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その後の事

 以前、デイキャンプの帰り道に腹痛に襲われたと同時に、フラッシュバックのような状態で、子どもの頃の忘れていた記憶が不意に思い出として出てきた日がありました。

 普段からあまり夜に車に乗るのは好きでなかったのは、この思い出が私の根底にあったからなのからなとも思いました。

 まあ、でも子どもの送迎等で夜に運転することもあるので、普段は余り気にせずにいるのですがね。

『自分を深く知る』という作業をしていると、こんな事もあるんだと少し怖くなっている自分もいました。

 そんなデイキャンプから三週間ぐらい過ぎた日のある土曜日、朝から部活だ子ども会だ、午後からは友達と遊ぶ約束だ塾だと忙しい子どもたちの予定に、いつもより少し疲れた私がいました。

 なんとなく、この間の不安がよぎりました。もしかしたらこの間のフラッシュバックのような状態になってしまうかもしれない。
 この感じが癖になってしまったらどうしよう、と漠然とした不安が心を覆うような気持になりました。

 でも。

 なぜか私は敢えてその不安に自ら立ち向かおうと思ったのです。その時。

 いつも休日の子どもの送迎は主人がいればお任せしてしまうのですが、今日は夕食後、息子が主人と一緒にゲームをやりたいと言っていた。
 私も、車で娘の送迎後少しの間一人の時間が欲しいと思っていた。
 車の中で、友達と出かけてきた娘の話も聞きたかった。

 少しの不安と、小さな光。
 私は後者に舵を切りたいと思ったのです。

 私は今とても幸せです。
 毎日顔を合わせる家族は、皆元気で明るい。
 それぞれ心配事や悩みを抱えているけれど、家族の会話はとても楽しい。
 いつか離れていくかもしれないけれど、その先はそれから。
 家族というものに疑問を持っていた幼い私は、今こんなに愛しい家族に囲まれて暮らせている。       

 もうそれだけで十分じゃないかと。

 それ以上望むものはないなと。

 娘を送っていった帰り道、運転しながらとても強く感じました。

 だいじょうぶ。私はだいじょうぶ。

 不安はとても強い気持ちと安心に変わっていました。

 どこかで見た記事の事なのですが、この言葉がしっかりと府に落ちた夜でした。

毒親を持った子どもは大人になっても、親を恨みながら求めるという葛藤がある。それがあらゆる不調の本質だ。しかし、世の中親より愛してくれる人などごまんといる。そもそも愛情を持ち合わせていない親からどんなに愛を求めても愛は出てこない。自分を愛してくれる、愛ある人から愛されよう。



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