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さとのみ 2023/9の問い

さとのみのいつもの問いトーク。さとのばの関係者が夜な夜なZoomに集い、いくつかの問いを元に話し始めると、いつも予想だにしない方向に話が向かい、それによってみんないろんなものを持って帰れるいつもの場。(誰でも参加OK)
8月の問いは
「嫌いな自分/苦手な自分で居ることを選ぶことの大切さってなんだろう?そんな自分の存在価値ってなんだろう?」

好きな自分と好きじゃない自分が内包されている自分自身。自分の中の自分(達)がどんな風に存在しているのか、なんて話に飛んでいく。

  • 自分の中に相反している自分が存在している、という話。

  • その自分内自分の配分が美しくありたい、という話。

  • そんな自分内自分を絵にしてみるワークなんて面白そうだよね、という話。

  • 自分にどんなエサ(=インプット)を与えていけばいいのか、という話。

  • 自分の過去の自己乖離ってどうだったんだろうというのを語り合いたいよね、という話。

  • 最後の方は、愛される経験は大切だという話で時間切れでチェックアウト。

ほかにも色々深面白い話がありましたが、今書き出せるのがこれだけ(すみません)

さて、次回の問いをどうしようと思って色々と考えてみる。キーワードは「愛」にしたい。とりあえずWikipediaを見てみると、こんな説明があった。

キリスト教関連の書物や西欧文化圏の書物では、4種類の感情(すでに古代ギリシア時代から考えられていた4種類の"愛"、いずれもギリシア語表現。)について説明していることが多い。
・「ストルゲー」 キリスト教では家族愛。
・「エロス」 キリスト教では性愛。
・「フィーリア」 キリスト教では隣人愛。友愛。
・「アガペー」 キリスト教では真の愛。新約聖書においては「神は愛です」(ヨハネの手紙一 4:8, 16)に代表されるように、神の本質が愛であり、特にイエス・キリストを通して愛が示されている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B

さて、エーリッヒフロムの「愛するということ」を読み返してみた。色んな愛の話はあるが、家族愛・自己愛に関するところにフォーカス。気になったキーワードはこの辺。(だいぶ意訳が入っています)

  • 人は誰でも孤立を克服したいという欲求がある。そのための行動の1つが創造的活動。相手に与えるということ。創造的活動は自分が犠牲を払っているという訳ではなく、それこそが自分の生命力の表現である。

  • 親から受ける無条件な愛。この時は「愛されているから愛する」と無意識に感じている。

    • 『あなたが必要だから、あなたを愛する』

  • 一方で成熟すると「愛するから愛される」と感じるようになる。

    • 『あなたを愛しているから、あなたが必要だ』

  • 自分に信念がある者だけが、「自分の愛は信頼に足り、他人に愛を生むことができるのだ」と信じることができる。自分の可能性を信じることができる人は、他人の可能性を信じることができる。

どうも愛されるには愛することが大切なようだ。
でもそのためには自分の愛という可能性を信じることも大切なようだ。
自分の愛を信じるには、親から受ける無条件な愛は大切で、でも成熟したらそうも言ってられないようだ。
なかなかこの世の中は大変だ。

でも腑に落ちる、実感できる話だなあとも感じる。「己を愛するがごとく、汝の隣人を愛せよ」というのも、こういった話につながってくるのだろう。

自分の可能性を信じる・自分を愛する事の大切さはわかったけど、そんないつも信じ続けられるかはわからない。その拠り所はやっぱりほしい。でも拠り所が無条件の愛で成り立っていても持続性がない。ではどうしたらいいんだろう。

そんなことを考えながら思いついた問いです。

いま、自分の弱音を吐き出したい人は誰ですか?
その人に、自分は何を与えたいですか?


BGM 「愛がなくちゃ」ウルフルズ 
愛がなくちゃ 愛がなくちゃ 愛がなくちゃ
誰かを愛さなくちゃ 愛さなくちゃ 愛さなくちゃ


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