世の中の当たり前が変わるとき。
きっと、今大学生だからこそ、いえることがあるのかも、、?
そんなことを思いながら、手を動かしたこの頃です。
この話、あくまで一人の独り言と思って聞いてください!
幼稚園のころ、『本読むのが当たり前』と言われ絵本を読んだ。
小学校のころ、『英語勉強するのが当たり前』と言われ英語を勉強した。
中学校のころ、『英検受けるの当たり前』と言われ英検を受けた。
高校のころ、 『推薦もらっていくのが当たり前』と言われ高校入った。
すべて、親のいう、世間のいう『当たり前』をたどってきた。
それが、『当たり前』だと思ったからだ。
だから、私は知らなかった。
小学校から漫画という本を読んでいいことを。
英語は中学校から始まるということを。
英検を取れるのは、中学校の時点で取れてるのがすごい!ということを。
バスケの推薦をもらえること自体がすごいということを。
こうして、高校も卒業したものだから、
『当たり前』とされることができないとなるとき、自分を不思議に思う。
だが、大学一年生。自分にとっての『当たり前』が変わった。
ほんとうに些細なことにも。
誰もが知ってるような、定義を。
どうでもいいことでさえ。
「あたりまえではない」ということを。
コトン。ポストに入っている手紙。
ピンポーン。と鳴らして届くウーバーイーツ。
どこぞの誰かが、配りに来ている毎日。
不愛想な対応されようと、忙しいひと手間も、
気づいているようで、きっとあなたは気づいていない。
知ってるよ。そう思ったひとへ
私もそうだった。「わかってるよ。知ってるよ。」
自分の目線で分かった気になっていないだろうか??
あなたは考えたことがあるだろうか??
その人の立場になって。
その人の気持ちになって。
その人がそんな想いで届けているかなんて
人は興味を持たないことが多い。
きっと、書いてる私もまだ気づけていない当たり前がある。
自分で一生懸命だから。頑張ってるんだから。
そう。みんな頑張っている。
だからこそ、気づかれない「あたりまえ」になってしまうのだ。。
そんな当たり前にも気づこうとなる時。
きっと、誰かのためになんで??と悩めることができるのかもね。。
最後まで読んでいただきありがとうございます!🌸🌸
あたりまえと思うことが決して悪いわけではないです!
ですが、あたりに広がる「あたりまえ」に気づこうとするときに
見ているものの見方や捉え方が変わるということ。
そして、人とのかかわり方も少し変わってくるかもしれないです!
いつまでも続くとは限らない、いつもの言葉に。
いつも以上の「ありがとう」が届きますように!🌹🌹
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