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納豆やや苦手だけど「檜山納豆」食べてみた!

おはようございます、苦手意識のあるものをひとつ克服のお話。

それは「納豆」、それこそ最近は食べるようになりましたが、習慣として食べることをしてなかったので、食わず嫌いの食材。

しかし、「豆」は大好きなので「いけるのでは?」と思っていたらパッケージというかビジュアルに負けて「檜山納豆」購入〜

先日の第三土曜日の無垢里マルシェにて

このビジュアルに「わら納豆」・・・開けてみたい衝動に駆られ〜

これが開けやすい仕組みに面白がったりして〜

思わず食卓に「おぉ」という声が響く感じのテンション。

自然遺産「白神山地の豊かな土と水で育まれた地元産「あきた白神大豆」を100%使用なんですって〜

そしてこのわらは「稲わら」と言い「あきたこまち」を杭かけして自然乾燥させたものを用いているそうです。
納豆菌が大豆に浸透し、ちりめんじわができるのが特徴

個人的に食べた感じは、サクサクしてるいうか、噛みごたえあって味にコクあり私にとって食べやすく美味しい♪ 

・前九年の役(1051年)で奥州(東北地方)を追われた安倍宗任が平戸の松浦潟(九州)に流された際、熊本で「ナット」を造らせ広めたことが肥後風土記には残されている。

・上記のことから考えても「糸引きナット」の発祥の地は東北地方であることが推測される。

・檜山(桧山)は地名。・秋田県能代市檜山は、戦国時代、現在の秋田市を含む秋田県の中央から県北一帯(秋田市・男鹿市・潟上市・能代市山本郡・北秋田市北秋田郡・大館市・鹿角市鹿角郡)を領地とした秋田安東氏(1452年~1602年)の本城があった城下町・室町時代中頃から江戸時代の終わりまで、秋田県能代市山本地方の中心地として栄える。

・檜山城跡は国の指定史跡となっています。

・檜山納豆(わらづと:藁で造った苞)は、檜山城主秋田安東氏時代(1452年頃から1602年)に下級武士の家計の一助に製造したのが始まりと伝えられる。

・その独特の風味から檜山納豆と呼ばれ、その製造も代々子孫に引き継がれる

http://www.hiyama710.com/index.htmlより

江戸時代初期に作詞されたという民謡「秋田音頭」に
 ♪秋田名物 八森はたはた 男鹿で男鹿ブリコ
能代春慶 檜山納豆 大館曲げワッパ♪
と唄われているところを見ると、江戸時代前から檜山で納豆造りがあったと考えられる。

↑ これについては〜こちらにも ↓

美味しくいただきました〜また食べたい、なんなら檜山にいきたい!

ん!?!地図見ると・・・行ったことあるような、ないような?
以前、不老ふ死温泉&白神山地からの奥入瀬の旅の際に通ったかな???

番外編〜「飛騨のおりな」も購入

小さな黄色の花が咲いていて食べるのをためらわれる・・・

でも食べちゃう! こちらも歯応えよく瑞々しくて即完食でした〜

「美味しいは嬉しい」の日曜日のログ

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