私だけのおばあちゃんでいて欲しかった
私の実家は昭和ではありがちな3代で住む家だった。
父と母、母方の祖父と祖母、弟と私。
母は四人姉妹だったので、毎週末の様に入れ替わり立ち替わり祖父母の娘と旦那(私のおばとおじ)、その子ども達(いとこ)が当たり前の様に
居座り、大量の訳の分からない食事と誰が入ったのか分からないお風呂、雑魚寝が当たり前だった。
子どもの頃はそれなりに楽しかったのかも知れない。
歳の近い従姉妹たちと遊ぶのも楽しい記憶はうっすらとあったと思う。
と同時に嫌悪感と疲れは毎回あった。
私の家は平日の家事育児は祖母が主に担当していた。
おばあちゃんが母親代わり。
家に帰ってきてオヤツを出してくれるのも、夜ご飯も全て祖母がやってくれていた。
私は沢山祖母に甘えて、沢山愛情を貰った。
好きなテレビ番組も一緒に見てくれる。
ピアノを弾けば毎回上手だねぇと褒めてくれる。ユーモア溢れるお洒落なおばあちゃんが大好きだった。
ところが土日になると我が物顔の親戚が、当たり前の様に居座る。
家の雰囲気が一変に変わる。
酔っ払ってうるさい大人達、遠慮を知らない従姉妹たち。
自分の部屋に引きこもる事も許されない。
もちろんおばあちゃんにだって甘えられない。
本当に辛いなと感じた記憶は、正月の父方の親戚への挨拶周りで、日中ヘトヘトになって疲れて帰ってきた家に母方の親戚がもう既にいた事。
毎年の事なのだが、毎度毎度嫌悪感しかなかった。
父方の親戚は皆優しい人達ばかりだったので、この時ばかりは疲れてても家に帰りたくなかった。
疲れた顔を察してくれたのは唯一、祖母だけだった。
今思えばねじ曲がった考えだと分かる。
母の姉妹達の母でもあるし、みんなのおばあちゃんだもの。
誰が甘えてもいい可愛らしい人気者だったから。
でも。私は、私だけのおばあちゃんでいて欲しかった。
一緒に作ったミルクキャラメルも、お昼のおかかおにぎりも、おばあちゃんが教えてくれた薔薇の絵の描き方も、私だけにくれるお小遣いも。
全部私が独り占めしたかった。平日は独り占めしているのに。大好きなおばあちゃんを。
きっと私は母に存分に甘えられなかった穴埋めを祖母にしていたのだな、と最近気づいた。
祖母がいてくれて、沢山愛情を注いでくれたお陰で私はここまでこれたのだ。
唯、穴埋めは代わりにはならなかったと。
私だけのおばあちゃんでいて欲しかったなんて考えの裏には、結局母への喉から手が出るほど欲しかった愛情のすり替わりでしかなかったのかなぁと、思います。