聖書とデザイン言語4)

「デザイン言語」を知る最初のきっかけは、こちらの記事にあるApple社が採用した「スノーホワイト」を通じてだったが、その前に、86年にマックの代理店になった当時、何かの縁でこちらの工業デザイナーの記事(マック専門誌の)を目にする機会があり、そこで初めてその存在を教わった記憶がある。

上記のデザイナーは、アップル社からコンピューターのデザインを依頼される人物だったと知るのは、それから数年経ってから。また途中、交通事故に遭われ車いす生活の経験から、自己の健康維持のために医学博士を取得、人工心臓のデザインまで手がける方でした。

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当時だされる製品ごとに統一感がなく、購入したユーザーが、同じ会社のものなのに使いこなすのに不便する場面が多かった。それを解消するために製品のデザインを手がける前に、標準語的な約束を提示するのが「デザイン言語」だった。

その後さらに「デザイン言語」の考え方が、最近、聖書の伝えようとする方向が一致していることに気づいた。それは、数千年もの間、人々の信頼を裏切らずに読まれ続ける「聖書」なのに、この世の中、戦争や病気、事故や事件、災害と、不幸なことが消え去らないのはなぜか?

逆に考えると、世の中のありとあらゆることが、いい面と悪い面の片方が強調される話が主で、結果、どちらが本当か分からないように情報が操作されているカラクリが見えてくる。

学校に行っても、テレビを見ても、新聞雑誌を読んでも、何が本当かより、混乱させる方向の社会に住まわされていることに気づく。全てが統一感のない社会に囲まれている。

聖書にしても、旧約聖書、新約聖書の役割や違い、カソリックとプロテスタントの違い、一神教と多神教など、聞けば聞くほど何が真実か見えなくなってくる。

もっと話を広げるのなら、放射能、病気、ウイルス、電磁波、添加物、農薬など、不安をあおる話ばかりで、どれほど危険かの前に、危険回避に役立つ話や工夫、病院へ行けば必ず病気が治る話など、人々を安心させる話は本当に少ない。

自分より上の学校へ行き、収入も多い会社や職場についても、病気や事故など不幸に巻き込まれればなすすべもなく、それまでの努力や能力、苦労や運でさえも、何の役にも立たないことに気づく。

なぜ病気にならない方法や完治させる手段が、なぜこうも少なく、一番大事なその答えを教えないのだろうか?

その答えは、聖書の次の「デザイン言語」を理解すると、いろいろなことが見えてくる。それは「三位一体」の神の存在を信じることと、「御言葉、祈り、賛美、伝道」の4つの義の条件を日々行う、ということで悟り、ひらめきや予感で不安や迷いを取り払う答えがもらえる、ということです。

病気の原因はすべて日々の「酸欠」から始まるのですが、その信号は、ちょっとした部位の「痛み」で弱り始めてるよと言う信号を発しているのに、こんな簡単なことでさえ、一般社会で耳にすることは少ない。なぜでしょう?

それは、知られるとマズイからです。誰が? それは、その未知のおかげで利益を得る人がいるからで、彼らがその情報が伝わらないようにし、奴隷化(言いなり)することで、永続的に利潤をため、隠蔽や口封じ、おどしなどにも役立てる。

今日、次の三つのリンクをTwitterにアップしたが、
仕事がデキない東大卒   
今や、医療と健康概念は神であり宗教となっているという現実
◆市場論・国家論8.宗教改革とイエズス会 それぞれが結果同じ「デザイン言語」で統一したように、ある支配層が関わっている。

以上の話の出どころは、すべてこちらのRAPTブログから始まり学んだことなのですが、90年代後半からインターネットと交わる時代を迎え、自分なりに人生を見直す参考になるさまざまな思想や意見、個々人の捉え方、常識や経験を対比する環境が広範囲に与えられ、世界を動かす勢力のカラクリを知ることに興味を持ち、それまでの身の回りにある心配や不安、迷いや悩みごとに対する多くの答えが見出せるようになった。

その体験をここに書きまとめようと始まったテーマが「デザイン言語」だったというわけです。まだどこへ向かっていくか定かではありませんが、後期高齢者の独り言と思ってお付き合い願います。



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