『とても腑に落ちた話』
山形市の中心市街地のシンボルが急に悲しい事になってしまった。とても切ない事で、影響は多大で、まだ現在進行形の危機が続いている。
ある人とその話をしていたら、その人が言った『大沼は山形の人にとって「おじいちゃん」だったんですよ』。そんな言葉がとても腑に落ちた。
『山形の人にとって、憧れであり、家族の幸せのシンボルであった偉大なおじいちゃん。高齢(老舗)で、最近は病気がち(経営不振)で具合が悪いのはみんな知っていたけど、まさか急に亡くなるとは思っていなかったのですよ』と。『いまはなぜもっとお見舞い(買い物)に行かなかったのか、と後悔しているんじゃないですか』。
新潟出身の自分には、配偶者の祖父が亡くなった時のような、悲しみを感じながらも、自分の祖父とは少し違う感覚があった。
ああ、これが自分の感覚と、大沼さんに深い思い入れのある山形の人達との感じ方の差なのかと、その瞬間にはっきりと分かった。
自分の実家のある長岡市は、たしか自分が中学生くらいの頃にはもう、大和や丸大という百貨店が潰れ、ディスカウントストアになり、現在では中心街の空き店舗のいくつかは公的施設になっている。そんな記憶があったので、第一報を聞いた時は、県庁所在地はやっぱり購買力があるからこれまで続けてこれたのだなぁと思ったのが率直な感想だった。
百貨店のない唯一の県庁所在地になってしまったようだが、いたずらに悲観することなく、1番先にその状態を克服した街にしていこう。自分が存在して欲しいお店には出来る限り通って、会いたい人には時間が許す限り会いにいく。そんなことを精一杯やっていくしかないのだろう。
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