JICA海外協力隊はすごくもなんともない
こんにちは。
先月訓練所生活を終え(2024年6月末)、晴れて青年海外協力隊の一員となったなべみです。
本記事では、派遣国への渡航を控えた協力隊員が、JICA海外協力隊員としての活動の中で気をつけたいことを一つピックアップしてお話できればと思います。
まず最初にお伝えしたいこととして、本投稿は「私への戒めの意味を込めて書いている」ということを念頭に置いて読んでいただけますと幸いです。
では早速私が海外協力隊員として気をつけたいポイントはこちらです。
・自分を過大評価していないか
これはすなわち「JICA海外協力隊という立場に胡座をかいていないか」と同義です。
「自分は傲る立場ではない」ということ、そしてこのような「気の緩みは現地の方々にも伝わって相互の関係を壊す可能性もある」ということを肝に銘じようと思います。
どうしてこんなことを述べているのかというと、今日とある国でJICAと関係ない方からこんな話を聞いたからです。
・「JICAの人たちは自分が選ばれた立場だと思っているのかもしれないね」
今日お話をした方はある財団に属している方です。
その方が在籍している財団には過去にJICAから協力隊員が来ていたそうです。
ですがそこに来ていた協力隊員は活動にあまり熱心ではなかったそう。
また別の隊員は「首都にあるJICA事務所に行かなくてはならない」と言い残して勝手に活動を休むことが頻発。実際はクーラーのある事務所で涼みたかっただけではないか、とその方は言っていました。
それからその財団では協力隊員を要請するのをやめたそうです。
その方が最後に述べた言葉が印象に残っています。
「JICA の人は自分が選ばれた立場だと思っているのかもしれないね」
・JICA海外協力隊員である自分に対して思うこと
JICAは別にすごくない。
海外協力隊員は別にすごくない。
JICA海外協力隊に選ばれる自分はもっとすごくない。
「自分は選ばれているんだ」という思いが時に傲りとなることもある。
JICA関係の人ではない人を見下してしまったり傲慢な気持ちが態度に表れてしまったり。
私は多かれ少なかれ傲慢さが残る人間であることを自覚しています。
だからこそ協力隊員としての活動中は、自分の行い・マインドに特に気をつけていきたいと思っています。
・人としてあるべき姿とは
「傲慢だと自覚している醜い人間が海外協力隊員になるべきじゃない!」
と、私に対して思われる方もいるかもしれません。
その通りで海外協力隊員はSNS上では人として正しい姿を見せるべきなのかもしれません。
ですが人間は誰でも弱さや醜さがあるものだと私は思います。
それをさらけ出すか出さないかの違いではないかと思います。
私のnoteを読んでくださっている方々はもうご存知かと思いますが、私は自分の醜さをさらけ出す方を選びました。
人の弱さ・醜さは人間らしさと同義だと私は思っています。
その人の人間らしさが見える方がその人のこと、より好きになりませんか?
というわけで私の人間らしさを全面にさらけ出した記事を貼り付けておきます。
私という人間に興味を持った方はぜひ読んでみてもらえると嬉しいです↓↓
・おわりに
ここまで読んでいただきありがとうございます。
改めてお伝えしますが、本記事の内容はあくまでも私自身への戒めです。
それ以上でもそれ以下でもありません。
自分のほんのちょっとの傲慢さが周囲の大切な方々との関係を壊すこともある、ということを肝に銘じて協力隊活動に励もうと思うばかりです。
最後までお読みいただきありがとうございました!
ではまた次回お会いしましょうさよなら👋