無能な私
どうせ誰も助けてくれない。俺は一人だ。
私は勉強ができない。大学の受験勉強で国語のような論理的思考を試される問題を解くことができない。なぜか、私は文系の法学部に入った。まともに文章が読めないため、大学での勉強もできない。
容姿が良くない。昔から自分は周りからブスとか言われていた。「カッコイイと思っているだろ」とか言われたこともある。
私はコミュニケーション能力がない。人と円滑に話す方法が分からない。だから、小学生の時、自分だけ会話からハブかれる。会話に入ることができなかった。中学の時、グループに入れてもらえない。高校の時、コミュ障と揶揄される。グループからハブかれる。会話に入れて貰えない。大学の時、私だけハブかれる。ボッチとか揶揄される。私は今デイケアのという場所に通っている。デイケアとは、障害を持つものが、社会で活動できるために交流したりする場所である。私はそこで、とある集団から差別された。この差別については後に記述する。
自分が話している時は、周りの人はつまらなそうな顔をしている。早く話をやめろという顔をしているのが分かる。そうじゃないと慰めて貰った時もあった。しかし、俺には分かる。特に、俺の事を嫌っている時の反応はよくわかる。
それに対し、周りの人が話している時は目が輝いている。どうやったら、笑いを取ることができるのだろう?全くわからない。
私は雰囲気が悪い。高校の先生に顔がダメとか影で言われていた。浪人生の時、日本史を担当している講師に負のオーラがあると言われている。私には人から嫌われる才能があるみたいだ。
私は仕事が出来ない。小中高の時、作業の要領が悪い。中学生の時、理科の実験で、周りの人は要領よく作業をこなしていた。私は作業通りに進めることが出来なかった。大学生一年生の時、コンビニでアルバイトをしていた。私は様々なミスを繰り返し、店に迷惑をかけてしまった。例えば、レジでお金を数えている途中にお客さんが来た。途中で作業を中止し、会計をした。その時、お札をレジの奥にに入れてしまった。そのため、レジが開かなくなってしまった。お客さんの注文した商品を渡すのを忘れてしまった。弁当を温める前に、商品をからマヨネーズをとるのを忘れ、そのまま温めてしまった。その結果は読者が想像した通りである。他にも色んなミスをしてしまった。そのため、アルバイトを待機してくれと言われた。実質クビである。
親は、俺のためになにか行動をしてあげている風に装っている。実情は違う。子供のやることに、いちいち過干渉に振る舞う。俗に言う毒親、ヘリコプターペアリングである。ヘリコプターペアリングとは、親が子供の行動を監視していることである。今思えば、私の親はおかしかった。小学生の夏休みに自由工作というのかある。親が勝手に自分の作業をしていた。なぜなら、私は出来ないからである。そもそも自由工作は、本人がやる課題で、出来具合など関係ない。書道も母親が勝手にやっていた。周りの人には親にやってもらったことに気づかれていた。あの時は本当に複雑な気持ちだった。当時今以上に強く主張することが出来なかった性格もあって、抵抗できなかった。
途中で母親の過干渉に違和感を感じ、やめるように行ったら、少なくとも高校まではなくなった。ただし、弟にはやたら干渉していった。課題やテスト勉強などは、本人が自主的にやる行動である。他人が干渉する筋合いなどない。しかし、母親はそのことを理解していない。子供がやらないから親がやってあげると自らの行動を正当化している。私は今大学生である。親は毎日私の課題を確認し、口うるさく、自分に干渉してくる。甚だ迷惑極まりない。まともな価値観を持った親元に生まれたかった。自分の行動に口うるさく言ってくる親の元から生まれたくなかった。
私の望むまともな親とは何か悪いことしたら、叱ってくれる親である。場合によってはげんこつもありえる。思春期にはウザいと思う親である。しかし、何かあった時に頼りなるような親である。この場合の頼りになるとは、何かと「大丈夫か」とウザイほど聞いてくる親ではない。子供が何かと不安になってそうなタイミングで「何か困っていること、心配事があるなら、いつでも頼ってくれよ」と言って、それ以降は子供が自ら親の元に訪れるまで何もしない親である。もしくは、子供が何か心配とか感じてたら、裏で手助けする親である。勉強をしている親であって欲しい。もちろん仕事や娯楽等でなかなか時間が取れないかもしれない。それでも何かしら、勉強したり、本を読んだりしている姿を見せてくれる親が欲しかった。
私の親はこれとは正反対だった。父親は中身がない。何か問題があった後に「大丈夫か」としつこく聞いてくる。話しても、テンプレみたいな内容しか言わないので、信用出来ない。また、「勉強しろ」と両親はしばしば私や弟に言う。本人は忙しいと何かと理由をつけて、勉強しない。本すら読まない親である。何か喧嘩とかあった後に、父親はよくケーキを買ってくる。これで懐柔すればいいといつ魂胆が見え見えである。家族で外食に行く時、何かの話題(最近の出来事)について話し合ったりするのが普通である。しかし、私の親は何も話さない。それを見ていた同級生(バイト)は「何も話さないね」と言っていた。
以上からわかる通り、私は異常な親の元に生まれた。私がコミュニケーション能力が欠けているのは、おそらく家庭環境にも原因があると考えている。こんな家庭環境で育った私も仮に家庭を持ったら、子供を変な風に育ててしまいそうで怖い。
私は障害を持っている。ADHDやASD、いわゆる発達障害である。この障害は、私が幼いことに診断されている。親によると、赤ん坊は寝てる時、何か物音がすると反応する。しかし、私の場合、反応しなかった。そのことに親が疑問に感じて検査してわかったらしい。私が発達障害であるのは小学5年の時に、親にテレビで教えられて初めて知った。途中クリニックに行ったが、何も改善しなかった。父親は、私の人と馴染めない障害を克服しようと思ったのか、無理やり集団に馴染ませようとした。当時私はテニスをやっていたこともあり、スポーツクラブに無理やり入れさせられた。全く馴染むことは出来なかった。
私の障害はグレーゾーンであり、社会生活に支障はないと両親は考えていた。しかし、私は大学で、適応障害みたいのに陥った。そのため、当初グレーゾーンとされていた障害に対し、見る目が変わった。障害者手帳を今申請中である。ちなみに私の障害は、落ち着きがない、コミュニケーションがとれない、コミュニケーションが一方的になる、相手の気持ちを読めない、いわゆる空気を読むことが出来ない、視線を合わせることが出来ない、服装がだらしない、特定の関心には集中できるが、興味無いのには手付かずなど例を上げればキリがない。
私は脇見恐怖という症状に悩んでいる。脇見恐怖とは、対人恐怖症の一種である。視界に何か入ると、視線が無意識に反応してしまう。私の場合、視線が股間に向いてしまう。もちろん私は見たいとは微塵とも思っていない。しかし、視線が勝手に向いてしまう。これは中学二年の時に突然症状が現れた。隣の席にいた女性からは、ジロジロ見られていると言われた。
高校生の時、私の目について揶揄するような発言をされた。クラスから孤立した。当時私も視野が広いと自覚していた。しかし、なぜ目が勝手に周りの情報を捉えるのか不思議だった。この頃から、周りに迷惑をかけないようにするため、人見知りの振りをし始めた。浪人生の時が1番酷かった。
浪人生の時、同じ高校の人と私の中学の同級生が周りのクラスの人と私の悪口を言い始めた。それにつられ、私の陰口を言ったり、侮辱する発言する人が現れた。私は先程のとおり、視線が股間に向くため、ホモやゲイと勘違いされた。あの時は精神的に1番辛かった。クラスにいる人を全員殴ろうとも思っていた。教室にいるのが辛くて、外でご飯を食べていた。私のことを面白がる人は、私の食事場所を探してた。ちなみに悪口を言ったり、侮辱したりする人を一人殴った。それ以降嫌がらせはぴったりなくなった。また、浪人していた塾の高校生や講師までも私のことを見下し、侮辱する発言をするようになった。年下に舐められるのは屈辱だった。
先程記述したデイケアで差別にあったことも脇見恐怖症が関係している。私の視線がおかしいことについて、「私はホモである」と裏で言ってきた人がいた。また、デイケアのプログラムでフットサルがある。そのフットサルに参加する集団が私に対し、陰口を言ってきたりした。中には「俺が手を出すまで怒らせようぜ」と言ってた人もいた。今はその人は見かけない。しかし、これが原因で、しばらくデイケアには参加しなかった。
この世の中は弱肉強食である。このことに気づいたのはつい最近である。この世の中は綺麗事に溢れている。例えば、差別は良くない、人の悪口や陰口は言ってはいけない、嘘をついてはいけない、人を見下しては行けない、平等に人を扱おう、みんなで仲良くしよう、容姿で人を判断してはいけない、人を中身で見よう、歳で人を見てはいけない、雰囲気で人を決めるな、誰でも優しくしよう、誰でも話し合いができる、喧嘩はいけないなど他にも例はいくらでもある。代表例である。全て綺麗事である。
残念だが、人は差別をする。例えば容姿が悪いと、それだけで見下される、軽い扱いをされる。障害や陰キャみたいな行動をしたら、周りから見下される。人は最初に見た目で判断する。中身を見るのは二の次である。人は歳で扱いを変える。容姿や雰囲気や振る舞いや清潔感からまともと判断した人のみ差別をしない。平等に扱うのは基準をクリアした人のみである。優しさは強者がして認められる。弱者がしても気持ち悪がられる。私は高校生の時優しく振舞ったら、影でいい人アピールだと言われたことがある。
私は周りから嫌われるのは自分にも原因があることは理解している。その要素を抜いたとしても、弱者を理由に見下される経験をした。大学一年生の時、私は、自分の振る舞いが陰キャだった。このことに目をつけられ、陰口を散々言われた。いじめてきた当事者は自分の行いについて全く反省をしなかった。人は一旦見下したら、その評価をかえない。また、見下す風潮は周りの人にも伝播する。ある講義(A)で教室からほとんど人がいなくなった後に質問しに行った。それを容姿が良くない陰キャ女に「誰もいないと言えないのw」と言われた。別の英語の講義(B)では、1度集団で見下されると、無視されたり、裏でネチネチ言われたり、一挙一動にケチつけられたりした。いわゆる村八分みたいな経験をした。途中からいじめ行為に対する周りからの視線を気にしたのか私に対する扱いを変えた。しかし、いじめてきた人は、私が何も許さないと思うと否や、再び嫌がらせを始めようとした。その後は私は大学を休んだので分からない。とあるサークルで先程私に目をつけた人(A講義で)は、私が一方的に嫌っているという振る舞いを周りにして、私を孤立されようとしてきた。サークル内で、私と仲良くしてた人に近づき、私から仲を引き裂こうと画策してきた。途中からそのサークルに行っていない。いじめられるのが目に見えている。その人は私が許さないと知っていったのか、「人間的に成長しない」と言った。陰口を言ったたりして、嫌う要因を作っておきながら、自分の行動を棚に上げる振る舞いには正直腹が立った。
私はとある高校生と対立した。その高校生は私の家から少し離れたところにある高校に通っている。その高校生が家の中を覗いてきたことに対し、やめろといったら、相手は面白がって、家の近くを通る度に、誹謗中傷するようになった。私は当時不満をTwitterに書き込んでいた。それをどういうわけか知り、面白がって過激な発言をしてきた。これが約半年くらい続いた。今はTwitterはしていない。私は自分の行いを反省した。言い過ぎてしまった。アスペルガーの傾向が出ていた。相手側は謝罪を求めていたが、自分の行いを棚に上げていたため、私は謝る気にはならない。
大学と近所の高校生からのいじめで共通点があった。それは、弱者と見なされたら、その評価は変わらず、徹底的にいじめられる。弱者が声を上げても見向きをされない。また、集団心理により、考え方が硬直化することもよく理解した。同じ目的を持った人は、集団になると自分に都合の良い考えを受け入れる。たとえそれが噂や主観的な憶測だったとしても、疑いもせずに受け入れてしまう。このようなしょうもない嫌がらせをする人はたいてい暇な人である。何もすることがないから、嫌がらせをする。この集団には何を言っても、変わらないため相手にするのを諦めた。このような経験から、私は集団でイキっている人が苦手である。同じことを一人で面と向かって言って欲しい。
今思えば、この弱肉強食は他にも言える。例えば、国や裁判などである。
強い国は自分に都合の悪いことがあると、戦争を仕掛けたり、軍事介入したら、経済制裁をしたりする。弱者が声をあげても、見向きされない。
ここで言う強い国はアメリカ、中国、ロシア、イギリス、ドイツなどである。弱い国は、日本、北朝鮮、ユーロに属してる国などである。
裁判は公平に行われる。しかし、それはあくまで内容である。裁判をするのに弁護士をつけることが出来るかどうかは経済的格差によって変わる。例えば、懐に余裕があり私選弁護士を雇える人と、貧乏で国選弁護士に頼る人では、裁判での結果は全く異なる。私選弁護士は金を貰う。そのため、当然ながら、与えられた仕事をこなす。
それに対し、国選弁護士は有能かどうかは運である。また、報酬がほぼないため、やる気のない弁護士がほとんどである。
仮にお互いが私選弁護士を雇えたりしても、経済的に余裕のある人ほど、有能な弁護士を雇える。裁判を長期化して、経済的に余裕のない人に妥協の選択をさせることも可能である。
この世の中の仕組みを理解して私は生きることに絶望した。なぜなら、私には何もないからである。この社会は弱者に対し、見向きもされない。それは個人主義的な社会が進みつつあるこの現実では昔よりも今はそれが進んでいる。
今努力すれば何とかなる。「おのれの現状は甘えたからだ」といういわゆる自己責任論がやたらと目につく。この考えはある意味正しい。努力することで人の現状は変わる。私も受験勉強をサボらなければ、もっといい大学に行けたとも思っている。しかし、そればかりでは無い。人の能力は、
先天的能力×障害の有無×家庭環境×性格×努力による後天的能力=現在の状態
と考えている。後天的能力はあくまで、一部分である。もちろん先天的能力はなくとも、後天的能力で人生を変えた人もおそらくいるだろう。しかし、人間どう変わるかは人それぞれである。自分ができたから周りも同じくできるとは限らないのである。自己責任論を投げかける成功者に是非とも聞きたい。「もしあなたが、私と同じ能力を持って生まれたら、果たして同じく成功したのか」と。
生まれたからには生きろという有名な言葉がある。私は綺麗事にしか思えない。それは、今辛くない人が言える言葉である。その人は果たして、私と同じような障害を持っているのか?生きづらさを持っているのか?甚だ疑問である。何も現実を知らない人か自分に酔ってる風にしか思えない。
生まれてきたことに感謝いう言葉も綺麗事でしかない。私は望んで生まれたわけではない。親のエゴによって生まれてきたにすぎない。それを無理やりよかった風にすることに納得いかない。
あと半年後に自殺しようと思っている。誰も知らない遠いところで死ねたらいい。そのためにバイトしてお金を貯めた。もう精神的に限界である。現実を嫌という程見てきた。もう耐えられない。この世に未練はない。どうせこの後数十年地獄を見るのなら、もう命を捨てた方がいいのかもしれない。
最後に生きてて良かったこともある。しかし、それ以上に生きづらさがある。自分は何も出来ない無能である。社会は無能を受け入れない。全ては自己責任である。なんと冷たい社会ではないか。その社会に生き残れる人に生まれたかった。