さよならキッチンジロー

今日は2020年9月28日(月)、あと二日である洋食チェーンが事実上"ほぼ”都内から無くなる。先般キッチン南海の本店が閉店となり、別れを惜しむ多くのファンがお店に押しかけたことは記憶に新しいが、南海は本店以外のお店はそのまま営業しているし、本店でシェフをやってた人がすぐ近くに新店舗をオープンしているので実質何も失われていないんじゃなかろうかと思う。しかし、こちらは全15店中の13店が閉店だ。ダメージが桁違いなその店の名前をキッチンジロー(以下ジロー)と言う。

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もう20年も前、20代の頃のぼくはかなりジローに通っていた。美味しくてお腹いっぱいになれたし、なんと言うのか雰囲気が好きだった。閉店の報を聞き、本日たまたま寄った先の近くにジローを見つけ、最後の記念としてお昼を頂いてきた。

初めて行ったジローは三田店だった。その当時勤めていた会社の人たちと昼を食べに行ったのが最初。ジローは神田が発祥とのことだがいかにも下町にありそうな洋食屋だった。当時の昼で二品盛りで800円か900円くらいだった記憶がある。当時からの人気はスタミナ焼きで、豚バラと玉ねぎのニンニク炒めだ。ぼくもこれが食べたいのでよく通っていた。ご飯は大盛りだし、豚汁もついてくる。ゴマ塩もかけ放題だった。揚げ物メイン、量が多い、味が濃い、そこそこ安い、20代の男の昼には他に必要なものは無かった。

当時いた会社はいちいち軍隊みたいな感じで先輩に店の選択権があった。ぼくは2日に1度くらいのペースでジローに行きたかったのに、先輩らはなかなかジローを選んでくれずにヤキモキしたものだ。それでも「今日は洋食の気分にしませんか?」とか「昨日テレビでメンチカツ特集やってましたよ」とかそれとなく先輩に刷り込んで月に1、2度は昼ジローをゲットしていた。そのあたりには洋食屋はジローしか無かったので先輩が洋食を選んでくれさえすれば、必然的にジローになるのだ。

数年後、ぼくは転職し勤め先は新橋になった。駅前のニュー新橋ビルの地下一階にジローを見つけた。しかも今度の勤め先は外資系。昼につきまとううるさい先輩もいなさそうだ。これからは好きな時に好きなだけジローが食えるのだ。と思ったけれど新橋はランチの激戦区で他の選択肢もとても充実していた。なのでそれほどジローを選ぶ必然性もなくなり、結局は三田にいた頃の頻度くらいしか行かなかった。また、当時からだけれどニュー新橋ビルのテナントはかなり怪しいのも入っており(かと思うと鶴八とか寿司の名店も入っていたりした)、ビルに足をふみいれるとそこら中から胡散臭い呼び込みがかかったり、ゲーセンでサボっているさえないサラリーマンがやたらいるので、彼らを見たくもないし呼び込みも面倒くさくて、で足が遠のいていった。

そこから、ぼくのジロー通いはいったん途切れることとなる。再度の転職を行い日常生活の動線の中にジローが無かったからだ。もちろん、例えば昼時に新橋に用事があったりすればジローを優先的に選んでいたが。

その後ジローを意識したのは、なんと転職サイトだった。創業者の小林二郎氏から社長がご家族の方に代わり、大学の新卒を募集する広告だった。店はさらに人気になっていて、いろんなところに出店している(最盛期には50店を超えたそうだ)。ぼくも実家のある群馬でFCやったら売れるんじゃ無いかしら、やってみようかななんて軽ーく考えたりもしていた。へーすごいなジロー、この太った人(失礼だが二代目の社長はかなりでっぷりされていた)が離乳食をジローの食材で済ませたと言う人かな、さすがジローは栄養たっぷりだな、と思ったのを覚えている。

さて、ジローは地味目で全くおしゃれでは無いけれども数々のこだわりがあってそれを、できうる範囲で(要は不器用に)お客さんにアピールしていた。そして、ぼくは結局のところ、それが好きだった。店舗には透明なプラスチック下敷きが置いてあり、その中には2種類のうんちく書きが挟んであった。料理についてと食材についてのうんちくだ。それぞれどれだけこだわっているかの説明がびっしりと書いてあった。初めて行った時からずっと、行くたびにそれを熟読していた。ぼくはカタログが大好きで、中でもスペックから妄想を広げるタイプなので、料理が来るまでの間、ジローの下敷きはとても楽しい読み物だったのだ。今はかなりうろ覚えで間違っているかもしれないが、覚えていることのいくつかを書いてみたい。

料理について

創業当時ジローはカレーが中心の店だった。常連が「いくらうまいカレーでも飽きるよ。他の料理も増やせよ」と言って徐々にメニュー数が増えていく。唐揚げや魚フライ、帆立ミルクコロッケに人気メニューのメンチカツ。要するにうちの料理は全部こだわってるよと書いてあるのだが、中でも特筆なのはスタミナ焼きの誕生シーンで、もとは従業員の賄いで出していたのを「うまそうだ俺にも食わせろ」と常連さんが言い出し、博報堂のなんとかさんが命名した、だったような気がする。ジローは常連と一緒に味を作ってきたみたいなことが要点だった。ジローにはちゃんとしたコックがいて、お店で調理をするから美味しいんだよ、みたいなことも書いてあった。これを読んで本店に行ってみたい!創業者の料理を食いたい!と思ったのだがそれは叶わなかった。第一、どこが本店なのかはっきりしていないのだ。創業は神保町らしいけどお店はなかったし。

食材について

ぼくはこちらのうんちくの方が好きだった。基本的にジローの食材は無添加が売りだ。例えばベシャメルソース。厳選した食材で上にも書いたが小林家では孫の離乳食にも使っていた安全安心、自慢の品だ。さらに従業員の賄いや、工場のパートのおばちゃんも家族や孫に喜んで買って帰る。毎日毒味を自分たちでしているんだから安心だ。お米は高野米店の特別ブレンド米、豚汁の味噌は赤と白の合わせ、ソースは食べる漢方薬と言えるくらいいろんな素材からできていて(普通の中濃ソースだった気もするが)、メンチカツにドボドボして食べるとやたらと美味かった。お肉はSPFポーク、魚フライもタラか何かに変えて食材コストを増やした、などなど。

思えばこの辺りがジローのピークだったように思う。代替わりしてからのジローははっきりと迷走した。拡大路線を取ったのに50店に何なんとする店舗数は減少の一歩。カフェっぽい店作りをしたり、、、違う。誰もジローにそんなことを求めていなかった。でもジローは必死に、「普通の店」になろうとしていた。少なくともぼくにはそう感じた。

ジローの下敷きはある時を境に店から消えた。今ネットで検索してみてもジローおじいちゃんのブログと言うところにほんの一部の断片が見受けられるだけだ。このブログはもうずっと更新されていないし、小林二郎氏が今でもご健勝かどうかもわからない。

ぼくはこの辺りから全くジローに行かなくなった。だってもうなんの店だか、なんの為に行く店だかわからなかったから。ぼくはあった事もない小林二郎さんと会話をしに行っていた。あの下敷きをじっくり読んで、俺の料理食ってくれよ、うまいだろ?って言われている気分になって、勝手にあれやこれや幸せな妄想をしに通っていたんだから。だから看板のスタミナ焼きを食べた。組み合わせは8割がメンチカツ。本当にごくたまにハンバーグだ。と言うかそれ以外はカレーを一度食べたことは覚えているが唐揚げもコロッケも結局食べたことがない。

そして今日、ひょっとしたら自分の人生最後となるかもしれないジローに行った。メニューは2種盛りか3種盛り。好きなおかずを組み合わせるスタイルだ。せっかくなので3種盛りをオーダーした。最後の注文はお店のリコメンド(すたみな焼き、メンチカツ、チーズハンバーグ)にしてみた。お値段は1200円だ。当時と比較して食材がどう変化したかは、ぼくも食を仕事にしている以上、ある程度の類推はできる。しかし原料費は当時よりはるかに高騰しているし、そもそも売れていないから大量閉店になっているわけでそれは言うまい。

さて、料理が運ばれてきて思ったのは各ポーションが”小さくなった”こと。3種盛りを主流にした弊害だろう。ここらは好みも大いにあるので良いが(個人的には2種盛りで大きい方が好き)、なんとライスは平皿で、豚汁もカップスープ容器で出てきた。これは往年のジローの良さを完全に消してしまっている。ジローは和風の洋食屋だから良かったんだよ。お米はお茶碗で、豚汁は味噌汁碗で食べれたから満足感があったんだ。第一、ハシしかないのに平皿で米はめっちゃ食べにくいじゃないか。それにゴマ塩はどこに行ったんだ?テーブルの上にはソースと胡椒と塩しかない。何?やってないだって?それどころか何言ってんだこいつみたいな目で見てくる。ずいぶん前にゴマ塩もなくしちゃったんだなぁ。昔は入っていなかったパスタサラダもお皿に入っているが、これは削って欲しかった。カサ増しなんだろうけどこう言うのはジローにおいては邪魔なんだ。

と、ここまで書いて猛烈なデジャブに襲われた。その正体はすぐに判明して、去年の同じくらいの時期に新橋のジローに入って全く同じ感想を持ったことを思い出した。しかし問題は、行ったことすら忘れている、自分にとってはそう言うカテゴリにジローが、あれだけ好きだったジローが入ってしまっていると言うことだ。当然、自分の食への変化もある。正直、もうこの年であの味付けはしょっぱいし、量ももっと少なくても良い。

もう、とっくにわかっていたことだがぼくはジローを卒業しているのだ。拡大したいお店にとってもっとも避けるべき事は「客と一緒に年を取る事」だ。ぼくみたいにおっさんになった客はどんどん切り捨てて新しい客を増やしてゆけば良い。そうしないと拡大は無理だ。

ただ、どちらの方向に行くにせよ、ジローには創業者の信念や理念、そう言うものは忘れないでいて欲しいと思う。料理や食材へのこだわりは、今の時代だからこそ価値を産むんじゃないだろうかと思っている。コロナは外食のありようを一変させてしまった。なんとなく漠然と美味しい、しかも中間クラスのお店は最も選ばれないだろう。デリバリーも当たり前になったし、わざわざお店に行くには、なんで、この店じゃなければダメなのか、この料理じゃなければダメなのか、これは今後の店選びに必須のキーワードになると思う。昔のジローにはそれがあった。あの、下敷きの中にはそんなプライドやお客さんにうまいものを食べて欲しいと言う気持ちがぎっしりと詰まっていた。

だからジローは不格好で良かった。綺麗な内装じゃなくても、カフェっぽい要素なんか皆無でも、ぼくはジローが好きだった。

2018年、ジローはジョイフルの傘下に入った。それぞれでカニバることもなく、良い提携のようにも思えた。しかしこのコロナ禍で、外食産業には影響が直撃している。親会社のジョイフル自体が大量閉店、グループ内のフレンドリーも8割の人員削減など、徹底的な立て直し策を実施している。

その様な中、本来は全店閉鎖という選択肢もあり得たのだと思っている。その中でわずか2店とは言え残れることを僥倖と取るべきか、ジローは再び、復活することができるのだろうか。

もうぼくが進んでジローに行くことはない。でも、ジローにはかつての自分みたいな若くて金がなくて腹減らしている奴らが喜んで食いにいく、そんな存在に戻って欲しいと願っている。


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