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夏の西瓜と、紅茶の空き箱に自分のこれからを詰めて

 8月に入って直ぐの午後、暑い中女性の郵便屋さんが我が家に大きな西瓜を届けてくれた。
 宛名は私の実家からだ。私の育った場所は夏になると美味しい西瓜が沢山実る。

 重い段ボールを部屋まで運ぶと、息子が飛び出してきた。
 お届けものに弱い、齢10才の息子は嬉しそうに目をキラキラさせて「開ける!開けさせて!」とはしゃいでいる。

 息子と一緒に開封した段ボールからは見事に大きな西瓜が出てきた。
 まず一番に思ったのは冷蔵庫の整理。どうやって入れようか。皆さん悩みますよね?
 息子は今から川に行って冷やせばいいよ!なんて可愛らしい事を言っている。
 そんな綺麗な川なぞ近くにないのになぁ。

 と同時に息子への誕生日カードとお祝いが入っていた。
 ここ数年は、私がお盆時期に実家に帰らないのとコロナも重なって、こうして何かのお届け物と一緒に孫たちにお祝いを送るのがお決まりになっていた。
 カードの裏はじーじばーばからのメッセージ。
相変わらず、二人とも字がとても綺麗。

 もう一つ、何か小さい箱が入っている。
 どうやらマスクにファンデーションがつかない粉、母が愛用している化粧品会社の製品だ。
 粉の説明書は入っているけれど、このモノはどういった経緯で私に渡したいのかの説明は無し。

 モヤモヤする。

 私が結婚を機に実家を出てから、いや良く考えたら実家にいた頃からずっとなのだ。

 母はモノでコミニュケーションを取りたがる。

 実家にいた時は、私の机の上に。実家を出てからはこうやって何かの荷物と一緒にそのモノ達はやってくる。
 そしてそのモノ達には決して私にNOとは言わせない圧力がかかっている。
 親戚から貰った好きな人しか嬉しくないアニメキャラのクリアファイルとか、母の古着やバックとか、買い過ぎて使っていない化粧品とか。

 いつからだろうか。私は母に対してこう言った類のモノに対して断れなくなってしまったのは。
 幼い頃から『いらないモノは要らない』と発言する事を、ことに母親に対して出来なかったのか。


 でも私は決めたのだ。

 いつからとか、何がきっかけでとか。

 貰ったモノを押し入れの奥にしまい込んで無かったことにはもうしない。

 嫌な気持ちになりながらゴミ袋に詰めて、罪悪感に苛まれる事ももうしない。

 断る努力をしてこなかった私はもういない。

 しっかり理由をつけて、断る。 

 本当は会話しながら断れれば良いのだけど、まだそれは怖いので、私は小さな紅茶の空箱に化粧品と一枚のメモを挟んで宅急便で送り返した。

 『必要なものは、自分で選びます』

 母を傷つけようとか、今までの事全てに気づいて欲しいとか、母がどう思うかとかでなく。

 このメモは私の意志の塊だ。



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