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団体活動をするうえで思い出したこと

大学のときは、応援部吹奏楽団におり
4年になるときの幹部役職決めは、3年次の後半に自分たちで決めて、そのときの1つ上の先輩の承認をもらう。
同期どおしでも、1つ上の先輩に出すときもかなり揉める。
あいつはここがダメだからこれはやめたほうがいいとか、1つバランス崩れるとこの役職はあっちに、、玉突きもある。ひとりひとりに必ず矢が向いた。先輩にも言われる。
自分の代も、1つ下も、最後の最後まで徹夜だった。
事柄ばかりで突き刺さってるのかそうでないんだかわからん人もいれば、静かに受け止める人もいて、人それぞれ。

私は特に最終的になった役職が死ぬほどやりたくなくて、割と抵抗した。そのことで、何故か同じ楽器の同期と取っ組み合いの喧嘩もした(飲み会の終わりごろだったように思うが)。相手はかなりちゃらっとした奴で、普段真剣なことに意見をしない方だったけれど、強く真剣なんだなってことも思った。
若いな、とかもあるけれど、大事な場所だからこそそういうことが繰り広げられていた。
応援、演奏、ドリル、全てのdoingに全く同じ熱量で向き合ってた訳でもない気がするが、じゃあなんであんなにがむしゃらに向き合っていたんだろう。まぁそうしないと終わらない仕組みでもあったが、仕組みのおかげでぶつかり向き合っていた気もする。

今となってみれば、濃淡はもちろんあれど、25年近く経っても付き合っている、永遠なる戦友だし、仲間と言い切れる存在だ。
随分と軍隊的な在り方がでるねって言われたこともあるけれど、多分原体験はこれ。向き合いたい人に向き合うときに、それがでる。勿論、人や団体によるけれど。
そんなことを最近思い出す今日この頃。

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