柚木麻子『あいにくあんたのためじゃない』反目するな、手を取り合え
こんにちわ。
今回は、柚木麻子さん『あいにくあんたのためじゃない』についての記事です。
第171回直木賞にノミネートされた6編の短編からなる小説です。印象的なタイトルもあわせて話題となりました。一言でいうと、シスターフッドもの。コロナを背景に、いろいろなものに抗う女性たちの姿が描かれています。
あいにくあんたのためじゃない 柚木麻子
本を読んでいると忘れられない一文に出会うことがある。話の内容をほとんど忘れてしまっても、その一文だけは妙に覚えている、というような。
本著では、この一節がそれにあたる。
「BAKESHOP MIREY`S」では、主人公と、主人公が通う飲食店でカフェ経営を夢見ながら資金を貯めているアルバイトの女の子の話だ。実家が貧しく、カフェ開業の資金がなかなか貯まらない女の子に、主人公が最高級のオーブンをプレゼントする。普通であれば女の子は感激してオーブンと共に、カフェ開業に向けて突き進んでいくのだが、このお話ではただの余計なおせっかいとして、主人公と女の子の関係性にひびがはいってしまう。
女の子は「カフェを開くために頑張る自分」に酔っているだけで、それを実現させるつもりなど、さらさらなかったのだ。
言及されている「ダウントン・アビー」は、20世紀初頭のイギリスを舞台にした貴族と使用人のドラマだ。階級があり、同じ人間でも格差が公然と決められていた時代。昔々あるところの、いつかどこかの過去の話だ。過去の話のはずだった。
現代では、階級は撤廃され、人権が尊重され、多様性が認められ、人間はみな平等になったはずだ。しかし、見えない壁というものが確実に存在し、今なお私たちを苦しめる。本著に出てくるのは、そんな見えない壁に苦しめられている人間だ。シングルマザー・LGBT・コロナによる自粛で行く場を失った母親たち…。人間はみな平等のはずなのに、なぜか人一倍頑張らないといけない人たち。
平等というのは残酷である。
なぜなら、今、自分のある状況は、階級や身分のせいではなく、自分の努力不足が原因であると突きつけられてしまうからだ。「頑張ったところで、社会のしくみが成長を許さない」という状況の方が、いっそ諦めがついて楽なのかもしれない。
反目するな、手を取り合え
本著は、「コロナ」を背景に物語が進んでいる。
コロナの時期…今思い返しても、どうかしていたのではないか、と思うことが多い。「トリアージ2020」でも、コロナ禍にもどり悪阻に苦しむ孤立した妊婦が出てくる。私も次男を同じ時期に出産したので、他人事ではなかった。
最近、女性の連帯感をテーマにするシスターフッドものの作品が増えてきた。性愛を抜きにした女性同士の絆を描き、男性を介さないつながりで、息苦しいこの世に抗う力をつけていくのだ。
しかし、先にも書いたように、平等を謳いつつ見えない壁が多分に存在するこの複雑な社会の中では、シスターとかブラザーとか区分していないで、とにかく徒党を組んで、立ちはだかる見えない壁をぶち壊すチームを作った方がよい。
「男には分からない」とか「老人には理解できない」とか、社会的立場や性別で色分けしている場合ではないのだ。SNSで自分の姿がばらまかれ(めんや 評論家おことわり)(スター誕生)子どもを遊ばせれば「うるさい」とクレームの入る世の中だ(パティオ8)。まともじゃない社会なのだから、手を取り合えるものは手を取り、おかしいと思うことに抗うべきである。その手が、同じ女性だろうが男性だろうが、LGBTであろうが、正体の分からない商店街マダムショップ経営者であろうが、誰でもいいのだ。でなければ、階級がなくなった意味がない。
それは「あんた」のためじゃなく、まぎれもなく自分のためになるはずだ。
読んでいただきありがとうございます。