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日本代表監督史4_1 岡田武史監督

みなさんこんにちわ!

今回も引き続き「日本代表監督の歴史4 岡田武史監督」というお話です。
次の試合を7日後に控え、アウェイの地で加茂周監督を更迭し急遽岡田武史コーチが監督に昇格することになりました。
日本サッカーにとっての賭けとも言える最終予選中の監督交代。
岡田ジャパンのお話をしたいと思います。
もしかしたら、今後の日本代表が向かうべき方向がみえるかもしれません。


①岡田武史監督の基本データ

・本名: 岡田武史 (おかだ たけし)
・生年月日: 1956年8月25日
・国籍: 日本
・日本代表就任時期: 1997年10月 - 1998年6月、2007年11月 - 2010年6月
・選手時代のポジション: ディフェンダー

・選手経歴
  (代表チーム)
  ・日本代表 (1980年 - 1985年)
  (クラブチーム)
  ・古河電工 (1976年 - 1990年)

・監督経歴
  (代表チーム)
  ・日本代表 (1997年 - 1998年, 2007年 - 2010年)
  (クラブチーム)
  ・横浜F・マリノス (2003年 - 2006年)
  ・杭州緑城 (2012年 - 2013年)

岡田監督は古河電工(現JEF市原千葉)で選手として活躍し、同チームのコーチをしていました。オフト元日本代表監督のコーチ清雲栄純さんの推薦で加茂監督のコーチに抜擢されます。そして急遽日本代表監督になってしまうんです。不思議な運命を持った人ですよね。

②アジア最終予選(1997年10・11月)

アジア最終予選真っ只中に監督交代となったのは、この時以外記憶にありません。
海外では監督をすぐ変えることはあるけど、日本では起こらないと思っていましたね。
そのぐらい当時の日本では衝撃のある出来事でした。
岡田さんは加茂さんと苦楽を共にしてきた人なので、連帯責任を感じて監督を引き受けないと協会の人も思っていた様です。そこをなんとか説得して岡田監督が誕生しました。ただし、アウェイのウズベキスタン戦に勝ってワールドカップ出場の可能性が残ったら帰国後別の新監督を立てて欲しいという条件で。

1997/10/11 タシケント
ウズベキスタン代表 1-1 日本代表


アウェイのウズベキスタン戦は、後半終了間際まで0−1でリードされるという展開。後半44分に奇跡的に追いつくという不思議な試合でした。
岡田さんは本当に何かもってる人だなと思います。コーチから監督に急になったり、ウズベキスタン戦で終了間際の後半44分のゴールで引き分てしまうわけですから。
だって、勝ったら→日本に帰って別の監督にバトンタッチ。負けたら→おそらく岡田監督を代えろと騒ぎになるでしょうから、引き分け以外は岡田武史監督が続投にはならなかったんだと思います。
プロ野球の故野村克也監督は「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」と言っていましたが、本当に不思議な勝ちに等しい引き分けでした。(この言葉はもともと、江戸時代の剣術の達人松浦静山の剣術書にある一文です)

1997/10/26 東京・国立競技場
日本代表 1-1 アラブ首長国連邦代表

ホームのアラブ首長国連邦(UAE)戦。この時点で、日本は3位でした(1位韓国:勝ち点16、2位UAE:勝ち点7、3位日本:勝ち点6。
このUAE戦を含めて残り3試合。韓国の1位はほぼ確定の状況だったので、ここでUAEに勝って2位になり、2位同士のプレーオフに進みたいところでした。
しかし結果はドロー。3位の状態でアウェイの韓国戦に臨むことになりました。
動画を観ると試合終了後に大分荒れている事がわかると思います。選手、スタッフ達はみんな必死だったんです。本当にアジア最終予選は厳しいんです。


1997/11/01 ソウル
韓国代表 0-2 日本代表

絶体絶命の韓国戦。正直言って「日本がワールドカップに出るなんて、やっぱり夢だよね」って雰囲気がありましたね。アウェイで韓国に勝つなんて無理でしょう。
唯一のプラス面は韓国がすでにワールドカップ出場を決めていた事。韓国にとっては消化試合って事でしたが、当時の日韓戦はケンカのようなバチバチの戦いでしたから韓国が負けてくれるとは思えませんでした。
ですが、奇跡?が起こります。2−0でアウェイの韓国戦に勝利します。
この時の日本代表は4-4-2(1ボランチ)のMFはダイヤモンド型の配置でした。動画を観るとわかりますが、左サイドの相馬選手からの崩しでの2得点で、日本のスカウティング(分析班)が優れていた結果だと思います。


1997/11/08 東京・国立競技場
日本代表 5-1 カザフスタン代表

日本代表は、アウェイ韓国戦を乗り切った勢いで最終戦も5−1で勝利し2位に滑り込みます。
日本代表はいよいよ運命のプレーオフに臨むことになりました。


③第3代表決定戦 対イラン(1997年11月16日)

1997/11/16 マレーシア・ジョホールバル
日本代表 3-2 イラン代表

グループBの最終戦から8日後にマレーシアのジョホール・バルで2位同士のプレーオフ、第3代表決定戦が行われました。
敵はイラン。
攻撃陣にダエイ、マハダビキヤ、アジジと後にドイツ・ブンデスリーガで活躍する選手がいるタレント揃いのチームでした。
特にアリ・ダエイはイラン代表で149試合に出場し、国際Aマッチ通算109得点を記録しています。2021年9月1日にポルトガル代表のクリスティアーノ・ロナウドに記録を更新されるまで長らく世界1位の代表得点記録をもつストライカーでした。バイエルン・ミュンヘンにも後々所属しています。

簡単な敵ではないのはわかっていましたが、一進一退のヒリヒリする伝説の試合とななりました。当時の試合を観たことがない人にハラハラドキドキ感を伝えられないのが悲しいですが、まあすごい試合でした。

前半3分に日本代表のゴン中山(中山雅史)が先制点を挙げます。映像をみてもらうとわかる通り、いい日本の崩しでした。

ですが、やっぱりそんな簡単に進みません。前半ロスタイムにアジジに同点ゴールを決められてしまいます。

前半は1-1。

負けたらワールドカップ出場は絶たれる大事な試合です。サッカー人生を賭けた戦いです。次の得点が試合を大きく左右することはわかっていたんですが、後半14分にイランのダエイに高い打点のヘディングを決められてしまいます。

時間はまだ十分にあるんですが、大きなプレッシャーがかかったと思います。
ここで、岡田監督は、ゴン中山(中山雅史)、三浦カズ(三浦知良)を城彰二、ブラジルから日本へ帰化したロペス(呂比須ワグナー)に代えます。当時日本代表の絶対的エースとして君臨していた三浦カズを交代させる決断は難しかったと思います。映像を観てもらうとわかりますが、カズも「オレ?」って感じで少し信じられない様子でしたね。

この交代はこの試合においても、日本代表にとってもターニングポイントだったと思います。

城彰二をいれてから、日本の左サイドから早めのクロスボールをゴール前にいれてきます。これはスカウティングでイランがサイドからのクロスにルーズな部分があることがわかっていたんでしょう。中田、相馬、北澤から城彰二、呂比須へ何度も対角線のアーリクロスがあげています。
そして、その試みが報われます。
後半31分中田のクロスから城彰二がゴールして何とか同点とします。

これで2-2となり延長戦に突入しました。

この時の延長戦のルールですが、ゴールデンゴール方式がとられていました。
ゴールデンゴールとは、どちらかのチームがゴールをしたら試合終了というルールです。

ゴールが生まれた瞬間試合が終わってしまう試合。Jリーグが始まったことにより世に出てきた20歳の中田英寿、22歳の城彰二、そして25歳の野人岡野雅行。この3人が中心となって延長戦を優位に進めます。特に中田英寿はこの試合をコントロールしていました。岡野に再三いいチャンスをつくったのですがなかなか決められない展開が続きます。

そんなことをしていると、敵に流れがいってしまうもの。イランのダエイにゴールされてもおかしくないシーンをつくられます。ホントに危なかった。。

そして延長後半13分
中田英寿がフィールド中央辺りからドリブルで待ちだしシュート!GK(ゴールキーパー)がはじいたところを岡野がゴーーーーール


とうとう、

とうとう、

夢であったワールドカップ出場の切符をはじめて獲得した瞬間でした。

ずーーと

ずーーと

テレビでしか観ていなかったワールドカップにでれる。

4年前、ドーハの悲劇で日本代表がワールドカップ出場を逃したとき、
テレビ放送中に涙声で声をつまらせていた岡田さんが、

まさかの日本代表監督となり出場を決めました。

ちなみに岡野選手がゴールを決めた瞬間、岡田監督をはじめベンチメンバーがフィールド内に入っているのは、ゴールデンゴール方式だったからです。ゴールと同時に試合が終わったからです。今のルールだと試合終了までフィールドに入れないですからね笑

現在の日本代表は、このワールドカップ初出場までの苦しみの上にあることは忘れてはいけないですね。

試合終了直後の中田英寿のコメント
「まあ、代表はうまく盛り上がったんで、Jリーグをどうにかもりあげてくださ~い」

各年代で日本代表に選ばれていた中田は本当に冷静でした。
こういう選手がスーパーな選手になっていくんだなって思っちゃいましたね。

■PS
「日本サッカーの大ピンチに岡田あり」といっても過言ではないくらい、岡田監督はピンチを乗り切ってくれました。もちろん前任の加茂監督やオフト監督、ファルカン監督の積み重ねがあってのことですけど。

ワールドカップ初出場を決めた岡田監督はこの後ワールドカップでのはじめての戦いに望みます。それについては、次の回で!!

では、また!

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