映画と考え事。花束みたいな。
こちらは失恋の話です。
自己紹介として、数ヶ月前に失恋しました。初失恋なので勝手が分からないのですが、こんなに引きずるものなのかと驚いています。もう数ヶ月経ったのに、未だに毎日最低3回は思い出したり考えたりしてしまいます。もう自然に涙が出るなんてことは無いですが。
ふとした事からある場面を思い出して、どうして別れることになったんだろう、どうしたら別れずに済んだんだろう……とグルグルグルグル考えてしまいます。もうやめよう不毛すぎる〜〜と何度も思うのですが、気づいたらまた考えてます。切り替えるためにも、恋人ではなくても新しく人と出会っていろんな人と話してみたいのですが、今のご時世ではしばらく難しそうですね。
こちらも数ヶ月前ですが、「花束みたいな恋をした」を観ました。これがまた私にはとても刺さりまくりました。絹ちゃんに滅茶苦茶感情移入して、わかる、わかる…つらいよね……と服を握りしめながら観ました。
後日、観たという友人と話をする機会がありました。友人は麦くん目線で観たそうです。感想を話し合いましたが、視点が変わればこうも捉え方が変わるのかと面白かったです。すれ違い方がとてもリアルで、ぐっさぐさ刺さりました… 身に覚えがあるところがいくつか… そして絹ちゃんは私よりとても良い恋人なのに、それでも結局ダメになるのかと落ち込んだり…
捉え方が違うのだと、相手は自分と違う視点を持っているのだという認識が無いから、すれ違うのかもしれないと思いました。私はこう思うから相手もそうだろう、だけで思考停止してしまうと、相手が自分の想定や期待と違う行動を取ったときに裏切られたように感じてしまいます。だから、思考のすり合わせは大事ですし対話は必要です。話さなくても大丈夫なんて、数十年連れ添って初めて到達する境地なんじゃないでしょうか。対話をサボるところから別れが始まるような気がします。
映画を観ていて、というよりずっと前から疑問に思っていることがあります。
「結婚して、幸せになろう」
プロポーズの言葉でよく見かけます。うーーーん。結婚したら幸せなの?結婚しないと幸せじゃないの? 結婚はハッピーエンドではなく次の段階の始まりなのでは?生活はこれからも続いていくし、立場上もう簡単に別れることは出来なくなる。自分だけではなく相手の人生にも責任が生まれる。とても重大な決断です。結婚して幸せだと言えることは、とても素敵なことだと思います。ですが幸せになるかどうかはこれから日々を積み重ねる中で感じることなのでは… 幸せになろうと言って結婚することや、幸せになりたいと言って結婚を求めることになんとなく違和感を持っています。
母に話したら天邪鬼だと笑われました。結婚して得られる幸せがあるんだよと言っていました。
ざっくり言ってしまえば、幸せならなんでも良いと思います。結婚しても、してなくても。一緒にいてとても幸せだから、この先もずっと一緒にいたい。そう思える相手に出会えて、願いの帰結として結婚があるのって、とても素敵なことです。ただ、幸せかどうかを「結婚」の有無で決めるような言い方のように捉えてしまうので、うーーーーーん…… と思ってしまいます。
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