英語の話せない私がアメリカでバイリンガル育児3
アメリカ到着翌日。
主人は仕事、私は運転ができない、話し相手は0歳の息子だけ。
とりあえず敷地内を息子を抱っこして歩いてみた。
キラキラ輝いてるように見えるアメリカ生活も現実は知り合いも誰もいない、買い物も1人で行けない、自分では何もできない無力さしかないただただ孤独な日々だった。今思うと当時の私は必死すぎてそんなことにも気づけないほどだった。
主人が帰ってきてから日用品の買い物に。
そこでまた難関が。
アメリカに行ったことがある人はきっとわかる。
とにかく話しかけられるのだ。
レジの人も、街の人も、お店の人も。
そして私は赤ちゃんを連れている。話しかけられない理由がない。
好意で話しかけてくれるのに何も返せない。
申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
でも、カリフォルニアの私のすんでいた街は英語の苦手な人も多く、私のめちゃくちゃな英語でも解ろうとしてくれる人が多かった。
息子のおかげでだいぶ救われた。
ただ、聞き取れず笑顔で返すだけの方が多かった。
毎回レジに行くたびに、何を話しかけられるのかドキドキして初めのうちは主人と一緒でなければ買い物にも行けなかった。rewards cardの話、袋はいるのか、それすらわからなかったら申し訳ないとヒヤヒヤしていた。
どこで何を買っていいのかも、普段使い慣れた食材もない、にんじんは細いし、きゅうりは太いし、茄子は大きい。
とにかく戸惑いしかない、ビクビクしながら日々を過ごしていた。
テレビは何を言ってるかわからないし、とにかく日本語が恋しくて、SMAPのライブを見まくり、両親に日本のバラエティ番組をDVDにして送ってもらっていた。