【鎌倉昔噺01】とりとめのないお話【実話】
今でも脳みその端っこに、喉に刺さった小骨のように心に引っかかった記憶がある。
もう二十年以上前、僕が七里ガ浜の幼稚園に通っていたころの話。
当時、僕のことをずっと追いかけてくれていた女の子がいた。苗字は覚えていない。れいなちゃん、という名前だけが記憶に残っている。
腰までストンと落ちた、絹糸のようなれいなちゃんの髪は、日に当たると少しだけ茶色く見えた。
「りゅうくん、りゅうくん、ちゅーしよう、けっこんしよう」
毎日毎日、追いかけてくる彼女から、僕は逃げていた。
白黒のストライプのエプロンを着たれいなちゃんは、ウルトラマンに出てくるダダみたいだと少し思っていた。
けれど、本気で逃げていたわけではなかった。ストレートな愛情表現に戸惑っていたのだ。
自覚していたわけではなかったけれど、きっと僕も彼女のことが好きだった。初恋だった。
れいなちゃんは、稲村ケ崎の崖の上にある平屋建てのおしゃれな家に、お母さんと二人で住んでいた。
大きな家ではなかったけれど、暮らしぶりは悪くなかった。
れいなちゃんの家に遊びに行くときは、れいなちゃんのお母さんが、赤くてかっこいい車で僕とれいなちゃんを迎えに来てくれた。
年長にあがってから、僕は幼稚園にあまり通わなくなった。
いわゆるお受験勉強が始まったのだ。
ほとんど毎日、母の運転する車か、祖母の付き添いで横須賀線に乗って、東京の習い事に通った。体操教室、お絵かき教室、お受験対策塾など、一週間で八つの教室に通っていた。
本当は幼稚園の友達と遊びたかったけれど、我慢して、東京に通った。それが、母方の親族全員が通った道だった。
お受験は、それなりの成果を上げて終わった。都内の大学付属の小学校に合格していたのだ。母方の親世代、祖父母世代は全員、その学校の出身だった。
一族は、お祝いムード一色になった。
お受験が終わり、僕は幼稚園に戻った。
僕は、れいなちゃんを探した。東京に行くことを伝えたかった。
けれど、会うことはできなかった。
れいなちゃんはずっと休みのまま、僕の東京行きの日を迎えた。
数年たってから、僕は母になにがあったのかを聞いた。
「お母さんが首を吊って亡くなって、れいなちゃんがそれを見つけたらしいよ。れいなちゃんは父方に引き取られたんだって」
父は
「父方の親戚内で誰が引き取るか揉めたらしくてね。うちの養子として引き取るって話もあったんだけど、難しくてね」
せめて、さよならを言えていたならと思う。
今でも"れいな"という名前を見ると、目で追ってしまう。
けれど、きっと彼女にとっての七里ガ浜での思い出は、お母さんの死を目の当たりにした日に、黒く塗りつぶされてしまったはずだ。
だから僕は、すべて忘れていてほしいと願う。
彼女が、幸せな人生を歩むために。
遠い遠い記憶の、とりとめのないお話。
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