手書きの文字は
息のよう 血のよう
喜怒哀楽 感情そのもの
熱 エネルギー
表情
本音感 本心感
心そのまま
心の声
字を続けて書く・あまり書き直すことがない・直すときは全部線で消して書き直したりする、その時でも線で消したものも見えたりする手書きは....
デジタル入力の、
ちょっとちゃうなと思ったらすぐ消して入力し直したり
途中の助詞をちょっと変えたりと編集するのが当たり前のものとは、、
まるで別次元のものだ
いやほんとに、、、、、
いやこうやって比べたら いやいや、、
デジタルって よく言われてる批判以上に
やっぱむちゃくちゃ軽薄なものだわ、、、、、、
(ここにこれを上げてることとの矛盾は置いといて)
手書きというものは ある意味ひとつひとつが作品、、
二度と再びその同じ筆跡形の手書き文字によるその文章がこの世に生み出される吐き出されることはない、、、、、
いや文章自体は多少デジタルでも同じだとしても、、フリック入力で入力される文字言葉と 手書きでの言葉文字は、、、、
“固有性” が段違いだ
だいすき たとえばこんなのも
フリック入力によるだいすきは
<ただの→↑←↓の組み合わせ> に過ぎない
けど手書きの文字は
ある何年何月の何時頃に
どういう気持ち気分で書いた
どんな大きさの どんな勢い丁寧さ雑さの
どんな心のこもり具合で書かれた文字か で
もう、、その【固有性】は
星の数にも匹敵するだろう