名盤『ザ・ケルン・コンサート』の写真の謎を探ってみた
天才ジャズピアニスト、キースジャレットの代表作であり、400万枚超とピアノソロアルバムとしてはジャンルを問わず最高の売上を誇ると言われている”The Köln Concert”、思わずジャケ買いしてしまう程に目を惹く、何処かでいつしか目にした事がある、その芸術的なジャケット(ジャレット)写真に興味を持った。
それは、ピアノに没頭して鍵盤に吸い込まれる程に上半身を前屈したジャレットを象徴的に捉えた表面の偶像的な写真のみならず、その服装から表面と同じセッションで撮影されたと推測される、ジャレットが忘我の如く悦に入ったかのような、表面とは対照的に仰け反り気味にピアノを弾く裏ジャケット写真(見出し画像)の背景に写っている建物、これがどう見ても屋外撮影を彷彿とさせるからだ。
同アルバムは1975年1月24日に独ケルンのオペラ座、屋内で行われた即興ライブ録音作品だが、屋外の写真が使われているとすると、それは何時何処で撮影されたものなのか、何故採用されたのか、純粋な興味を持って探ってみた。因みに同作品の経緯を含めた解説はこちらからどうぞ。同作は、ジャレットからは観客すら見えないほど暗い会場で、23:30から開演されたそうだから、やはりこの写真は別の演奏時のものだと考えられる。
これだけの有名作でアイコニックなジャケット写真にも関わらず、検索しても情報が殆ど見当たらないので興味本位で徹底調査を試みた。最初の手掛かりは、アルバムジャケットに使用されている二枚の写真と、そこに記されている写真家、”Wolfgang Frankenstein”の名前。
先ずは、この写真家を名前で検索して調べてみた。ドイツ語Wikipediaで、「1918年5月5日ベルリン生まれのドイツの画家、グラフィックアーティスト、大学教授」とある。
ケルンと同じドイツの芸術家ではあるが、芸術写真に関する記述は無いので、もしかしたら別人かもしれない。そしてもう一つ、同写真家による写真集に辿り着いた。ベルリンの出版社から1982年に発刊された”PIANOPHOTO”という作品。こちらの表紙にケルンコンサートの写真が採用されている。同写真家にとっても、この作品が代表作なのだと理解した。
更にもう一つ、検索結果に現れたのは、歴史あるスイスのヴィリザウジャズフェスティバルのアーカイブ写真。
この写真での発見は三つ。先ず、ジャレットの服の色と襟が二つのシャツの重ね着でケルンコンサートと同じではないか、という事。そしてこれもケルンと同じ白い背景。どことなくピアノの形状も似ている印象。気になるのは、ケルン同様の白地の背景とそこに写り込んでいる人影らしきもの。
そこで、ヴィリザウの1972年の公演情報を辿ってみた。発見したのがこちら。さすがヴィリザウのジャズフェス、アーカイブが充実している。
ポスターのドイツ語を機械翻訳してみると「カンティ講堂にて初のスイス公演」との記載があり、チャーリーヘイデンとポールモチアンによるアメリカントリオの公演だという事が分かる。
「カンティ講堂」を探ってみたが、残念ながら確固たる手掛かりは得られなかった。だがしかし、「講堂」が事実なら屋内での演奏なので、類似点はあるものの、ケルンの写真では無いという結論を出さざるを得ない。
”Wolfgang Frankenstein”から得られた手掛かりはここまで。
その手掛かりを探る過程で、幾つかの写真を発見したのでその点を線で繋げてみる。
ヴィリザウと同じ1972年のハンブルク公演を記録したアルバムのジャケット。ジャレットの服装はケルンに酷似。そして背景の聴衆も含めて明らかな野外コンサート。
そこで、同年のハンブルクでのジャレットトリオの公演を深掘りしてみた。出てきたものはこちら。先の写真とは全く異なるセッションだということが分かった。
レーベルのECMの情報によると、ハンブルクでのNDRという地元ラジオ局での収録だから、先の屋外の写真では無い、と結論付けられる。では、屋外の場所は何処か。写真検索を続けてみると、先の写真の左右反転版があった。
そして、その写真を掘り下げて調べると、追加情報が得られた。
そしてこの一枚から、とあるキーワードを得た。
その”Jazz in the Garden”に「ベルリン」を加えたキーワードで検索すると、ジャレットでは無いが当時のイベントと思われる写真が見つかった。
この下部の脚注がドイツ語なので機械翻訳を使って調べ進めると”Jazz in the Garden, Skulpturengarten der Neuen Nationalgalerie”と脚注のある写真がベルリンのデジタル美術館のウェブサイトに掲載されていた。間違い無く屋外コンサートだ。
“Skulpturengarten der Neuen Nationalgalerie”とは、「ベルリン新国立美術館にある彫刻庭園」のこと。従って”Jazz in the Garden”の名称には納得が行く。その周辺情報を新国立美術館が掲載しているドイツ語のアーカイブ記事から辿ってみると以下資料が浮上した。
加えて、ジャレットの名前と写真が出てきた。
背景のガラス張りの建物と、その大きな窓に反射して映し出されている庭園の様相から、間違い無く先の彫刻庭園におけるジャレットの写真と断定出来る。美術館の意図を汲んだオープンな環境で、食い入るように演奏を見つめる聴衆が至近距離で囲い込んでいるのは、咳一つでも耳に入ったら手を止める程に神経質なジャレットだけに大変稀な光景と言える。そして右側にベースのチャーリーヘイデンが居ることから、恐らくヴィリザウ及びハンブルグと同じトリオ演奏だと推測できる。もう少しベルリン新国立美術館のサイトで”Jazz in the Garden”を調査してみると出てきた写真が以下。
これら写真を掲載したオリジナルの同美術館の記事(ドイツ語)はこちら。新国立美術館は1968年9月15日のオープン当初から、このような音楽イベントを開催していて、”Jazz in the Garden”のイベントも1970年代から80年代半ばまで定期開催されていたという事が分かった。
この舞台となった彫刻庭園のカラー写真がこちら。
先の写真のジャレットの背景と照合してみると、彫刻が同じものである事が分かるから、この場所である事が特定出来る。
そしてジャレットが弾いているピアノはベルリンだけに同地1853年創業の老舗、世界三大ピアノメーカーの一つ、ベヒシュタイン製という事も分かった。尚、ケルンでジャレットが演奏したのは、ベーゼンドルファーのベビーグランドピアノ。
ここでもう一つ、ジャレットの服と観客の様相から同セッションの別アングルと思われる写真がある。
先程の別アングルの写真と照合してみる。
左端の男性が先程のジャレットの背後に居る人物と同じである事が分かるから、同セッションのほぼ同時間帯の写真だということが分かる。
さて、ここからケルンにつながるのか。ジャレットの同じ服、そして屋外演奏と二つの要素が重なったので、彫刻庭園を有力候補として更に周辺情報を探ってみる。改めて、ケルンの写真を凝視する。
背景にある窓が特徴的な建物に着目した。仮にこの彫刻庭園なら、その場所から同じ建物が見えているはず。もう一度、先の庭園とその先が捉えられた写真を眺めてみる。
拡大して目を凝らして見た。
彫刻庭園の壁の先にケルンと似たような十字の窓がある事が分かる。ただ、これだけでは特定するには十分な証拠にはならないので、粘り強く新国立美術館の写真を洗い出してみた。庭園は、同建物の正面の反対側にあるので、正面からのアングルの写真を探すが、正面の写真はあってもその向こう側が見える写真はなかなか見当たらない。
そして、遂に新国立美術館建設中に撮影された正面から反対側を見通すカラー写真に辿り着いた。
この写真の中央に写っている建物の窓が、同じく十字の窓なのでズームしてみた。
右側手前のレンガ調の建物が四角い窓に十字の入った窓、その背後と左横に見える象牙色の建物には上部が撫で肩の曲線をした十字の窓がある事が分かる。同じく、ケルンの写真をズームしてみる。
どうだろうか。庭園のジャレットのピアノの位置から、新美術館の建物を背に左手奥にある建物に下から斜め上方向にアングルを向けると、ジャレットの背景にあるように、彫刻庭園の白い壁、その上に十字の窓の二つの建物が重なるように写るのではないか。
だが決め手に欠ける。更なる物証が欲しい。もう一度、ケルンと同じアングルに近い先の写真を見つめてみる。
すると、手前に写っているグランドピアノの天板の角から僅かに離れた場所に影のような凹みがある事を発見した。では、もう一度ケルンの同じ写真と見比べてみる。
前の写真の天板と同じ場所に凹みがある!
服装も同じ、そして、背景の建物とピアノの特徴も同じ。そうなると、ほぼベルリンの”Jazz in the Garden”の際の写真と見て間違い無いのではないか。更に他の手掛かりを得るべく、見慣れたケルンの写真を、改めて手元にある古いCDの紙ジャケットで熟視してみる。
すると、これまで全く気付かなかった決定的な発見があった。写真では非常に分かりにくいが、手前最下部のピアノの側面を注視すると浮かび上がってくる。
お分かりになりましたでしょうか。そう、人の顔が多数、反射して映っているのです。つまり,それ程迄の至近距離に聴衆が居ることを示す証拠があったのです。
これは、先の写真のジャレットの奥にいる複数の聴衆の顔が反射して映り込んだもの、と考えると説明が付けられる。ピアノはステージ上にあるので、ちょうど立つかステージに座った人の顔の高さ辺りにピアノの側面が位置する構図。
それを念頭にもう一回、アルバムジャケットの写真を見てみる。
最初見た時には気付かなかったが、良く見るとピアノ側面の白い箇所は女性らしき人のシャツが反射したものだと分かる。そして右下角にぼやけて写っているのは、聴衆の後ろ頭だと推測される。その二つを極限までトリミングによって取り除くと、ピンポイントが当たったような印象深いアルバムジャケット写真の絶妙な構図が生まれる、という訳だ。
では、何故この写真が採用されたのか。ジャレットが大変気に入って採用した、というドイツの新聞掲載記事を見つけた。
ジャレットがアルバムカバーに自身の演奏中の写真を採用することは非常に稀なので、多分そういうことなんだろう。さて、ここで一つの矛盾が発生した。それは、撮影時期が、1972年なのかこの記事にある1973年なのか、という点。気持ち悪いので更に事実を探索してみる。もはやグーグルで検索し尽くしたところで、ふと同イベントのポスターがドイツの古本屋のウェブサイトで販売されていたことを思い出して、直接サイトで検索してみたら、見つかったのがこちら。
ベルリンジャズフェスティバルのフライヤーもあるが、この中にある”Jazz in the garden”三枚を左から拡大して睨むように見ていく。何故か同じデザインにも関わらず西暦の記載が見当たらないので、一つずつ目視確認せねばならない。
という事で、1972年である事が確認出来た(同イベントへのジャレットの参加は同年のみ)。この日付は同年のジャレット欧州ツアーの日付とも整合していて違和感が無い。
6月9日 グランスタジオ@パリ(フランス)
6月10日 ジャズフェスティバル@ヴィリザウ(スイス)
6月14日 NDRスタジオ@ハンブルク(西ドイツ※当時)
6月16日 新国立美術館@ベルリン(同上)
これまで辿った事実関係が正しいとするならば、以下のように纏められる。
「1972年6月16日にベルリン新国立美術館の彫刻庭園に於いて開催された屋外コンサート”Jazz in the Garden”のイベントで、聴衆に囲まれて地元製造のベヒシュタインピアノをトリオ演奏で弾くジャレットの姿を捉えた、ベルリン出身の写真家が撮影した作品をジャレットが気に入ってアルバムジャケットに採用したもの」
これが事実だと仮置きして、更に気付いた点を記すと、以下。
演奏記録が交錯した情報もあって事実がよく分からないので、原本を見ないと確信が持てない。ハンブルクの反転した写真は、ブートレグ版なので已む無しとして、ヴィリザウのジャズフェスティバルでのフランケンシュタインによる写真もベルリン演奏時の写真に見えるものの確認のしようがない。また、公演の開催年すら怪しくて事実確認するのに手間取った。
調査における言語の壁は確かに存在している。検索技術や機械翻訳の進歩は凄まじいものがあるが、それでも日本語・英語・ドイツ語での情報量の差が大きく存在する。当然だが現地語の情報量が一番多い。検索については、グーグルで”Keith Jarrett Jazz in the Garden”を検索しても、直接関連する情報は表示されなかった。
アナログとデジタル写真の差分。この結論に至って、改めてレコード版の以下ジャケット写真を眺めてみると、ピアノによる人影の反射がさらに鮮明なことが分かった。つまり、その点については本作品のレコード所有者には既知の事実だと思われる。技術の成熟度の差によるものなのか、或いはテクノロジーの進化で、近年の写真にはこの人影を消す為の加工がなされているのか分からないが、アナログ写真の解像度のきめ細やかさに感心した。
ベヒシュタインのピアノの上には、タンバリンとソプラノサックスが置かれている。当日、ジャレットがピアノに加えて、これらの楽器を演奏している光景が見られたのかもしれない。
因みに、これらの楽器を駆使した当時のジャレットの演奏に興味がある方は、先に登場した二日前のハンブルクのラジオ局での演奏をご覧ください。こんな演奏を彫刻庭園でも繰り広げたのでしょうか。
さて、皆さんの見解は如何でしょうか。裏取りや現地現物の検証は出来ていませんが、ネット上だけでも、かなり調査が出来て、そこそこ核心には迫れたかと思います。事実を知りたいので、記載内容の間違いや、追加情報等が有れば、是非ご連絡ください。
また、同じように気になる題材があれば、掘り下げて記述してみたいと思います。ご興味があれば、こちらもどうぞ。
本日も最後までお付き合いくださり、どうも有難うございました。素敵な三連休をお過ごしください。