イバン族の食文化 11/11
その時、「バキバキバキッ」と大きな音が頭上でしたかと思うと、何か大きなものが私の背後に落ちてきて、下へ落ちていった。
腐った大きな枝が雨の強さに耐え切れず、折れて落ちてきた。
その枝の残骸が、我々の座っている枝にも引っかかっていた。ウォルターが私を一瞬見上げかと思うと、そのまま、先程イノシシを追っていた時と同じ様に、一気に地面迄降りた。
私は、どうしたものかと、木の上で地面の彼を見ていると、彼が手招きしている。
何か言っているけど、雨の音に掻き消され、何も聞こえない。兎に角、降りようと、下の枝に足をついた時、さっきの大きな枝の残骸を踏みつけてしまった。その瞬間、沢山の小さな何かが私の足に一斉に登ってくるのを感じた。
強烈な痛みを伴った。
何かに噛まれている様だ。それも、沢山の何かに・・・。私は、その痛みを我慢して、その隣の絞め殺しイチジクの木に移り、ゆっくりと地面まで降りていった。
地面に辿り着いた時には、足だけでなく、体中噛まれている様で、体中が痛かった。長く座っていたので、お尻も痛かったが、その痛みを完全に忘れ去る程の強烈な痛みだった。
止まる事のない土砂降りの中、ウォルターは、私に服を全部脱ぐ様に指示し、下着だけ残して、靴も、靴下も、ズボンも、シャツも全部脱ぐと、彼が、小さな懐中電灯で、私の体を照らしながら、一つづつ、その物体を取り除いていった。
それは、凶暴な赤い蟻だった。殆どの蟻を取り終ったウォルターは、私に懐中電灯を渡し、下着の中も見る様に促した。私は、おそるおそる下着の中を照らしたが、幸いながら、いなかった。
彼は、私の衣類と靴を叩いて、背負子の中に入れ、「帰ろう」と言った。
私は、パンツ一丁で、それも裸足で、惨めな姿で、絶えず降り続ける土砂降りの中、彼の後ろを付いて行った。非常に惨めな気分だったが、ウォルターの背負子を見ると、私の衣類が獲物に思えてきて、ふきだしてしまった。
私の笑い声が聞こえたのか、彼は、一瞬怪訝そうに振り返ったが、何も言わず、道のりを急いだ。
小屋に辿りつくと、ランタンを付け、火を起こし、暖をとった。お湯を沸かして、暖かいインスタント・コーヒーを淹れて、二人で飲んだ。
そして、気が付くと、森の音が、夜の音から夜明けの音へ、そして、朝の快活な音へと変わっていく時間であった。
そんなに長く、私は森の中にいたとは、到底思えなかったが、時間は嘘をつかない筈だ。そして、私は、壁に寄り添って、うつらうつらとしながら、時折、ウォルターが、背負子の中の私の服からいつの間にか彼の体に移動した赤蟻を自分で取っているのがおぼろげに見えた。
彼の横の囲炉裏では、いつかどこかで遠い昔に嗅いだ、ご飯を炊く白い匂いが立ち込めているのを感じながら、私は完全な夢の世界へと入り込んだ。
その照り返す暑さで、目を覚ました時、太陽もかなり上に登っていた。
ウォルターの姿を探したが、小屋の近くには見当たらなかった。
小屋の下に、昨日は無かった筈の稲の詰まった麻袋が既に2袋あった。
彼は、寝ずに朝の収穫作業を始めたのだろう。私は、ゆっくりと、畑の方へ向かった。そして、昨日と全く同じ姿勢でいる、破れた麦藁帽子をかぶらせられた泥まみれの不細工な案山子が、動く事無く、何も語らず佇んで、時折吹く風でそよぐ稲の穂先が、さらさらと音を立てていた。
私は、その山の麓に広がった田圃が見渡せる丘の上に、随分長いこと立って、ウォルターを眺めた。
「希望は不幸な人間の第二の魂である」(ゲーテ「格言と反省」)
P.S. こちらのイノシシは、焼いても煮ても、美味しい。イノシシを麹と塩で漬けて作る保存食「カッサム・バビー」は、天下一品だ。きっと、私にとって、最後の日に食べたいものは、間違いなく、これとご飯だ。
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