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年末の焦燥感が好きじゃない

 年末の焦燥感が好きじゃない‥‥
 ってこうやってnoteに文章にしている所で焦燥感に駆られていないような気はするのですが。

 我が家の年末年始は、主人の仕事の特性上特に毎年何もなく過ごしています。
 年末の大掃除も、子ども達が学校から持ち帰ってきたものを整理したり、普段手入れをできない場所を一緒に掃除したりするくらい。
 主人は長い休みを取れないので、大きな掃除は普段の休日に一緒にやってもらっています。
 あとは普段からちょこちょこ掃除のついでに。    
 特別きれいな家ではないですが、家族が気持ちよく過ごせるようになんとなく普段から掃除はしています。

 新年の準備のための買い物も、子どもが小さい頃は一人で子ども二人を普段より混んでいるスーパーに連れて行ったりして、家族連れでにぎわう中、ちょっと寂しい気持ちになったり、自分だけ傷ついたりしていました。
 だからといって、年末実家に帰ると、昔と変わらず親戚の襲来、デリカシーのなさに辟易してしまうので、年末年始に実家に行くのはやめました。

 最近『自分を深く知る』という作業を少しずつしていっている中で、自分の生きづらさの原因の一つに『自分の家族のテリトリーの中にいつも他人(親戚)がいたことへの嫌悪感』があったことが分かりました。
 母親との関係性も原因だったのですが、そこに絡んでくるのはいつも週末にやってくる親戚の存在があったなと強く感じたのです。

 子どもの頃の年末年始の事を思い出しました。

 何日も前から大量のお節の準備で冷蔵庫はパンパン。
 私の部屋の勉強机の上まで来客の為のおもてなしの材料が並んでいる時もありました。
 時間差で次々やってくる親戚、知人。
 大きな机が幾つも並び、ぎゅうぎゅう詰めで座らなければならない。
 その中で楽しく食事をできればまだ思い出としては良いほうだったのかもしれない。
 私はその次々やってくる親戚が来る度に母親の指示が出て、玄関に挨拶に出なければならなかった。

 何度も何度も。
 寒いのに見送りまでしなくてはならない。 
 嬉しくもないのに、笑顔を作って。


 書いていてびっくりしたのですが、今まで単純にモヤモヤしていた思い出が、こんなにも細かく覚えていたんだと言う事です。
 きっと記憶に蓋をしていたのかな。

 そして私は未だに無意識下の中で、この思い出の中の年末から抜け出せていなかったんだという事。
 もうあんな場所には行かなくていいのに、その場に行かない自分に罪悪感を持っている、という事。

 自分がHSP気質があるから、思い出の切り取り方がこんな風になっちゃうのかな。

 毎年こんな寂しい気持ちになるのは嫌だな。

 来年の今頃の私は、変わっているといいな。


 そんな事をふと思う今年の年末。
 いそいそと年賀状を買い、『お節手伝うー』と栗きんとん(だけは私は毎年作る)の作業を手伝いにきた娘が

 『今年は年末感しないねー』

 君の年末感がよくわからんが、ふふっと笑えた。

 寒空に背伸びをしたら、囚われている背中が少し軽くなった。





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