われた。夜の山は楽しい。山で泊まるという非日常体験が日常風景の中の「そこにある山」でできるのが神戸の良さだ。
もちろん須磨〜宝塚を結ぶ56kmの六甲全山縦走路は決して楽なトレイルではない。はっきりいって面白くない。しかし旅と思えば、路傍の草木や石を愛で、フクロウの声に耳を傾け、行く先々の古刹を巡り、木々の間から見える市街地や神戸港の風景に目をやる余裕ができる。もちろん途中でやめてもかまわない。一心不乱に完走を目指すのではなく、そこに旅という視点を持ち込めば、全縦の未来が開けるかもしれない。それこそ貴重なレクリエーション空間としての六甲山の活用になるのではないだろうか。