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【アルゼンチンを支えた女性エビータ】〜彼女に縁のある地を巡って〜🇦🇷
「エバ・ペロン」通称エビータ
彼女はアルゼンチンの貧困な家庭で生まれ、実力で大統領夫人に成り上がった人物です。
一度は、映画や舞台などを通して、名前を聞いたことがあるのではないでしょうか?
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今回は、そんな彼女にゆかりのある地を巡った時の話をします。
1.エブァ•ペロンとは?
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エビータこと、エバ•ドュアルテ(旧姓)は1919年にアルゼンチンのロス•トルドスに生まれました。
母親が父親の第二夫人であることから、父に見捨てられた彼女は幼少期に貧困を経験しており、貧困から脱却する為に16歳でブエノスアイレスへと亡命。
ブエノスアイレスでは、自力でラジオ番組出演や映画女優を経て、国民の人気者へとなりました。
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そんな中で、後のアルゼンチン大統領となる「ファン•ドミンゴ•ペロン」の愛人となり、1945に結婚しました。
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しかし、ペロンはエビータとの結婚後に、当時の副大統領の地位を解任され逮捕される形に、、
その状況下で、エビータは彼女が持つカリスマ性を使って、当時卑下されていた労働者層の自由を勝ち取る為に社会運動を起こしました。
労働者層を味方につけた彼女は当時の政権の不当性を訴えたり、ペロンの自由を求める活動を行なった。
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ペロンの釈放後、エビータが行ってきた活動が身を結び、ペロンは大統領に就任。
エバ•ペロン財団を発足して、アルゼンチンにおける教育機関の整備、貧困者に対する援助を行いました。
労働法を改正したことによって、女性や多くの労働者が働きやすい環境を作っていきます。
人気のあまり、次期副大統領に選出されたりしましたが、話が頓挫してしまうこともあったり、、
しかし、そんな人気絶頂な最中で彼女は1952年の7/26に33歳の若さで癌により、亡くなってしまいます。
彼女の死後、アルゼンチン国民はアルゼンチン最大規模の国葬を開き、彼女の死を悼みました。
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2.レコレタ墓地 [Cementerio de la Recoleta]
彼女の死後、遺体はエンバーミング(防腐処理)によって加工されて、現在はドゥアルテ一族(実家)の墓があるレコレタ墓地に埋葬されました。
【レコレタ墓地に至るまでに、彼女の墓が聖地化することを恐れた、アルゼンチン軍は彼女の 遺体をイタリアとスペインに一時的に移した。
ペロン政権が打倒された後の話、、】
レコレタ墓地は、ブエノスアイレス•レコレタ地区のバーやデパートなどが立ち並ぶエリアに佇む。
(夜は隣が墓地であること関係なしに、光や音で眩しいし、うるさい)
ナポレオンの孫娘、歴代のアルゼンチン大統領、ノーベル賞受賞者なども眠っている、由緒正しい墓地であり、基本的に墓地はひとつひとつ金がかかっている感じです。
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墓地の中は、観光地化している為、写真OKで多くの人がお目当ての人物の墓へと向かう感じ。入場料は1400アルゼンチンペソ。
中はきれいに整備されているが、ところどころ建物が壊れている為、中の棺桶がそのまま見えている所も、、
広すぎて、迷子になりながらも、なんとか目的地であるエビータの墓に着くと。
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他の墓とは違って、ひっそりとしていたが、多くの観光客が見にきている模様。
やはり、世界的に知名度のある人だなと感じさせられます。
お墓参りを終えて、次は彼女のことをさらに知る為に、エビータ博物館へ!!
3.エビータ博物館[Museo Evita]
レコレタ墓地から約2.7kmのパレルモ地区にある、エビータ博物館。
元々は、エビータが援助した孤児院?見たい所を改装して運営。(レストランも併設)
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入場料は1500アルゼンチンペソ(2023年3月当時)
入ると、すぐにエビータとペロンの肖像画がお出迎え
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中は、撮影禁止の部分とOKの部分があり、基本的にはエビータの生誕から死後までの流れで、衣装や写真が展示されていました。
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感想としては、彼女の人生について基本的なところに加えて、誰も知らないようなところまで深く学べる感じです。(彼女がやってきた、政治活動の細かい内容とか、、)
行く価値は十分にあるが、館内全てスペイン語の為、分からない人は事前に彼女について学んでいくことをオススメ。
また、関係ないですが、近くに日本庭園もあるので、そのまま歩いて遊びに行けました。
4.彼女の伝説が作られた地
最後に向かったのは、彼女が社会運動を行ったり、葬儀が行われた5月広場。
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目の前には大統領府の「Casa Rosada /赤い家」があり、ここはマドンナがエビータを演じた映画の撮影舞台でもあります。
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さらに、関係ないが、アルゼンチンやチリの独立の父として知られるサン•マルティンが眠っている教会も5月広場を囲うようにしてあります。
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よく、観光地を襲うひったくりとかがこの辺りには出没するので、要注意!!
5.まとめ
ブエノスアイレスで、エビータにゆかりのある地を巡ってみて、
彼女の死後から70年以上経った今でも、影響力が世界各国で強く根付いていることが、分かりました。
現在アルゼンチンでは、ハイパーインフレによって、現在の社会主義政権に対して国民から「ペロニスタ」=ペロン主義者 などの悪口が使われて、ペロンやエビータを嫌う人々はいますが、それでも彼女の影響力はすごいです。
なぜなら、100アルゼンチンペソの紙幣に顔が載っているくらいだから!!
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まぁ、このように一部からどうこう言われていても、20世紀初頭に女性として活躍した彼女のカリスマ性がよくわかりました。
以上です!