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村上隆のオタク輸出を学ぶ

オタク文化とアートを関連づけるアーティストは少なくない。1990年代の現代美術界では中原浩大、ヤノベケンジがフィギュアやアニメをモチーフとして作品に取り入れている。そこに少し遅れて参入したのが村上隆である。

村上隆は1962年生まれのアーティストであり、有限会社カイカイキキの代表取締役社長である。その活動は制作だけにとどまらず、キュレーションや作品コレクション、映画監督と幅広い。

彼とオタク文化の関わりは2000〜2005年にかけて顕著に見られる。「スーパーフラット」三部作展と言われる「スーパーフラット」展、「ぬりえ」展、「リトルボーイ」展が開催された時期である。

自身もアニメや漫画を好む村上氏は、当時の日本美術界のステレオタイプとマンガやアニメなどのサブカルチャーを受け入れない姿勢に不満を抱き、アートとサブカルがつながる場を作り、また日本のオタク文化を海外に持ち込むことに奮闘した。
その結果生み出された概念が「スーパーフラット」である。意味を無視して直訳すると「めっちゃ平ら」。何が平らかというと、日本画の遠近法や陰影を用いない平面的表現と、セル画の平面性である。

村上氏は戦後日本のオタク文化に「原爆により敗戦した国民ならではのリアリティー」を見出し、3つ目の展覧会をアメリカで行うことで、オタク文化誕生の要因の一つにアメリカを関連づけ、オタク文化を海外向けに紹介した。

その手法として、日本画と二次元的表現やキャラクターを組み合わせた作品を制作したのである。

このようにオタク文化とハイカルチャーを組み合わせた作品を制作した村上氏だが、当のオタクたちからはどう思われているのか。インターネットや雑誌を見ると、「村上隆はオタクの敵」など批判的に思われている描写が見られる。

というのも村上氏が独断で選んだアニメやマンガ作品を多くを語らず展覧会で展示したことにある。その結果オタクは村上氏が自分たちの文化を搾取しているように捉えたのだ。

しかし村上氏はオタク文化を海外向けに翻訳して紹介することに長けている。この「翻訳」の意義がオタク文化に対するオタクの見解とのすれ違いとなっているのだろうか。


参考資料
美術手帖『村上隆完全読本美術手帖全記事1992ー2012』、美術出版社、2012年


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