見出し画像

酒店とは。

何かといつも考えております。
歴史を見てみると、酒造りと同じく寺院から派生し、関西(京都)を起源とする物が有力です。
話が長くなるとアレなので、私たちのお店の説明と今後のヴィジョンをお話ししたいと思います。

弊店は創業してから120年ほどと言われておりますが、曾祖父の時代は火鉢があり、そこで暖を取りながら近くの豆腐屋さんで買った豆腐をお客さんが持ち寄りお酒を飲ませていたようです。

裏手に蔵があり、焼酎製造と次いでビール等の種類を販売したりしておりましたが、祖父が39歳で夭折しまいます。

父の代(およそ40年ほど前)に店舗兼住宅として子どもながら、業務に追われる父母の姿を目にしておりました。
本当にあの激動の時代に私たちを支えてくれた両親や親戚、番頭さん、バイト生の皆様方には書中より感謝致します。。

当時のラインナップは所謂業務アイテムと呼ばれる、ビールや大手の焼酎、ジュース類。
日本酒に関しての知識など殆どなかったのではと思います。
1990年代頭にはディスカウントの台頭、2003年に販売規制緩和でコンビニ、ドラッグストアまで商売敵となってしまいました。
飲食店さんからの値引き商戦に巻き込まれ、薄利多売と売掛の嵐w
配送時間も定められていなく、暇なのにバイトの子が待機を余儀なくされ、9時過ぎまで働いて?いました。

私自身も2009年に戻って来た時は何の知識もなく、ご来店数も本当に少なくて、9時から20時過ぎの営業時間にも関わらず6,7組見えたら喜んでいるような状況だった事は確かです。

「コミュニケーションをとりたい」「直にお酒の感想を聞ける事が出来たならば」「時間を整理して、ご来店数の比率を上げたい」そんな思いが蓄積し、先ずは焼酎のプロセスを、そして日本酒の種類や意味を勉強して(純米酒って何?っていうレベルでしたw)卸会社さん依存では無く、直に足を運び蔵元さんと交流してお取引させて頂く必要があると、感じたものでした。

諸先輩方のお力をお借りし現在の店構えとなり、佐賀県の東鶴酒造さんに始まり、自分のコンセプトを掲げ、広げ過ぎないを事を信条として、現在漸く「街の酒屋」として皆様にご理解頂けたのかなと想っております。

特に直にお客様の声を聴くというのが、念願でしたので角打ちや飲食店様とのコラボレーションを実現出来た事が嬉しく、これにより田舎の酒屋の役割や認識に明確な目的を見いだせたと思います。
今後も「酒に携わりながら地域に寄与していく」という目標を維持して、可能性を拡げれたら幸甚です。

文章は千文字程度で終わらせたいので以上ですw

ご覧くださりありがとうございます。

不定期イベントの様子。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?