ピースボートまでの道
ピースボートの旅の話の続き。
よく居酒屋とかで目にするピースボートのポスター。20年前、どうやってピースボートに乗ったのか?ピースボートに乗るまでのお話し。
当時、5年働いた会社を辞めて失業保険申請中だった私。
これから何をしよう?と日々悶々としていたある朝、新聞を開いたらそこに「地球一周船の旅」という文字が飛び込んできた。
子供の頃から海外に行きたいという気持ちはあったものの、英語は苦手でビビりだった私でもこれなら行けるかもー!!と気づけば電話してパンフレットを取り寄せていた。
パンフレットを読んでなおさら行きたくなった!でもお金もかかるしなによりお母さんが許してくれるわけがなかった。
そして私はお母さんに嘘をついて、当時、大学生だった横浜に住む弟の家に遊びに行ってくると行ってピースボートの説明会に行った。
説明会を聞いてもう行く事に決めた。というのも、ピースボートにはボランティア制度があって、ピースボートのポスターをお店に3枚張ると1000円の割引になるというありがたい制度だった。これだ!と思った私は、翌日から東京都内で毎日、ポスターを貼りに行った。
それから2週間後、失業保険の認定日に合わせて実家に帰ったタイミングでお母さんにピースボートに乗る事を伝えた。お母さんは何も言わず、おばあちゃんに相談に行ってしまった。
もちろんおばあちゃんは大反対!おばさんに関しては私が変な宗教にハマってしまったとまで勘違いさせるくらい家族全員で私のピースボート行きを阻止しようとした。
これは話しても理解されないと悟った私は、翌日から毎日、車に自転車を乗せて新潟県内各地でポスターを貼りに回った。
毎日、決めた町に行って車を停めて、リュックにポスターを詰めて自転車で一件一件回った。いろんな町を巡るごとにその町の特質や人柄が見えてきて面白かった。スナックなんかの夜の店は夕方行くとお店の裏側が見れて大抵のスナックのママさんは優しくポスターも快く貼らせてくれた。
中には店に入る前から門前払いされた事なんかもしばしばで嫌な事言われた時もあって人間不信になりそうな時もあったけれども、それ以上に応援してくれる人やピースボートに関心を示してくれる人が圧倒的に多くて励まされて頑張れた。
そんな毎日頑張ってる私の姿についに母もピースボート行きを許してくれた。
こうして、東京と新潟を行ったりきたりの生活を送って3ヶ月!なんと約3000枚もポスターを貼っていたから船代のほとんどとなっていた!
そして、ついに迎えたピースボート乗船の日!
港までお母さんが見送りに来てくれたのが嬉しかった。
あれだけ大反対していたおばあちゃんとおばさんはピースボートから帰った後、ピースボートに行った私の事を誰かに自慢するほどになっていた。
ピースボートに乗ると決めなかったら、親の反対を押し切ってまでもここまでの行動はできなかったし、ピースボートに乗った事と同じくらいポスターを毎日貼るのに東京都内〜横浜〜新潟県内各地を巡った旅もまた私にとって大切な思い出となった。
ポスター貼りが染み付いて乗ったピースボートの船旅、しばらくの間、寄港地の壁を見るとポスター何枚貼れるか?なんて考えてしまうほどだった。笑
こうして頑張って手に入れたピースボートへのチケット🌏
人生を変えた旅の始まりのお話でした✨