確かに存在していたあなたへ



はじめに

廻花ちゃん、1周年おめでとうございます。

本当はミニライブの前に出したかったけど多忙だったりで出せなかったのでミニライブの後になってしまったけれど、この1年ずっと咀嚼してきた廻花という存在について私が想ってきたことの大体がやっと明確に文字という形に出力できるようになったので、noteを出してみることにした。
(なのでほとんどの話が「え、今更?」と思われそうな内容になっている)

ツイートで出すには重すぎるため言わずにいた感情の話になるのでかなり長いしとりとめのない話となっていますが、読むよという方はお付き合い頂けますと有難いです。

出会い


代々木で廻花ちゃんを初めて観測した時、私の脳内はそれはもうパニック状態だった。

まず廻花ちゃんの登場はあるムービーから始まった。特殊歌唱用形態__扇鳩の衣装を身に纏った花譜ちゃんが、無数の鳥となって彼女の最も縁深い街であろう渋谷の空を羽ばたいて行く。

この時の私は「神椿また凄い映像作ってるなぁ、次はなにが始まるのかなぁ」なんてワクワクしながら考えていた。
これから起きることに自分の想像を上回る質量で脳を殴られるのを知らずに。

初めまして


映像中、『現実の身体にバーチャルインターフェイスを実装し』の文字が見えた瞬間、自分の中の何かがザワついた。そして彼女の、新しい名前が浮かび上がり、暗転の後に一人の人間のシルエットが映し出される。

当然会場は「えぇぇぇ!!??」という驚きの声に包まれて、私は一瞬フリーズしていた。

「え……いる……え!?」と驚きながら凝視する。
そして廻花として生まれた彼女の、初めての歌声が代々木の舞台に響いた。

その誰もが知る声に、会場は再び驚きに包まれる。(確かそうだったと思う、この辺の記憶がうろ覚えだけど)
私もまた初めて見る姿から馴染み深い声が聴こえて、その瞬間雷に打たれたような気持ちになった。

人間自分の脳のキャパシティを超えるものに出会うとフリーズするもので、私はそこから半ば呆然としながらペンライトを振っていた。

魂と耳はちゃんと音楽を聴いているけど、脳の思考処理が追いついていない。
とにかく音楽を聴こうという思いはあるものの目の前で起きている状況に理解力が追いつかずどっちに情緒を向けたら良いの!?となりながら廻花ちゃんの音楽と言葉に必死に耳を傾けていた。

そのあと


ホテルに戻ったあとも楽しかったな……という思いとなんか凄いことになったな……という思いでいっぱいだった。

私はこの時点ではとりあえずPさんや本人の言葉を待とうと思っていたので半分受け入れていたような状態だったけれど、とにかくその日の夜はライブのことを思い出して眠りについた。

そして翌日、PIEDPIPERさんと花譜ちゃんから廻花についてそれぞれの説明が為された。


私はこの時の花譜ちゃんの文章を読んでやっと廻花という存在を噛み砕くことが出来て、理解した時には喜びと涙が溢れた。

花譜ちゃんは時々自分のことを話してくれるときに、「(立場上)人に言えないことがある」と話している時があった。

そして彼女の性格を省みると恐らくその中には知られてはならないということだったり、もしかしたら抱いていたかもしれない誰かと気持ちや状況を共有することへの諦観だけではなく、周りの人の気持ちを考えて自分の中にしまい込んだ感情がいくつもあったんじゃないかと考えていた。

だからこそずっと心配していた。とても優しくて強いひとだけれど、それでもやっぱり彼女もまた一人の人間であることに変わりはないし、優しさ故に辛い思いをしていることがたくさんあるのではないかと。

私たちにずっと見せないようにしてくれているであろう感情や側面を、自分ひとりで抱え切ろうとしないでいて欲しいなと。

そんな風に考えていたら、廻花ちゃん、あなたが現れた。

歌という、自分の気持ちを消化できる居場所がちゃんとあったということ。
そしてそれを私たちに共有してくれたことが嬉しくてその文を見たあとは号泣してしまい、自分は当事者である本人ではないのにどうしようもなく涙が零れた。

個人的見解


なんとなく、前述した通り私は花譜ちゃんを通して、日本のどこかにいる少女の存在をどこかで感じ取っていたのだと思う。

歌っている時以外の配信やラジオで話す彼女は至って普通の女の子で、たまにアーティストらしく尖った感性は出るけど基本的には等身大の人だった。

彼女が紡ぐ言葉の節々から価値観や考え方を汲み取ってその人柄にも惚れ込んだ。

歌声を好きになり、曲を好きになり、人間性を好きになっていった。

そして(話が逸れまくってしまい申し訳ないが)私自身の価値観のひとつに「その人の人間性の本質が分かっていてそれを愛しているのなら、その人の全てを知る必要はない」というのがある。

過去だったり、知られたくない一面があっても良い。それを見せるかどうかはその人自身に委ねるもので、見せたくないのなら無理に共有する必要はない。

ただその人の過去やマイナスな面を知らずとも、自分がその人の性格だったり考え方だったりを好ましいと思えるのなら、それで良い。的な考え方である。(説明力)

こういう考え方もあって基本的に彼女が見せられないであろう部分について無理に知ろうとする必要はないと考えていた。言える範囲で言えば良いし、言えないことは隠してもらっても全然良いと。

ただそのファンには言えないであろう悩みや葛藤を、身近な人には相談したりして欲しいな、とは思っていた。

それでも彼女は、自分のために作った、今まで言えなかったであろうことや私たちの知らない側面が詰まった曲を観測者にも共有してくれた。

花譜ちゃんは廻花について話したツイート(ポスト)で、最後に「みんなの方がずっとずっと強かった」と語ってくれていた。

でも私からすれば、私が思うよりも彼女はずっと強かった。

花譜も廻花も、その根底にあるのは日本のどこかにいる普通の女の子で。全体像は見えなくともそこに根差すベースとも言うべき、源流にいる「あなた」がどうしようもなく大好きで大切なのだと、これからもたくさん伝えていきたい。

発表の後廻花ちゃんのことを考えたとき、なんとなく私は過去のことを思い出していた。

人生のある時期に散々嫌な思いをして人間が嫌いで、とことん全てを諦観と悲観していた時があったので、あの人生の先で「どんな姿かたちになってもこの子の魂が好きだ」と思える人に出会えたことは私にとってはとてつもない奇跡だ。

だからこそ、花譜ちゃんと廻花ちゃんのことを想う度に「良かったね」という安堵とその覚悟と強さへ美しくて目を細めながら、どうしようもなく愛おしい気持ちになって涙が出てしまう。

誰かのことを想うだけで泣いてしまうほど大切な人がいることは当たり前ではないのだと知っているからこそ、今のこの彼女を観測し続けている時間がとても尊いものに思える。

これからも彼女が大好きな歌を歌い続けられることを願っているし、そうあれるように応援して行きたい。

おわり


最後に廻花誕生のために作られた、私たちが巡り会うために彼女が紡いでくれた曲『かいか』のMVを添付させて頂く。

この素晴らしく美しい歌に込められた、ひとりの人の人生の節目に出された答えの曲が、私にとっての光で在り続ける。


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