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世界史と深層心理学、投影と布置

画像は今現在進行形で読んでいる本。個人的に、深層心理学は世界史と並行して勉強するのが良い気がしている。


 最近また、ちょっと思うところがあって西ローマ帝国滅亡~ヨーロッパ成立期について勉強しているのだけど、大学入試用の学習参考書とかブリタニカ大辞典とかの辞書はわりと読みやすいんだけど、……あんまり砕けた調子で書かれた本格派()歴史書が読めないっていうか拒否反応出ちゃうっておれだけかな?
 調べてみると、テオドリック大王って結構面白いんだよね。東ゴートの首長から8歳の時に人質としてコンスタンチノープルに送られた彼は、西ローマ帝国軍と結んでアトリ率いるフン族を撃退した立役者でもあるし、西ローマ帝国に最後の一撃を加えた傭兵隊長オドアケルをイタリアで破った人物でもあるし。産業、文化を保護し、湿地開拓、港湾整備の事業にあたり、カッシオドルスやボエチウスらの優れたローマ人を要職に用い善政を行い、『ニーベルンゲンの歌』ではベロナのディートリヒとして描かれている彼って、宗教的にはアリウス派の信仰を支持したせいでローマ人のカトリック信仰と対立したんだけど……。
 なんか、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)がうまく敵の敵である移民であったゲルマン人を使って権勢を回復しようとしたりするこのあたりって、あんまりおれのクラスの世界史ではやんなかった気がする。ヨーロッパの原型であるフランク王国を成立させたカール大帝はやったけど。時間なかったんかな? オドアケルとカール大帝よりわかりにくいからか? それとも、ヨーロッパの源流とローマが文化的にも信仰的にも断絶していることを示してしまうからか?
 ローマカトリックのラテン語文化圏へのアクセスが可能な貴族と、それができないゲルマン族の一般庶民との間に生まれた断絶が、1517年の「九五か条の意見書」をはじめとするルターの宗教改革によってラテン語聖書が各地の土着言語に翻訳されるまで1000年以上も続いていたというのがおれの見立てなのだが……英語圏グローバリズムに飲み込まれつつある今の日本も、放置するとこの状況(中世ヨーロッパの暗黒時代)に陥りかねん。「国の歴史は一国の中だけで完結するものではなく、他国との関係性の中に表れるものを無視してしまったらそれは歴史と呼べるだろうか?」概略こんなことを「歴史の研究」の冒頭で述べていたアーノルド・トインビーの意図が今になってようやく理解できた気はするけど。
 いずれにせよ体系的にまとめられたものに盲点や欠点があると思うなら、自分自身が自分自身の問題意識によって一次資料にあたり、乾いた事実を集め、それらを積み重ねた中から新たな楼閣を築かねばならない。

https://en.wikipedia.org/wiki/Theodoric_the_Great

 英語版ウィキでの概論だけど、これとか読むと、グローバルで覇権をとってる帝国と融和なんてのがいかに(寝言であるとはいわないまでも)難しいことかってのがわかる。彼はレオ一世からは寵愛を受けていたけどゼノになってから大変な目に遭ってる、皇帝が変わっただけで関係性が大きく変わってしまう。これのグーグル翻訳だけでも、彼がいかに仲間と東ローマ帝国のために尽くしながら、皇帝ゼノの裏切りによって帝国領内で略奪するに至った(ロドピ山地で彼の部隊が家畜を殺し、農民を虐殺し、マケドニアでストビを略奪し、燃やし、ヘラクレアの大司教から物資を調達した)か雰囲気がわかると思うよ。
 しかし……オーロラとか物理学関係の記事調べてた時も思ったけど、相変わらずウィキの日本語版記事はだいたい英語版のコピーであることが多いみたいだけど、日本語と英語で書いてあること違うな。日本語では皇帝ゼノンの裏切りとそれに対するテオドリックの怒りの反応としての帝国領内の農民虐殺に関しては書かれていない。彼が父親と東ローマ帝国の結んだ条約によって人質になった歳も、10歳とか、間違ってるし。なんというか、日本語の歴史記事は「きれいごと」しか書かれていない傾向が強いね。
 あと、カトリック正統であるアタナシウス派キリスト教を信仰するか、キリストに神性はなく完全に人間であるというアリウス派キリスト教を信仰するかにしても、それは抽象的な思考ができるか具象的な思考しかできない人々かの違い(これはほとんど訓練を受けたか、つまり教育程度に還元される)だよね。つまり【教育格差】と【普段付き合っている人々の種類】に還元される問題で、これをただゲルマン人とローマ人の「信仰の違い」に還元してしまうのは何も問題を語っていないに等しい(隠蔽しているとまでは言わないまでも!)。まだおれが使っていた河合塾の学習参考書の方が正確に問題を語っている。

 ちなみに五世紀の西ローマ帝国の崩壊は、傭兵として受け入れた移民への食糧政策が汚職や民族差別によって機能しなかったことで各地で起きた反乱に対して力負けしたために、帝国側が寛大な処置をとったことが主因であるらしい。つまり、内部から民族が置き換わっていき帝国が形骸化したのだということ。当時の東ローマ皇帝Valensはもともとササン朝ペルシアとの戦いの渦中にあったためゲルマン人傭兵を受け入れたが、食料生産能力の限られている戦地の小さな領域に大勢の人が住むということが人々に飢えをもたらした(生産性が向上しないと誰から優先的に配分していくかという問題もその時点で起こる)。
 ローマ軍の兵站担当は飢えはじめたゲルマン人傭兵に食料を配給しようとしたけれど、地方司令官のLupicinusが横流しをしたために闇市で価格が高騰し、犬一頭を手に入れるために子供一人をローマ人の奴隷として売り渡さなければならないほどの相場だったらしい(ついでにいえば、アドリアノープルの戦いに至る直接的な反乱の発端は、Lupicinusから宴席に招待されたゲルマン部族Fritigernの長Alavivusのお付きで街に入った部下が、ローマ人の市場で食料を売り買いすることを許されず、ローマ兵士を殺したことから対立が激化したためだという)。
 ローマ帝国民と古ゲルマン人との対立の根にあったのは、前者が325年のニカイア公会議で決定されたcredo・父なる神とキリストとの同一本質・を信仰していたのに対して、後者がキリストがあくまで神の被造物であることを強調し神性を認めないアリウス派を信仰していたことであるといわれているけど、この問題は実念論と唯名論の普遍論争や、聖餐のパンとワインが実際にキリストの肉と血になるのかという化体問題を扱った聖餐論争などで、同じようなタイプ間の対立としてその後もキリスト教の歴史に繰り返し顔を出してきている。

 おれが史学とか、考古学的なアプローチに興味を持ったのは、深夜アニメでやってたマスターキートンにハマってからだったんだけど、でも漫画版の紙の本はちょうど集め始めたころに版権でごたごたがあって全部手に入らなかったんだよなあ。おれは大事だと思った書籍は必ず紙の版でも買うようにしてるんだけど、それはなんでかっていうと、電子データは長期保存が難しいんだよね……雷が落ちたりオーロラ出たりとかでできる磁場のせいで電子機器に生じる誘導電流だけで、データが格納されている物理メモリって破損しちゃうからね。その点、多分和紙って時代の流れに対して最強だよね。粘土板より強いんじゃないかな?
 何年か前に読んだ奈良女子大の考古学論文ではね、明治大の教授が一般公開のブログで紹介してくれてたんだけど……あのね、今はⅩ線解析で分子の形状からその分子を生み出した生物の遺伝子型を特定できる時代で、たとえばその論文だと、皇族らしい奈良地方の古墳の副葬品で絹織物があったんだけど、X線解析したその絹の分子の形状から絹糸を吐いた蚕の遺伝子型を特定し、あらかじめサンプルをとってあった世界各地の蚕の遺伝子型と照らし合わせ、それが中国の蚕の絹糸じゃなくてインド原産の蚕の絹糸だということ、つまりその地方との交易があった可能性を突き止めた……だったかな?
 他にも興味深いと思ったのが、サイエンス(かネイチャー)に載ってたやつなんだけど、北欧のヴァイキングたちが交易で扱っていた銅貨の話。
 その銅貨がどこで生産されたのか物理学的(分子構造的)に正確な裏付けのとれたものの分布を地図に重ねて統計的に見ることで、当該銅貨を扱いまたは生産した集団の交易の範囲や交易のおおよその時期がわかるそうなのね。地層に埋もれた花粉の遺伝子解析と同じ発想なんだけど、すごく面白いよね。最近は応用物理学が最先端の考古学みたいな感じなんだって。もちろん、和紙の文献もX線解析で裏付けが取れるよ。この和紙はどこ産の何の靭皮繊維を使っていて、どこ産のどういう製法の墨を使っていて……使用した原料の生成時代がたしかだから文章がこの時代にかかれたという信憑性は確からしい、とかね。


 まあ、といっておれはそのX線解析と放射性炭素年代測定の二つしか解析法知らんのだけどね。おれは絵画の顔料とか衣料品の染料の製法にはまったく詳しくないけど、植物や動物由来の天然染料ならは細胞核の中の遺伝子があるから確実に地域差をたどれるし、多分、人工物だとしても混合化合物の染料や顔料なら追跡できると思うよ。地域や画家によって求める色合いって違うから、各化合物の配合度合いが違うと思うので(紺青なら酸化コバルトに蝋石を配合して焼成するなど、複数製法があるようだ)。逆に、本当の純銀とか純金の顔料とかだと混ぜ物による違いがないから産地の区別が難しいかもね。
 ちなみに放射性炭素年代測定法はわりと昔からあるスタンダードな方法だね。生き物って生まれたらかならず食事や呼吸をするでしょう。おれたちヒトも含めた動物は酸素を循環させて二酸化炭素にするけど、光合成をおこなうラン藻類や植物は、二酸化炭素を循環させて酸素にする。
 C14(炭素原子の、中性子が標準より二つ多い放射性同位体)はもともと太陽フレア由来の(中性子線が地球の大気上層で窒素分子と激しい衝突をし、窒素原子の二つの陽子が中性子に置換され、生成される)自然の放射性物質なんだけど、これをまず植物が光合成によって取り込む。そして、その植物の実であるのか茎であるのか葉であるのかを草食獣が食べ、その草食獣を我々ヒトや肉食獣が食べ……というようにあらゆる生体に取り込まれていく。C14はデンプンなどの分子を構成するけど生体の死後細菌やバクテリアによって解体される有機物ではなく、有機物に含まれる放射性原子だから、宿主の生き物が死んでも存在し続け、電子線を放出する原子崩壊を起こしその量が半減するまでに5730年、四分の一になるまでは11460年、八分の一になるまでは22920年かかる。だから万年とか億年単位のおおざっぱな年代を見るには適しているのだけど、つまり化石や遺骨の年代とか、樹木の各年輪ができた時代とかを調べるには向いてるのだけど、千年とかの短いスパンだと向かないんだよね。
(だからおれ、奈良女子大の論文を初めて読んだときものすごく感動したんだけどね。これはものすごいブレークスルーだ!、って。)

 とにかくおれは、ヨーロッパ成立あたりから歴史の流れをつかんで、現在のイスラム世界の混沌がなぜ引き起こされてきたのか、問題の各要素はどこに源流があったのか勉強したいんだ。今の自分の知識レベルじゃ山内昌之先生の「中東国際関係史研究」を読みこなせないから。しかし、資料を買う金は食費削ればいいだけだけど、全部きちんと読み込む時間が取れない。睡眠時間削ったら集中力が落ちて逆に非効率だったし。20代の頃みたいには体力がなくなってきてるってことか……。
 ところでこういう調べものをしているからわかることだけど、日本語の歴史教育は……そこを抜かしたらわからなくなることを、学習指導要領を作っている側か現場で教育する人間かが理解していなくて、あるいはイデオロギー的な偏向から生じている盲点を「時間の都合」と糊塗して省いている。
 なべて思想は、生きた人間の血をすすることでのみ生きたものとして他者に伝達されるものだ。その自己の経験との突き合わせというプロセスを省略し年号とキーワード暗記(これらは記憶の強化と整理に役立つが!)だけをするんじゃ、教えられる側の生徒、頭の回る子供の感性的な理解から隔絶してしまう。自分が勉強してない、理解してなくて教えられないから都合の悪い(と自分たちに思われる)キーワード(例えば「聖徳太子」や「坂本龍馬」とか)を単純に消すんじゃダメなんだよ。その代わりに「共同体」とか「人権」とかの上位概念だけねじ込んだって、概念を構成する要素や歴史的経緯を省いたらそれはもはや歴史教育ではない。
 ……まあ教える側・指導要領を組み立てようとする側があの体たらくじゃ、教えられる側の生徒は世界史も日本史もわからないよな。時間の無駄に感じるというごく普通の感想を抱いたり、頭に入ってこないと苦しんで脱落する子がたくさん出てきて当たり前だ。世界史はまだ戦後日本のおれたちからすれば価値中立的な学問領域であり、きちんとした専攻と学究的なプライドを持った専門家が多く教壇に立っているからましだろうけど、学究的な精緻さよりもイデオロギーを優先する人間の出世しやすい日本史はこれからますます悲惨なことになりそうだな。


 ちなみに、昨日見た夢。4人目の人物、おれの人生で最後に出会える最後の友人。明るい髪に端正な顔立ち深い澄んだ緑の瞳の少女、橄欖石(ペリドット)のカガリ。なんとなく印象が強くて気になったから、昨日はユングの「転移の心理学」を読みなおしていたんだけど……「心理学と錬金術」の上下巻も読みなおそうかなあ。Sくんのエッセイ先に読み直してもいいかもしれないけど。
 共通の無意識素材の布置によって関係が共通の無意識内容で結ばれると、同じような夢を見たり、不思議な共時性的現象というか精神の相互リンク現象が起きやすくなるのか……グリア細胞の布置と何か関係があるのか生理学的な話はわからないけど、もともと似たような素因がないと起こりえないことではある。
 おれは、君のこころ(ゼーレ)の苦しみを親身になって理解しようとすることによって、君を苦しめている無意識内容に触れ、そのため誘導効果にも曝される。事例がおれの「心を奪い」始める。これは単なる好き嫌いの問題に還元されがちだが、それはわからない話を別のわからない話で説明しようとしている。つまりそのようにさせる素因がおれの中にも備わっているからこそ、君が活性化したある無意識内容をおれに重ね合わせることによって(投影)、誘導効果が現れ、おれにも君のものと対応する無意識の素材が布置される(逆も真)。これ(共通の無意識素材の布置)によって関係が共通の無意識内容で結ばれる。「素材」が良くない働きをするかどうかはそれが組み込まれた全体との関係の中で決まることであって、素材そのものに(善悪などの)性質はあっても、素材だけで決まる話ではない。素材が拍子外れな働きをするのはたいていバランスが良くなくて秩序立っていないから、全体の構成・構造がうまくないからだ。
 その人が文体や表情や声の調子から内面を読み取る能力がすぐれていれば、外面的なことから無意識内容がリンクを始めることもある。おれは君の投影内容なら引き受けても構わない(おれの基本的な性質とだいたい合致する、少なくともおれの構成からそこまで外れていない)と思ったから、関係を続けている。

 自分の2005年~2011年あたりまでの夢の記録も読んだのだけれど、おれの文章力は夢の精密な記録作業に負うところが大きいように思う。要するに記録の都度具体的な文章として解釈と構造を与えなければいけないわけで、源泉が自然のものだからこそ、地の文がどの流派からの引用でもないと評されていた。2005年時点の文章力と今とあんまり大差がない(むしろ素材・事物の精密な描写という部分にかけては昔の方が精密だ)けど、大事なのは自分の内的な意味理解と具体的文章を結びつけていく作業であって、他人の文章の写経じゃないんだよね。まあ読書は十二国記とかブギーポップシリーズとか好きだったけど。
 自分の心の表出内容に精密でもない下手な表現を与えれば、それは解釈のまずさを通じて自分自身を傷つけることに繋がるわけで、描写は常に誠実で精密であろうと心がけてはいたけど、おれは生育過程のおかげでもともと高圧の無意識内容を持っていたから定期的な解釈作業をやめると問題が出るんだと思うよ。今はSくんもいるし最近はいろんな意味で落ち着いてるけど、やっぱりおれにとっては記録をとること自体がサルベージ作業なんだろうなあ。
 文章でも音楽でも絵でも写真でも踊りでも形態はなんでもいいけど、心(意識の辺縁部分)の表出内容を自分(自我)に認知できるように記録すること自体がサルベージ。

 自我の構成さえも強く意識してないと見落とす・見誤るってのはそうだし、場合によっては大事なのが機会がなければ意識化することさえできない自我以外の部分ってこともあるわけだが、そもそも、自分の心の構造や内容についてよく理解してない人が、他人の心の構造や内容の解釈なんてできるわけがない。おれは精神科以外の全ての現代医学を信用しているが、自身の心の分析を通じてしか(素材や布置が全て同じということもあり得ない)他人の心を理解する足掛かりを得られないのに、それを避けているから自分の扱う対象のことを理解しておらず、投薬に頼ることしかできない精神科医はやはり信頼できない。
 養育者に対するモデリングと安定した応答関係の維持による自我強化という根本手段をとらずに、思春期を過ぎて自我がうまく形成されておらず境界例になってしまってから投薬だけ(つまりそれは救済手段になる可能性のある自我もろとも無意識を封じるのと同じだが)で解決しようとするのは技術的に誤りだ。
 だいたい、ちょっとしたことでも心の平静を保てなくなるような、内容も狭く未熟な人格が、他の人格を教育するなんてことができるか? おれは無理だと思うね。感性が死んでるかで鈍くても、目の前で起こってることが理解できないから無理だと思うけど。

 ところでおれの「王様」というか、人格を構成する主要機能は、昔からおれの夢の中ではオレンジ(とかまれに黄色)で表される直観で、その対立機能(つまり影になっている不得手な機能)である感覚は昔から「緑をまとう子供・少女」とか「緑の瞳の人物(例えば獣と鳥で描いたリアン)」で表されていた。本来はオレンジの瞳を持つカガリは10年くらい前までは夢の中の役回りとしていつも自我-自己人格を表す像として出てきたので、昨日(もう一昨日だが)夢でみた「緑の瞳のカガリ」という像は、自分と自我-自己人格の構造が似ているが自分と対立する感覚機能を主要機能として発展させた人物像、となるか。ちなみに、おれの「虹色の月を探して」の歌詞の元ネタになった夢に出てきた「緑の衣をまとう踊り子」は、外見は舞乙女のニナだが声と雰囲気はローゼンメイデンの水銀灯だった(当時の記録群をそのままここに書いてもいいけどちょっと長くなるかな……Sくんの自己分析の役に立つかもとは思うけど)。
 おれはSくんの内容物を(本人の強い希望もないのに)公開させることを望まない。ただおれがどういうふうに無意識の内容を分析しているのかやり方を見せて、参考にしてもらえたら、心を公開するというある種のリスクを伴わせずとも少しばかり深い自己理解の手段を手に入れてもらえるかな、と思うだけ。
 あとこれはおれの印象でもあるんだけど、おれとSくんってさ、似てる精神構造してるけど、主要機能が正反対なんだよね、多分。

 君は、純度の高い洗練された現実的感覚のペリドットと、淡くあたたかな感情を特徴とするピンクの黒真珠(のイメージが強い)と思う。おれは、太陽の光で満たされた水晶と、激しく燃えさかるルビーと、深い海をたたえたラピスラズリ(昔からその三者で自我人格機能を構成することを好んでいた)。人生の大事な選択やいざというときに判断の頼りにするのは、自分の得意機能(主要機能)の方が確かで間違いは少ない。なんとなく今の君は人生で一番大事な選択が連続して待っている気がしたから、おれは、人によって構成が違う得意機能と不得意機能というタイプ論の話を題材に取り上げたんだけど。
 そして一般的に、夢やおとぎ話や神話の言語として出てくる場合の「服」は、趣味に合わせて着飾るにせよ、周囲や環境に合わせて控えめにするにせよ、外の人々に自分はこういうものだと見てもらいたい俳優の仮面(ペルソナ)を表している。それに対して「靴」は、地に足を着けるその接点を覆い飾るものであり、ペルソナのうち、より現実的な側面を表すと言える。
 服や着飾るもの(又はむき出しの生命の現実を覆うもの、とも言えるが)に気を遣わないというのは、現実適応・ペルソナ形成に無頓着、外からどう見えているか外がどう受け取るかに無頓着な基本姿勢を表しているとも言えるが、理解していて無頓着なのとそもそも理解できないのとでは雪と墨ほどの差がある。要するに、無視するにせよ操作しようと試みるにせよ、環境や外の人々を計算に入れられるかどうかの差が出る(どんな格好をするかが問題というより、相手の対応を計算に入れたうえで自分の態度を決められるかが問題になっているということ。自分の分限は引き受ける責任倫理に従って行動できるかの境目)。


 なんでおれがこんなことを書いているかというと、控えめに言っても、おれは君との関係が停滞しはじめていると感じているから。もちろん信頼してくれているのもわかるが、君も少しおれに退屈しているんじゃないかという気がしているから、何か新しいことを考え(ズバリ言ってしまえば新しいおもちゃ=思考素材を与え)ようとしているんだが、どうだろうか? おれはおれが心から興味を抱いて面白いと思ったこと(そして多分君が興味を持ちそうなこと)しか話さないが、もし君に不評だったら何か違うことを考えるよ。
 あと、おれはSくんの行う分析や評価はだいたいとても精確だと思ってる。判断材料が足りないとかでわからないことはわからないとして保留にできる認識批判(というか精神の禁欲)もきちんと手札にそろえてるし。君が一昨日の配信で言ってた、ロマサガの何とか騎士への闇堕ちの定義当てはめは、舌を巻くほど見事だった。名付け方、そう名付けた理由の説明含めておれがするより整合性があるしよりうまい。
 天賦の素質と若い頃からの日常的な訓練の結果、両方あると思うけど、あれは本当にきらりと光る才能を感じた。
 から、おれが持ってる手札でできる手助けでそこをもっと伸ばせたら(セールストークやもっと広義の交渉術にも応用できるかもしれないけど、それ以上に、精密な言語化能力・分析力による認知の拡張はそのものが武器になるから)、君がもっと面白いことができたりもっと高みへ行けるんじゃないかと思って。おれの見立てでは君はまだまだ伸びしろがあって、だから先が楽しみだと思っているんだけど。おれが自分から積極的にかかわっているのはそういう理由もあるかもな。

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