誇れるOB
優斗が1年生になったある日、こんなやりとりがありました。
監督さん:「週末の活動を摂津〇中でやるから保護者に連絡しといて。」
私:「どうしてですか?」
監督さん:「田中先生のところに圭佑が来てくれるらしいねん。」
・・・
ケイスケ?圭佑??リトルホンダ?ケイスケホンダ??????(わーい)
(と思ったというのは冗談で、その時の彼は名言ヒットメーカーになる少し前です。)
そうです、日本人サッカー選手の世界的知名度1位(私見です)。
本田圭佑(選手)
彼は、摂津FCが輩出した世間に誇れるOBだったんです。
その頃は、VVVに所属2年目で
名古屋グランパス→VVVフェンロー→CSKAモスクワ→ACミラン
→オリンピック日本代表→日本代表
と、本田圭佑選手の世界での快進撃が始まる頃でした。
チーム内には、同年代の息子さんをお持ちの指導者も多数おられましたのでチームが賑やかになり始めていた事をおぼえています。
遂に彼がやってきた!
予定の時間前に、トヨタの白いランドクルーザーに乗ってグランド入りした本田選手。
校内の一室でトレーニングウェアに着替え颯爽と登場すると、希望する全ての保護者と記念撮影をしてくれたり、子供たちのボールやウェアにサインをしてくれたりと、かなりの人数だったと思いますが、最後まで笑顔で対応してくれました。
間近で観ていて21(2?)歳なのに、これが出来るんだと感心して、
プロって凄いなと思ったのを覚えています。
本田選手とのミニゲーム
1.2年生の括りでチーム分けをしたときに安定の選外で本田選手のチームから外れた優斗。
同じチームにはなれませんでしたが、優斗がボールを持つたびに本田選手から「上手い!」「ナイス!」の声を頂いていました。
良い体験だったので、その日の夜に
「本田選手と出来てどうやった?」と尋ねると
「わからん。」と日本人の子供のお手本のような回答がきてしまいました・・・。
育ててもらったチームに
優斗には、育ててもらったチームへの感謝の気持ちや、指導者への感謝の気持ち、そして応援してくれる方への感謝の気持ちを忘れずに持ち続けるように教えてきました。
不義理をしないという事は、とても重要な事。
何故なら、その人たちとの繋がりが彼の人生の財産になり、その人たちが何かの時には必ず自分を応援してくれる人になるからです。
ですので、優斗は試合会場や練習会場で所属していたチームが活動していて、そこに知っている指導者や保護者がいれば必ず挨拶に行っています。
何故そう言い切れるのかというと、その事を優斗からでなく、お世話になったチームの指導者や保護者の方から「優斗が挨拶をしに来てくれたよ。」と聞いているからです。
余談ですが
集合写真には、
本田圭佑選手
武田航太郎選手
(アルヴィレックス新潟シンガポール→FCティアモ→MIOびわこ滋賀)
児玉駿斗選手
(J1名古屋グランパス→J2 SC相模原(育成期限付き移籍中)→J2徳島ヴォルティス(完全移籍))
増田隼司選手(J3 グルージャ盛岡→J2グルージャ盛岡)
優斗と兄貴(うちの息子たち)
が写っています。
凄く狭い地域なのにプロサッカー選手になってる確立高いですよね。