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日本代表監督史4_2 岡田武史監督

みなさんこんにちわ!
前回に引き続き「日本代表監督の歴史4 岡田武史監督」というお話です。
第3代表決定戦でのゴールデンゴールの末、念願のワールドカップ初出場を勝ち取った岡田ジャパン。後半のお話をしたいと思います。
もしかしたら、今後の日本代表が向かうべき方向がみえるかもしれません。


①ワールドカップ前のテストマッチ

1998年 ワールドカップ前は2月にオーストラリア合宿。そして3月に日本でのテストマッチ。毎月代表メンバーを集めて準備をしていました。
まだ海外組が三浦カズだけだったというのもあったんですが、今の代表でも毎月集まってコンビネーションをハイレベルに高めることができれば、ワールドカップ優勝も可能だと感じています。他の代表チームができない無理と思う様なことをやることこそが、ワールドカップ優勝の近道です。

以前、オシム監督がJクラブ所属のメンバーだけで日本代表合宿をすることがありました。
今後Jクラブメンバー日本代表VS海外クラブメンバー日本代表でのマッチメイクも、日本サッカー界、Jクラブを盛り上げる助けになる気がしています。
やっぱり日本でプレーしている身近な選手に活躍してほしいですからね。Jリーグの価値も上がって行くと思います。

さて日本代表はワールドカップ初出場を勝ち取ったものの、「ワールドカップの準備ってっどうするの?」って感じだったんです。
観ていただけで未知の大会。今じゃ想像できないですが、そうだったんです。
最終予選が11/16に終わってワールドカップの第1戦が6/14と半年しかない中での準備をしていきます。
ワールドカップ前の試合はこんな感じでした。

(オーストラリア合宿)
1998年2月15日 日本3−0オーストラリア(オーストラリア アデレード)

1998年2月19日 日本1−0シドニーユナイテッド(オーストラリア シドニー)

(日本でのトレーニング)
1998年3月01日 日本2−1韓国(横浜国際)
1998年3月04日 日本5−1香港選抜(横浜国際)
1998年3月07日 日本2−0中国(国立競技場)


(韓国遠征)
1998年4月01日 日本1−2韓国(ソウル)


(日本でのトレーニング)
1998年5月18日 日本1−1パラグアイ(東京国立)
1998年5月24日 日本0-0チェコ(横浜国際)


(スイス合宿)
1998年6月03日 日本0-1ユーゴスラビア(スイス ローザンヌ)


【外れるのはカズ事件】
20年以上経った今でも話題に上がってしまうこの事件。この時のワールドカップメンバーの選考方法には問題がありました。
それはワールドカップ直前のスイス合宿の時でした。ワールドカップ出場選手は23名。そんな中、この時の日本代表は26名をスイスまで連れていきました。そして最後に23名に絞り込む方法にしたんです。
これは三浦カズが日本代表から落選したこともあり、予想していた以上の騒ぎとなりました。

今のように最初からサポートメンバー(練習メンバー)をつれて行くのではなく、最後に選考して3名を落とすというのは、選手からしたらプライドを傷つけられてしまいます。

日本代表チーム内では、「えっ」という驚き。
一般市民も「エースのカズが落ちたの?」って驚きがありました。テレビは連日大騒ぎ。
当時三浦カズはエースストライカーでスター選手でしたから無理もありません。
三浦カズのワールドカップへの思いを語るドキュメンタリー番組も放送されてましたし、「とうとうカズが念願のワールドカップに出るのか〜」と一般市民は思ってたんです。

選考方法についてはもっと違うしやり方があるよねってことで、今はサポートメンバーを連れて行く体制があります。この時の日本代表は初出場ということもあり、ここも協会は配慮が足りなかったんですよね。チームも大分ショックを受けてしまいました。

オフト監督→加茂監督→岡田監督の時代は本当に波瀾万丈で
映画やドラマになってもおかしくないですね。
最終的な日本代表のワールドカップ初出場メンバーは以下のようになりました。

1 小島伸幸 GK 1966年1月17日(32歳)ベルマーレ平塚
20 川口能活 GK 1975年8月15日(22歳)横浜マリノス
21 楢﨑正剛 GK 1976年4月15日(22歳)横浜フリューゲルス

2 名良橋晃 DF 1971年11月26日(26歳)鹿島アントラーズ
3 相馬直樹 DF 1971年7月19日(26歳) 鹿島アントラーズ
4 井原正巳 DF 1967年9月18日(30歳)横浜マリノス
5 小村徳男 DF 1969年9月6日(28歳) 横浜マリノス
16 斉藤俊秀 DF 1973年4月20日(25歳)清水エスパルス
17 秋田豊 DF 1970年8月6日(27歳)鹿島アントラーズ
19 中西永輔 DF 1973年6月23日(24歳)ジェフユナイテッド市原

6 山口素弘 MF 1969年1月29日(29歳)横浜フリューゲルス
7 伊東輝悦 MF 1974年8月31日(23歳)清水エスパルス
8 中田英寿 MF 1977年1月22日(21歳)ベルマーレ平塚
10 名波浩 MF 1972年11月28日(25歳)ジュビロ磐田
11 小野伸二 MF 1979年9月27日(18歳)浦和レッドダイヤモンズ
13 服部年宏 MF 1973年9月23日(24歳)ジュビロ磐田
15 森島寛晃 MF 1972年4月30日(26歳)セレッソ大阪
22 平野孝  MF 1974年7月15日(23歳)名古屋グランパスエイト

9 中山雅史 FW 1967年9月23日(30歳)ジュビロ磐田
12 呂比須ワグナー FW 1969年1月29日(29歳)ベルマーレ平塚
14 岡野雅行 FW 1972年7月25日(25歳)浦和レッドダイヤモンズ
18 城彰二  FW 1975年6月17日(22歳)横浜マリノス

コーチ:小野剛
GKコーチ:マリオ
フィジカルコーチ:フラビオ
監督:岡田武史


②1998年6月14日 アルゼンチン戦(グループステージ第1戦)

初戦のアルゼンチン戦は、日本もアルゼンチンも3バックでした。
アルゼンチンも初戦という事で動き硬かったですね。ハイライトをみてもらうとわかりますが、日本もかなりチャンスを作ってました。29分のアクシデント的な失点での0−1での敗戦にはなりましたがよく戦ったという印象です。しかし強豪国は一瞬のミスも見逃してくれないんですよね。

・場所:スタッド・トゥールーズ(トゥールーズ)
・スタメン


アルゼンチン戦スタメン

日本代表控えメンバー
1 小島伸幸 GK
21 楢﨑正剛 GK
5    小村徳男 DF
16 斉藤俊秀 DF
13 服部年宏 MF
7 伊東輝悦 MF
11 小野伸二 MF
15 森島寛晃 MF
22 平野孝  MF
12 呂比須ワグナー FW
14 岡野雅行 FW

アルゼンチン代表控えメンバー
12 ブルゴス GK
17 カバジェロ GK
3 チャモ DF
4 ピネダ DF
13 パズ DF
15 アストラーダ MF
16 ベルティ MF
20 ガジャルド MF
18 バルボ FW
19 デルガド FW
21 デルガド FW


③1998年6月18日 クロアチア戦(グループステージ第2戦)

負けるとグループステージ敗退が決まってしまうクロアチア戦。この試合も日本はチャンスをかなり作ります。特に中田英寿→中山雅史シュートの流れは本当に惜しいチャンスでした。クロアチアはこの大会でワールドカップ3位になる強豪でした。クロアチアの黄金世代と言っていい、FWシュケル、MFボバン、プロシネツキというスター選手を揃えてました。
クロアチアって、カタールワールドカップでもそうでしたが、東洋のブラジルと言われるテクニックに優れているし試合巧者なのでなかなか勝てないんですよね。

・場所:スタッド・ドゥ・ラ・ボージョワール(ナント)
・スタメン

クロアチア戦スタメン



④1998年6月18日 ジャマイカ戦(グループステージ第3戦)

すでに予選敗退が決まってしまった中でのジャマイカ戦。ジャマイカには勝てるんじゃないかと思っていたので1−2で負けてしまった時はサポーターとしてはガッカリでしたね。
でもワールドカップって国の威信をかけた戦いでもあるので本当に勝つのは難しいんですよね。
特にグループステージは敵を研究する時間があるので対策の上をいかないとダメなんです。

・場所:スタッド・ジェルダン(リヨン)
・スタメン

ジャマイカ戦スタメン

岡田武史監督はワールドカップ直前に4バックから3バックに変更して戦っています。
ここの3バック、4バックについてはこちらの記事を見て欲しいんですが、3バックというのは守備の時5バックになるんです。3バックという名の5バックなんです。

ですので、一見攻撃に人数を割いて攻撃的と見えますが、当時の日本代表からすると守備的でカウンターに重きを置いた戦術なんです。それだけ力の差があると感じてたって事ですね。ですが、3戦目のジャマイカ戦は勝って欲しかったですね。
初めてのワールドカップは3戦全敗という形で幕を閉じました。

この時の日本代表は個人レベルもチームレベルも世界と差がありました。
唯一、中田英寿は通用していましたね。
ですが、自分で考えて、敵にとって危険な動きをしたり、状況を見て戦術を変えたりポジションを修正したりはできませんでした。アルゼンチン、クロアチアは最後のゴールを取られない守備はしっかりしていました。1−0とはいえ手のひらで転がされていた印象です。
これが日本代表の初めてのワールドカップでした。

■PS
日本のワールドカップ終了後、サポーターの思いが変な方向に行ってしまったのが、日本代表帰国時の「水かけ事件」です。
日本代表の新エースとして期待された城彰二選手が得点なしで帰国した結果、
空港で水をかけた事件です。
プロだから批判されて良いと勘違いしたサポーターの仕業だと思いますが、それはダメですね。
海外ではよくあるようですが、批判するときは言葉で理由を持って批判しないとダメです。

では、また!

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