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2018年を振り返ると、kakeru副編集長と喧嘩したことしか思い出せない。

こんにちは、三川です。

久しぶりのnote。いや、下書きにはたくさんあるんですよ。みんなに伝えたいことがたくさんあるのに、なんかこうね、うまく書けないというか、うーん。言い訳やめます。

さてさて。さきほどこんなツイートをしました。

年末なこともあり、いろんな人に「2018年どんな年だった?」と尋ねられるたびに考えるふりを10秒ほど、そして「失敗した年だった」と答えてます。「2018年実現することリスト」の多くを達成できなかったからです。自分の力不足で思うようにできないことが多く、悔しく苦しみ自信を失い……の繰り返しでした。

(あ、これどこまで書いていいんだろう。会社のこともあるので、適宜ごまかしつつできるだけ素直な表現で綴ります。)

実験することが大好きで、普段は「失敗大歓迎😊」な精神で生きているのですが、今年は失敗後の処理(失敗の成仏)が難しいことが多かった。そして数多くの失敗エピソードに登場するのが、kakeru副編集長の酒井くんです。

冬になにしとんねん。

なんで喧嘩したの?きっかけは?

"酒井"の名前は、kakeruのメディア上ではあまり出てこないかもしれませんが、2016年春前から副編集長を務めており意外と長く携わっています。彼はPR戦略マーケ,コンテンツ編集が得意でSNSコンサルタントではないこともあり、kakeruを陰で支える役に徹しています。

kakeruの運用体制についても触れておきます。2018年夏までは専任はおらず、編集長の私・副編集長の酒井含めて全員がクライアントワークと兼任していました。クライアントワークが繁忙を極めると、kakeruに費やすリソースを削って業務をこなす状況です。ひどい時には月に5時間しかkakeru業務をできなかったこともありました(大げさに盛ってるかも)。kakeruの更新頻度をご覧になれば分かるかと思いますが、「kakeruは業務のスキマ時間を使ってやる」ことが当たり前になっていました。

それでも「やりたいことだから」と、業務が終わった夜中にkakeru業務で作業したり連絡したり、2人で必死になにかを守っていたように思います。「kakeruを新規事業として提案してみようか」「思い切って会社を作ってしまおうか」なんて、現状から抜け出す方法を2人でずっと言い合ってました。

前置きが長くなった…。

喧嘩の発端は2018年春前。実は1年ほど前から会社には「kakeru専任でやりたい」と相談していましたが、思うように事は運ばず。私がクライアントワークに追われすぎkakeruどころではなくなって、しまいに大きく体調を崩してしまった時期でした(自分にブレーキがかけられないのは本当になんとかしたい)。

「kakeruをやりたいけどできない。けど、目の前のクライアントワークもやりきりたい。やりたいけど、苦しい。」

人に弱音を吐かず淡々と自分で気持ちを処理する私ですが、この時ばかりは精神的に参ってました。そんな弱い気持ちを伝えやすかったのは同僚でも部長でもなく、酒井くん。まったく眠れなくなってしまった私は夜中(3時とか4時...)でも平気で連絡していた気がします。

そして私は、酒井くんに相談することなく部長に退職したいことを伝えました。

事後報告した私に酒井くんは激おこぷんぷん丸。まあ、そりゃあ怒るよね。私が酒井くんを裏切るような行為をしたことが喧嘩のきっかけでした。

「毎日が殴り合い」のはじまり

そのあといろいろありまして(言えない)、退職せず会社に残ることになり、不幸にも望まないタイミングで私と酒井くんは念願の「kakeru専任」になりました。

上記のこともあり一気に関係が悪くなりました。お互いが何を考えているのかも分からなくなり、ミーティングもお葬式状態。向かいの席なのに、会話せずにチャットのみ。話そうとすれば、お互いの駄目なところや不信に思ってることを喧嘩腰で言い合い、周りが心配するほど。同僚に留まらず部長や役員、時には社長まで巻き込んでしまいました...。

(ガキの喧嘩だ)

原状回復につとめる努力もした

逃げるように互いに複業を進め、共有できない空間を作っていたように思いますが、仕事は仕事。真面目な2人なので、喧嘩をしながら静かに仕事を進める異様な空気でした。

もちろん、喧嘩モードから脱出する試みをいくつか実践しました。たとえば、「ヒュッゲ」。デンマーク語で"居心地がいい時間や空間"を表すのですが、毎週水曜夜は未来について話し合うと呈して2人で呑みにいったりボーリングや映画鑑賞したりと、仲直りをつとめました(笑)。これは今でも続いています。始めて数カ月は終電まで言い合って解散してたけど。
今はこんな感じ↓

あとなんだろう。もう喧嘩してないですよアピールをするために、わざとらしく執務室で会話してみることもした。その時周りがざわざわしていたのを未だに覚えています(笑)。

ここまでが2018年夏くらい。

喧嘩のしすぎで何に怒ってるのかもはや分からないが、違和感のあるコミュニケーションしかできなくなっていました。心配してくださるみなさんから「酒井と最近どう?大丈夫?」と言われ、何がどうなったら大丈夫な状態なんだろうと考えてしまい。酒井くんと話すたびに「俺は必要ないでしょ?どうみたって必要としてないじゃん。」と言われ。2人の関係が修復されないなら3人目を入れたらどうかと提案し、また喧嘩になって。何をやっても喧嘩。この頃はすっかり自分に自信をなくしてしまい、辛かった。

kakeru再始動の目処がたった

気まずいのに仕事をきちんとこなす異様な二人のまま、kakeru再始動の方針が固まりました。2018年9月のこと。

kakeru立ち上げ当初と概ね変わらず「社員のブランディング」と「ソーシャルメディア世界の実態を紐解く」ことをコンセプトに、部メンバーを巻き込んで再度エンジンをかけました。

私たち2人の空気に、関わってくれたメンバーはびっくりしたと思う。ミーティング中は目を合わせないし、直接会話しないし。なんか暗いし。やりにくくてごめんと思いつつ、どうしたらいいのかもはや分からない。自分たちの問題なのに、他人に逃げてましたね、はい。

ついこの前も喧嘩した

秋くらいかな。急に酒井くんが元気なくなったんですよ。これだけ向き合って(喧嘩して言い合って)たら分かる。毎週水曜のヒュッゲの時間でもずっと無口で。"はあ、こいつなんなん。いい加減にしろよ"と思いつつ、言い出せない私。それが数週間続いたある日、「俺、三川さんに疲れたわ。」て。疲れたらしい。うん、疲れるよね。私もこれだけあなたと向き合ってたら疲れるわ。「もっと周りのこと考えて動かないと、周りが疲れて離れていくよ。」と言われて。市ヶ谷にある居酒屋「金市郎」で大好きな牛タンしゃぶしゃぶを食べてたのに。そこから久しぶりの大喧嘩がはじまった。

閉店の時間を過ぎても言い合いがとまらず、笑笑に移動。

けど、このときは通じることができた時間があった。なんでこんなに喧嘩せなあかんねんという話になった時。「お互い似てるのかもね」て。まさかこんなオチがあるとは想定しておらずびっくりした。そうか、似てるかもしれないと今までにはない空気でそういう話をした。似ているから、相手が傷ついたり嫌がるポイントもなんとなく分かって。でもプライド高いから敢えて触れなくて。そんな話をした気がする。朝6時に解散し、その日はいつもどおり仕事をこなしていた。

おたがい、会社に怒っていたと思う。

正直にいうと、今でも気まずい。さっきもkakeruの振り返りしてるのにぎこちなかったし。大きくできた溝を埋めるのは容易いことじゃないし、体力もいる。人と真剣に向き合うのはこんなに疲れることなのかと嫌というほど体感した。

なぜこんなに喧嘩するのか。たぶん会社に怒っているんだと思う。掘り起こせば私たちの力不足なのだが事がうまく進まず、相談する宛てもなく2人で必死に悩み。倒れるほど苦しみ。でも、どうにもできず。

当時、kakeru業務が特殊なポジションにあった関係で、この思いを会社の誰にぶつけていいのか分からず、消化しきれない怒りの矛先を互いに向けていたように思う。

まあでも会社に怒っても仕方ない。知ってる~

これからのこと

「自分のことしか考えてない」と散々言われ「そうじゃない」と言い返した私は、kakeru記事やプロジェクトにスタッフロールを入れることを始めた。私ではなく別のひとをプロジェクトマネージャーにたてるようにした。取材依頼がきたとき、"適任は誰か"とみんなのやりたいことを思い出しながら考えるようになった。

kakeruは私のものなんて決して思っていない。どれだけの人に支えられて成り立っているか。みんながいたからこそ、3年も続けることができている。なかなか感謝を述べるのが苦手で不器用な私だけど、これからはもっと気持ちを伝えていこう。

さきほどのkakeruミーティングで、「社内外関係なく、kakeruに関わりたいって思ってほしいよね。」「もっといろんな人とkakeruを育てていきたい。」「ソーシャルメディアにとらわれず、もっと広く。」と酒井くんが言ってた。本当にそう思う。

はあ、疲れたなあ。もう喧嘩やめたい。たくさん言い合ったし、そろそろ未来に向けて足並みを揃えたい。もうちょっとだけ時間かかりそう。

こんな2人を中心にkakeruをどんどん進化させたいので、みなさんどうか暖かく、一緒に育てていっていただければと思います。

おわり

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