続々 生きる意味って... The Current
前記事の最後で、
”生きることに疑問をもつのは幸福感・充実感が足りないから。言い換えれば「私にとっての幸せを感じる生き甲斐」とはなんなのか。これをつき詰めていくとその答えが見えてくる気がする”と記事を閉じたので、ここから続きを書こうと思う。
あらためて何故、今この「生きる意味って…」をテーマに長々と書こうと思ったのか。きっかけは一番最初の記事で書いた通り近しい人と、このテーマの話をしたことだった。なぜか私は定期的によくのテーマの話をすることがある。前記事で触れたとおり、私自身は「生きる意味とは…」みたいなことで悩むことは今まで殆ど経験したことがなくて生きること自体に疑問を持った記憶はなかった。
ところが、ここ数年恐らく人生で一番ネガティブな出来事が重なった。そこから最近ようやく、その真っ只中から抜け出してきた。
そして落ち着いてきたからこそ、こんどは反動で人生の岐路にいるような感覚になっている。ちょっとかもしれないけど悩んでいるのだろう。これらの相まって、人に話を振られたのがきっかけであったが、ふと自分自身のことを考え始めたのである。
さて、では自己分析を始めていこう。
前記事までの時点で、「生きる意味とは…」=「私にとっての幸せを感じる生き甲斐を見つけること」なのではないかというところまで考察をした。
ではその先。「生き甲斐とはなんだろうか。」これを掘り下げて考えてみた。そこで思いついたのは生き甲斐とは、その人を形成した要素によって個々に変わるものであると思う。
個々を形成する要素としては、持って生まれたものも含めて趣味嗜好(好きなことや癖)や得手不得手(出来ること、出来ないこと)があって、さらに思考パターンのような、本能的で根幹的な捉え方みたいなもの。つまりは、なにをもって納得や幸福感なんかを感じられるのか。
恐らくは持って生まれた嗜好や才能的なものと、成長する過程の環境や経験で培われたものが掛け合わさって、その人の価値観が出来る。その価値観に準して、何かしらに意義とかやり甲斐を感じる何かがある。その何かの積み重ねが、その人にとっての「生き甲斐」になるんじゃないかと考えた。
自分の習性・特性を把握することが→生き甲斐の感じ方を知ることが出来る
→生きる意味を見出せる。となるのでは無いかと考えた。
改めてじっくり自己分析をしてみて、気が付いたことが2つある。
1つ目は「私は自分の為には頑張りきれない」ということだ。この2年位の間で出来ていなかったバンド等の音楽活動を再開したり、あまりやらなかったことをいろいろやってきた。自分が嗜好することをいろいろやってみたのだが、確かに楽しいし充実感もある。ところが心の中には何故か虚無感みたいなものをずっと感じてきた。
私は日々いろいろ行動しているし、忙しくしている。しかしどこか寂しい虚無感を感じている。そこで気が付いたのは、私は独りでいることは好まなくて、自分を中心に行動していても心から満たされることは稀。多少の煩わしがあったり、面倒があったとしても誰かと一緒に居て頑張っている方が腹落ちするということに気が付いた。これが1つ目。
2つ目は「基本的に、筋・理屈が通っていることを好む。」ということだ。
だからと言って潔癖なわけではない。別に何でもかんでも計画的に、理路整然としていなければ納得が出来ない!ということではない。
例え計画や理屈が曖昧で進んでしまった結果、何かしらの問題・不都合が起こってしまったとする。でも、それは原因が曖昧なままにしてしまったという原因が明確である。これは私の中ではOKなのだ。
だから潔癖ではない(笑)思い付きやノリ・勢いではなく、思いつきで物事を進めてしまうこと。これは承服しかねる。ちゃんとコミュニケーションをして意思疎通を確認しながら物事を進める。その結果として「三方良し」となることが私が納得できて、やり甲斐を感じる。この積み重ねが「生き甲斐」になるのではないかと思っている。
「私は自分の為には頑張りきれない」
「基本的に、筋・理屈が通っていることを好む。」
この2つを基調に今後の生き方を考えることが、私にとっての
「生きる意味」を見出す筋道になる気がしている。
まだ続く(笑)…
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